317:ヴァイスのお仕事

 

「そう言えば、ヴァイスは俺達に何か用事でもあったの?」

 

 俺は机の下に隠していた青白い痕の付いた手首へソッと視線を向けると、改めてヴァイスに尋ねてみた。そんな俺の視線に、それまで台風みたいな笑顔を浮かべていたヴァイスが、その笑みをピタリと止める。

 

「はいはい、アウト。そう慌てないで。本題に入る前に、酒も来たことだし乾杯しよう!さぁ、この店のマスターはいつまで客の近くに突っ立っているつもりだい? 気になって乾杯もできやしないよ!」

 

 ヴァイスは一瞬だけスルリと目を細めると、未だに眉を顰めて自身を見てくるウィズを追い払うように手を振った。

 そんなヴァイスにウィズは一瞬だけ何か口を開こうとしたが、結局その口が彼への文句を紡ぎ出す事はなかった。そして、無言で俺の隣から離れて行く。

 

 まぁ、離れたと言ってもすぐ隣のテーブルに腰かけただけなのだが。

 

「お前がアウト達に何を言うつもりかは知らんが、俺はここからは動かんからな」

「はいはい。勝手にすれば?どうせ、そのうちお前にも関係してくる事だから、むしろその方が話が早い。さぁ、あんな気持ちの悪いマスターは置いておいて、僕たちは乾杯しようじゃないか!」

 

 そう、肩をすくめながらヴァイスは手元に用意された酒に手をかけた。

 

「なぁ、かんぱいって何だ?」

「乾杯っていうのはね、喜びや祝福の気持ちを込めて杯を触れ合わせる、酒飲みにとっては厳粛で、とても大切な儀式の事さ!」

「へぇ!そんなものがあるのか!俺はつい最近まで酒は飲めなかったから、全然知らなかった!」

 

 そう言って目を輝かせるプラスに、俺は何とも苦々しい気分になった。

そう、プラスは未だに自分の飲んでいるモノを“酒”だと思い込んでいるのだ。どうやら、プラスはあの日以来、ルビー飲料をいたく気に入ってしまったらしく、挙句に自分は「酒飲み」になったと得意満面なのである。

 

「じゃあ、今日はベストの満点と、お父さん達のビーエルの続き、そして俺の初めての“かんぱい”をお祝いして、かんぱいしよう!」

「乾杯に対して乾杯する人なんて、初めて見た!やっぱり君は本当に面白いね!」

 

 しかも、毎度毎度、律義に顔を真っ赤にして“酔う”のだから、俺はたまらないのだ。真っ赤になって、いつの事だか分からないお話をポロポロと零すプラスに、俺はもうこれまで何度「そうだね」と訳も分からず頷いて来たかしれない。

 

「じゃあ、みんなグラスを持って!本題に入る前に、乾杯だよ!」

 

 ヴァイスの言葉に、俺は痣の付いていない方の手でグラスを持った。

プラスなんかはいの一番にグラスを天高く持ち上げている。そして、意外な事にベストは慣れた手つきで片手でルビー飲料の入ったグラスを程よく斜めに掲げた。

 

「それじゃあ、今日はこの畜生ガキの満点と、お父さん達の終わりに向かう物語、そしてプラスの初めての“乾杯”を祝して」

 

——-かんぱーい!

 

 重なる四人の声の後に続くように、四つのグラスが重なり合う音が酒場に響いた。乾杯の後の一口目の酒。

 この時の一口目の酒の味を、俺はきっと一生忘れないだろう。

 

「さて、酒と乾杯。ここには四人の酒飲みが揃ったね」

「ヴァイス、何を言う。ベストは子供で酒は飲めないから、三人の酒飲み、だろう」

「……そうだね。確かに、酒飲みは三人だ」

 

 ヴァイスが含むような視線をベストに向けながらニンマリと頷く。

 

「じゃあ、ここからは少し僕のお仕事の話をさせてもらおうか」

 

 ヴァイスは急に改まったように腰かけていた椅子の背もたれから、自身の背中を離す。いつでも風に揺られるようなユラリユラリとしたヴァイスの出で立ちが、こうしてピンと背筋を伸ばす姿を、俺は初めて見たかもしれない。

 

「っ!」

 

 そして、次の瞬間ヴァイスの纏っていたいつもの吟遊詩人の鳥の羽のような衣装が、神官の正式法衣へと姿を変えていた。こういった一瞬で見に付けるものを変化させる力も、マナによる物質変化の一つらしい。

 

「ヴァイス、その格好は……」

 

 プラスが急な法衣服に身を包んだヴァイスの姿に、驚きの声を上げる。視界の端に映りこむ、バイやアボードも大きく目を見開いていた。

 

「……ヴァイス。キミは神官だったのか?」

「そうだよ。僕の仕事はビヨンド教、パスト本会の上級医療神官さ。それなりに上位の役職に就かせてもらっているよ。どう?見直した?」

 

 少しだけ友への温もりを消したプラスの声が、ヴァイスへと向けられる。

 そうなのだ。ヴァイスは未だに自身の仕事が“神官”である事を、誰にも伝えていなかったのだ。

 

 それはもちろん、ビィエルの趣味仲間であるアバブにも。

 きっと、知っているのは俺と、そしてウィズくらいなものだ。

 

「……上級医療神官」

「そう。プラス、何か問題でもある?」

「いや、別に」

 

 そんなヴァイスが、ここへ来て一気に自身の正体を明かした。確かに、ヴァイスは最初から最後まで、自分は“仕事”で此処へ来たと言っていたではないか。

 最初、俺はその仕事は“吟遊詩人”の方の事を言っているのだろうと思った。

 

 けれど、どうやらそれは俺の勘違いだったようだ。

 ヴァイスは、今ここに“神官”として、俺達の前に存在している。

 

 プラスはヴァイスから視線を逸らすと、逃げるように自身の手元にあるルビー飲料へと手を伸ばした。ゴクリ、ゴクリとプラスの喉が大袈裟に音を立てる。

 

「さて。その上級医療神官様が、俺達に何か用か?」

「そう。とても大切な用事さ。これから僕は、この畜生ガキとその保護者であるキミ達二人と、三者面談……いや、四者面談をしなきゃならない」

「なぜ?」

 

 頭の片隅がキーンとする。

 空気が冷たい。夏の終わりで、熱帯夜も多いこの季節にも関わらず、俺は嫌な肌寒さを感じた。

 

「さぁ。なぜ、神官が俺達と話す必要がある?理由を聞こう」

 

 プラスはいつの間にか自身の前で、他人を拒絶する時にとる両腕を組む、“あの”体勢を取っていた。その目はやはり、いつの間にかしっかりと閉じられている。けれど、先程のルビー飲料の一気飲みのせいだろうか。

 

 プラスの耳は既に微かに朱に色付いていた。

 

「じゃあ、単刀直入に言おう。彼には先日編入試験を受けた、あの学窓への編入は諦めてもらうよ」

「なんで!?」

 

 その声を上げたのは、プラスではなく俺だった。どうして、ベストは学窓へ入れない?あんなに頑張って勉強して、編入試験だって満点を取ったのに!

 

「アウト、落ち着いて。別に僕は学窓への入学自体をダメだと言っている訳じゃない」

「じゃあ、どういう事だ!」

「彼はあの学窓ではなく……」

 

——–僕たちの居る、パスト本会の神官学窓への編入が、もう決まったって事だよ。

 

 ヴァイスの言葉に、隣のテーブルに座っていたウィズがガタリと椅子を引いて立ち上がった。