「畜生!なんてどうだい?」
「「チクショウ?」」
その言葉に、俺とプラスは互いに「はて」と首を傾げながらヴァイスに目を向けた。クソの言い換えで現れた「チクショウ」という言葉。
それは、果たしてクソの言い換え足りえるのだろうか。
「ほら、畜生!畜生!!って。気持ち的には“クソ”と大差ないと思うよ?」
「そうなのか?」
「そうなの?」
「そうだよ、悔しさの余り口を吐いて出る言葉としては、クソと同じくらい王道さ!」
そうだったのか。
——-畜生がっ!テメェ、すぐ父さんにチクりやがって!
「そうかもしれない」
「アウト?」
俺は小さくそう呟くと、耳の奥に木霊する記憶の欠片を拾い上げた。視界の片隅に映る、それはアボードの声だ。
むかし、むかし。その昔。
まだお父さんが生きていた頃。
——-お父さん!アボードがすぐオレの事を殴るんだ!ほら、ここ見て!青くなったよ!すっごく痛いんだ!
——-アボード?
——-違う!ソイツが悪いんだ!
——-ソイツじゃない。アウトだろ?
——-アウトが悪い!
俺は力じゃアボードには敵わないモンだから、すぐにお父さんに助けを求めた。そして、俺の方が弱くてひょろひょろだったせいだろう。
俺はいっつもお父さんに頭を「よしよし」して貰えたのだ。
——-お父さんは、アボードよりオレの方が好きなんだ!
——-何言ってんだ!ただ、テメェの方が手が掛かるから仕方なく構ってやってんだよ!父さんは!
——-ちがう!
——-ちがわねぇよ!お前なんか手がかかるから、心の中じゃ、本当は俺の方が一番だって思ってるんだよ!
——-ちがう!ちがう!
お父さんに兄弟喧嘩を仲裁して貰う度に、俺とアボードがしていた不毛な兄弟喧嘩。
お母さんの居なくなった後、俺とアボードはいつもどこかでお父さんの愛情を取り合っていた。
——–畜生!お前じゃ話になんねーよ!
「チクショウ!……いいかもね」
俺はなんだか懐かしい記憶をなぞるように、隣に腰かけていたベストの頭を撫でた。そうそう、こうして俺はよくお父さんに頭をよく「よしよし」して貰った。それが、俺は大好きだった。
「……」
撫でる俺の掌にベストが薄く目を細める。
かわいい。
もしかして、お父さんも俺の頭を撫でる度に「かわいい」と思ってくれていたのだろうか。
本当の答えは分からないけれど、そうだったらとても嬉しいと思う。
「うーん?チクショウ……それは夜の王様にも相応しい言葉か?」
「さてね。夜の王様に相応しいかは置いておいて“畜生”は人以外の動物を指す言葉でもあるから。ほら、何て言ったっけ?プラスが飼ってる可愛い毛のモノ達」
「けもるか?」
「そう!だから、畜生!は相手への罵りでもありながら、“けもる”でもあるのさ!」
ヴァイスの言葉に、プラスの眼鏡の奥にある瞳がキラリと光り輝いた。
なんと!罵りの言葉と、あの可愛らしいけもる達が一緒になった言葉が存在するとは!まさか、アボードの口にしていたあの“チクショウ”にそんな意味があったなんて。
「チクショウはけもる!それは素晴らしい!ヴァイス、お前は本当にたくさんの言葉を知っているな!」
「そうだね、凄いね!“ちくしょう”はけもる!なのに、腹が立った気持ちも表せる!」
「でしょ?僕は言葉を操る魔法使いだからね、こんなのお安い御用さ!」
ふーん、と腰を手に当てて得意満面になるヴァイスに俺とプラスは二人して大喝采を送った。
「よーし、ベスト。これからは“クソッ!”と思った時は、“ちくしょうっ!”って言うといい!それなら素晴らしい言葉だから、きっと夜の王様としても相応しい筈だ!」
「……」
そう言ってにこにこと笑うプラスに、ベストの瞳が戸惑いでいっぱいになった。
あぁ、もしかして、あの、フワフワの“けもる”達を表す言葉だから、気持ちが上手に表現できないかもと心配しているのかもしれない。
「大丈夫だよ。ベスト。“ちくしょうっ!”って言葉はけもるでもあるけど、うちの口の汚いアボードですら使ってたんだ。腹の立つ気持ちは十分表せるよ」
「……そういう事では」
「ん?」
ジッと俺の事を、ベストの丸い大きな瞳が見つめてくる。
それはもう、その目には「おれのきもち、わかってよ。おとうさん」という気持ちがハッキリと宿っていた。
うん!わかってるよ!だって俺はベストのお父さんだからな!
