ヴァイスの言葉が風に乗って俺の記憶を駆け巡る。
——-数年前に、西部の文化の根源であるパステッド本会は、一旦、全て破壊されたから。
——-え?
——-既に聖地は消滅しているのさ。当時は凄かったよ。世界が一瞬にしてこの知らせで覆い尽くされたからね。
「さぁ、プラス。西部教会、パステッド本会の上級医療神官であるキミが、まさかこんな所に居るなんて思いもよらなかったよ。まったく、よくも僕の可愛い我が子の一部を吹っ飛ばしてくれたね」
「……」
「プラスが、神官だと?しかもあの、聖地を破壊したって……おい!どういう事だ!ヴァイス!説明しろっ!」
ヴァイスの言葉に、ウィズの驚いたような声が酒場中に響き渡る。けれど、ヴァイスはウィズに視線一つ寄越さない。今回は詳しく説明する気など、サラサラないようだ。
まぁ、それもそうだろう。こんなこと、説明するまでもない。
さっきのヴァイスの言葉が全てで、プラスが俺の腕に痕を付けた事がその証明だ。
「何を、言っている?俺が、一体何だって?」
「ふぅ、これだ。これだから、たかだが一つの失敗で人生を台無しにした奴は毎度毎度同じ轍を踏むんだ。嫌な事から逃げる手段が“忘却”じゃあ、それも仕方ない。僕たちは少し、あの粘着執着親子を見習うべきなのかもしれないね。ねぇ、プラス」
プラスは神官だ。
それも、ビヨンド教発祥の地とも呼ばれる聖地パステッド本会で、今のヴァイスと同等位の地位を持っていた上級医療神官。
ヴァイスの大きくて丸い、深緑色の瞳がグルリとプラスへと向けられる。すると、ヴァイスの子供のようなか細い手が、俺の胸倉を掴むプラスの腕をガシリと掴んだ。
「っ!」
ギリと、まるで音がしそうな程、力強く握り締められるプラスの腕。プラスの腕を掴んだヴァイスの手には、異様な程に血管と骨が浮かび上がっている。
プラスも掴まれた腕が痛いのか、それまで見開かれていた目が、ヒクリと薄く細められた。
「キミは僕と違ってまだ一度目だ。たった一度で、これだけの後悔をその身にやつした事は驚嘆に値するよ。まるで、僕みたい」
「……いやだ。はなせ」
「嫌じゃ済まされないよ。だって今日は君とアウトとベストに、僕は【金持ち父さん、貧乏父さん】の続きを話すって約束したからね。その為にはまず、僕の我が子を吹っ飛ばして家出をした我が子を、親である僕が探しに行かなきゃならない」
「いやだっ!離せっ!離せっ!」
プラスが悲壮感に満ちた目で、ヴァイスから掴まれた腕に必死に抵抗してみせる。けれど、ヴァイスがその腕の力を緩める事はない。
「さて、アウト。僕は金持ち父さん貧乏父さんの最終章の執筆の為に、その後の物語のネタを収集しなきゃならない。協力してくれる?続き、気になるんでしょ?」
「協力って、何を……?」
「離せっ!俺に何をする気だ!?いやだっ!いやだいやだいやだ!」
プラスの叫び声が俺の耳をつんざいた。
そして、そんなプラスの悲痛な叫び声に、いつの間にか俺の傍にはベストがフラリと立っていた。その目が映し出すのは、ヴァイスに腕を掴まれてガタガタと震えて怯え切っているプラスの姿しかない。
「やめろ!プラスに酷い事をするな!」
「酷い事?僕は物語の最後を書き加えようとしているだけさ。それとも何?僕が同族嫌悪から、彼を虐めているように見えるのかい?」
「助けて!誰か!怖い!怖い!こわい!」
「プラス!」
プラスの叫びに、ベストはその小さな体で必死にプラスの体を抱き締めた。
けれど、悲しいかな。ベストの身長は、まだプラスの腹くらいまでしかない。抱きしめているというより、抱き着いているようにしか見えないし、実際そうだ。
今のベストでは、プラスをその両の手で包み込んであげられないのだ。
「いやだ!いやだいやだ!こわいゆめをみるんだ!まいにちみるんだ!もう、まっくらで、だれもいなくて、でも、おてがみだけがあるのに、おれはおへんじもかけないしっ。みんなにやめてっていっても、おれのいうことなんてむしして、こどもたちにひどいことをする!あのこににた、おれのいちばんだいじな子にも、手をだした!もうおれじゃぜんぜん、じょうずに、どしゃくずれをおこせない!たすけてっていっても、あいつはたすけにきてくれなかった!」
半狂乱で訳の分からない事を叫び散らすプラスに、その腹に抱き着いていたベストが勢いよく、その顔を上げた。
「土砂、崩れ……?」
「アイツ、みたいにじょうずにできなかった!えらくなっただけじゃ、だめだった!じょうずに、どしゃくずれをおこさないと、たいらに、ふみならせないのに!だからあの子はしんだ!ぜんぶおれのせいだ!おれは、びょうきのわがこを、いえからおいだした!あのこも、ひとりでしんだ!くるしんで、ないて!たすけてって、いうこともできないまま!」
あぁぁああ!
もう、プラスの目からは大粒の涙が止めどなく流れ始めていた。それこそ大雨が降っているみたいに。毎年、夏の終わりにやって来る嵐がプラスを襲っている。
「……やっぱり、そうだった。スルーは、プラスは、俺のせいで不幸になった」
そして、プラスに抱き着くベストもまた同様だ。
その小さな体に後悔ともどかしさを抱え、大好きな人の涙を拭ってやる事も出来ず、頼りないその手で好きな人の背中に腕を回す事しか出来ない。
「悪かった。スルー、俺が約束なんかしたせいで。俺が手紙なんか書いたせいで。俺が傍に居てやれなかったせいで。俺がお前を不幸に縛ったんだな」
ぽろり、ぽろり。
ベストの頬にも涙が零れる。にわか雨みたいな涙だったけれど、本当はもっと、カナリヤの歌を聞いた時みたいに、大声で泣き喚きたい筈だ。けれど、それがベストには出来ない。
重い、重い、足枷が今、二人の心の自由を奪っている。
このままじゃ、二人共前世の足枷のせいで、襲ってくる荒波に抵抗できずに溺れ死んでしまう。
「っく……じゃなかった!チクショウ!」
俺は思わずこの状況に「クソ」と言いたいのを必死に堪えて「チクショウ」と言い直す。ベストはきっと俺の言葉なんか聞いちゃいないと思うが、これは俺の心の問題なのだ。
俺はお父さんだ!
家族が苦しんでいたら、助けに行かなきゃならない!