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どんなに不自由な状態でも、自分の意思で選択できるモノが必ずある。周囲からの言葉に惑わされるな。自分の価値を他者の評価にのみ依存するな。
自分の事だ。自分で決めていい。自分の意思に従っていい。いや、むしろそうすべきだ。
そうしなければ、人生の中で大きな波にさらわれそうになった時。お前は生きたまま死ぬ事になる。
いいか、アウト。
お父さんの大事な“アウト”を、不幸にしないでやってくれ。アウトを“幸福”に出来るのは、アウトしか居ない。
〇
そう、目を閉じると今でも聞こえてくる。お父さんの低くて優しい、落ち着いた声。
俺には前世の記憶がなかった。
マナもなかった。
挙句の果てには、名前すらなかった。
何もなかったけど、選択だけは自分でしてきた。
俺には皆みたいな前世の記憶という、自分を自分足らしめる“重し”はなかったけれど、お父さんのその言葉が、愛情が、俺にとっての“重し”だった。
——–俺なんか、要らないんだ。
一度は他人の評価だけに依存して、自分を諦めそうになった事もあった。けど、その時はウィズが俺の腕を掴んで引っ張り上げてくれた。
必要なんだと言ってくれた。
俺が居ないと幸福になれないと言ってくれた。
こうして今は、ウィズが俺の“重し”になった。
だから、今度は俺が誰かの“重し”となる番だ。
前世ではない、今を生きる。
そう。
“ザン”ではなく“ベスト”が、この世界の大波に攫われてしまわないような、そんな“重し”に。
「アウト?キミは知らないだろうけど、マナの総量判定で神官認定された子供は、必ず神官学窓への編入が義務付けられている。それはとても誉高い事だ。ふつう、断る人間は居ないよ」
「ふつうがそうであっても、ベストがそうとは限らないじゃないか」
「だから言っただろう?義務だって。断れないんだよ。皇国の地に住む民として」
「ベストが皇国から出たいと思うかもしれない」
「皇国はそれを許さないよ。神官には皇国の民としての永民権という特権が与えられるんだから、それって物凄い利権なんだよ?欲しがったって、普通は手に入らない。皇国の神官のみに与えられるモノだからね」
「何が利権だ。そんなの国の都合でベストを縛り付けたいだけじゃないか」
「まぁ、モノは全て言いようさ。アウトがどう言おうと、この皇国における神官への“縛り”は変わらない」
———つまり、彼に選択肢は無いんだよ。
ヴァイスの言葉に俺は、その言葉が非常に心の嫌な部分を無遠慮に触れ回るような不快感を感じた。
「選択肢がないなんて事はない。でも、もし無いなら……俺はベストの親だ。俺が必ず選択肢を作ってみせる」
「へぇ。アウトに何が出来るって言うんだか」
ヴァイスの言葉に、俺は手首についた青白い痕へともう片方の手で触れた。
「おい、ヴァイス。居候の分際で、俺を舐めるなよ」
触れた瞬間、俺は何をどうしたらいいのか自然と理解していた。理解したから、思った通りにやった。
「へぇ、アウトもやるじゃないか。若造の分際で」
本気か冗談か。
そんな感情の読み取れないヴァイスの声が、軽い拍手と共に俺へと投げられる。
触れた手を離してみれば、もうそこには先程までのヴァイスが俺に付けた青紫色の痕は、忽然と姿を消していた。
あるのは傷一つ、痕一つない俺の手首。
「ヴァイス。俺はこう見えて、本当は喧嘩っ早い。子供の頃はよくアボードと殴り合いの喧嘩をしたもんだよ。勝つか負けるか、そういう事は考えずに。むしろ、負けるって分かってても、俺は絶対に拳を作る。俺は、そういう人間だ。だから、いいか?」
俺の傍で、ウィズが驚いたような目を向けてくる。
そう言えば、ウィズには俺のこんな顔、まだ見せた事なかったかもしれない。良い機会だ、存分に嫌な俺も見て欲しい。
ウィズだったら、どんな俺でも受け入れてくれる。
と言うのは、余りにウィズに対して無責任すぎるだろうか。
けれど、出来ればウィズに対するこの色眼鏡は、俺の誇りだから外したくない。
「売られた喧嘩は必ず買う」
それに、俺の中には、皆が居る。
一世界分の人々が、俺に信頼してマナを預けてくれている。だから、俺は誰が相手でも、絶対に負けない。
「りょーかい。僕は喧嘩を売ったつもりは微塵もないけど。若造をいなして身の程を弁えさせるのも、年長者の役割なのかもね」
どこまで行っても本心の読み取れないヴァイスのにこにことした笑顔が、そこにはある。けれど、ヴァイスは俺と“どーき”しているから、俺の頭の中なんてお見通しな筈だ。だから、俺は敢えて最後は頭の中で叫んでやった。
——-黙れ!く、そ、じ、じ、い!
クソは良くない言葉だから、ベストの前では口にしない。親はいつだって子供の見本じゃなきゃあいけない。
あぁ、ヴァイスと“どーき”してて良かった!
俺は此方を見て目をパチリとさせるヴァイスに、少しだけ胸のすく思いを感じると、スッとした胸のうちのまま、今度はベストへと向き直った。