テーブルの奥ではヴァイスがいつもの笑い上戸を発揮して大笑いしているが、一体なにがおかしいというのだろう。更にアボードとバイのテーブルでは、アボードが激しく咳き込む声まで聞こえてくる。
きっと無理な一気飲みでもしたに違いない。馬鹿な奴だ。
「さぁ、ベスト。クソは排泄物だからダメだが、これからは、けもるの“畜生”がすぐに出てくるように言う練習をしよう!いち、に、さん!はい!」
「……」
「ベスト。プラスが、はいって言ったら“ちくしょう!”って言ってみな!あの腹の立つ三人を思い浮かべながらね」
「……アウト」
ベストが何故か頼りなさ気な視線を俺に向けてくる。その大きな黒目がユラユラと揺れた。もしかして、一人で口にするのが恥ずかしいのだろうか。
そうかもしれない。
だって、ベストは“金持ち父さん”みたいに照れ屋だから。
「ベスト。じゃあ、一緒に言う練習をしようか?」
「え」
「せーの、」
俺がベストの頭を撫でてやりながら、不安を取り除いてやるように笑顔で口を開いた時だ。
「おい、お前ら」
「ウィズ?」
ウィズがソーサーを片手に、心底呆れたような目で俺の傍に立っていた。そして、そのままトントンと軽い音を響かせ、テーブルの上に先程注文した酒を置いていく。
「まったく、何を話しているのかと思えば」
俺とヴァイスの目の前にはツルミの白割。ベストとプラスの目の前には鮮やかな橙色のルビー飲料が置かれた。
「下らない事をベストに言わせようとするな。困っているじゃないか」
「困ってる?違うよ、ベストは照れてるんだ」
「そうだ。ベストは金持ち父さんと同じで照れ屋だから、すぐに照れるのさ!きっと使い慣れない言葉だから、恥ずかしいんだろう。まったく!排泄物は平気で口に出せるくせに、どうしてけもるが口にできないのやら」
「プラス。子供って排泄物が好きな時期があるから、そのせいだよ」
「確かに。今はベストが排泄物を好む時期なのかもな」
「……」
「お前ら……」
ウィズは俺達では話にならないとでも言うように、向けていた視線をチラと腹を抱えて笑うヴァイスへと向けた。
「おい、飲んだくれ。お前、仕事はどうした?さっきは偉そうに仕事だ何だと口にしていた癖に。それとも何か?お前の仕事はこの二人を揶揄う事か?だとしたら、即刻、酒を置いて出て行ってもらおう」
どうやらウィズは先程ヴァイスに言われた「階級上、僕の方が上なんだから」と言う言葉を根に持っているらしい。酒を置く時もヴァイスの分を置く時だけは、その勢いが俺達とは違った。
きっと心の中では「ちくしょう!」と思っているに違いない。
「いやいや、君がちんたら酒を持ってきてくれるのを僕は二人の保護者の悩み事を聞く為に有意義に使っていただけじゃないか!言われなくとも、酒が来たんだ。僕の仕事はここから幕開けだよ」
「本当だろうな?」
ウィズの声と視線が、疑わし気にヴァイスへと向けられる。
そうだ。そう言えばヴァイスは“シゴト”でここに来たのだと言っていた。
そして――。
俺の手首に、青白い痕を付けたのだ。