334:ニセモノのおとうさん

 

 

 そして気付けば俺は姿かたちを変え、此処に居た。

 “スルー”だった時の記憶は完全に残したまま、ただ今度の俺はスルーとは大いに立場を異にしていた。

 

 マナと呼ばれる体内に有する“力”が、人よりも多かった。たった、それだけ。

 それだけの事で、俺はあれよあれよという間に、この教会と呼ばれる利権組織の中で、その地位を上げていった。

 今では、俺の所属する医療役庁の中では……いや、この西部地方を管理統括するパステッド本会の中ですらも、実質的に一番マナの多い人間は、この俺である。

 

 スルーの時よりも、今の俺の方が金も地位も権力も、知識も、そしてこの世界の唯一にして絶対の階級制でもある“マナ”すらもある。

 それなのに、どうしてだかここでも俺は“変り者”だった。いや、“厄介者”と言った方が良いだろうか。

 

「……クソ、クソ、クソ」

 

 アイツの口癖を真似してみる。そうすると、少しだけ、腹の底のドロドロとした感情が納まる気がするのだ。どうやら、この“クソ”という言葉は、周囲に対する苛立ちや腹立たしさを、いつも的確に表現してくれるらしい。

アイツが何かに付けて口にしていたのも頷ける。権力の集まる所には、クソしか居ない。

 

「クソ、クソ、クソ」

 

 美しい光の差す下を、俺は大股で歩き続けた。そうやって、クソと呟きながら歩く俺を、周囲の神官達が気味の悪そうな表情を浮かべ、見てくる。何やらヒソヒソと俺に対して不平不満を口にしているようだが、そんなの見ないフリ、聞こえないフリだ。

 

 どうせ、直接は何も言ってきやしない。なにせ、俺はここでは偉いのだ。マナも多いし。

 だからこそ排除されないだけで、今の俺はこの教会でも異質である事は確かだった。

 

 なにせ、俺はこの教会の既得権益を失くそうとしている、頭のおかしい神官なのだ。

 

「なにが罪人だ。何が罪の浄化だ……クソ、クソ、クソ。クソッ!」

 

 教会は腐っている。

 自分達を正義だと信じ、目も当てられないような非道い事をする。マナの大小だけで、他者を虐げ、挙句の果てには子供にすら手を出し愉悦に浸る。

 

 前世の記憶と共に有されるマナの保有量は人それぞれだ。

 けれど稀に、記憶も、マナも一切持たない子が、この世に生を受ける。神官達はそんな子らを「前世の罪を背負った邪悪な人間」と呼んだ。マナの量が少ない人間も、また同様である。

 

 神から与えられる祝福を受けなかったのは、前世に大きな罪を犯したからだという理屈らしい。

 

「……ならば、どうして俺にはマナがある。記憶がある。そんなの、おかしいじゃないか」

 

 そうなのだ。前世の罪がマナの量を左右するならば、俺こそが「マナ無し」として生まれて来ても良かった筈だ。

 なにせ、“スルー”は妻と息子を見殺しにし、自分を責めた娘の死に何も感じなかった冷酷な男だ。挙句、そんな中でも自分の幸福を諦めず、一人だけおめおめと生き続けた。

 こんな俺が「マナ無し」にならず、どうしてこんな地位にまで登りつめられる程のマナを持つというのか。

 

 だから、俺は考えた。

 

「俺達神官こそが、罪人だ。悪だ。クソだ。ケダモノだ」

 

 マナの多さは前世で背負った罪の多さに比例するのでは、と。だからこそ、神は前世の記憶を敢えて俺達に残したのだ。お前の“罪”を忘れるな。そう、言いたいのではないだろうか。

 

 人は自分の弱さを隠す為に、逆に相手を攻撃する生き物だ。

 そう。まさに“村長”というちっぽけな権力に縋り、俺に暴力を振るう事で自身の罪から逃げ続けた、あの“老いぼれ”のように。

 

 教会の先人たちは、その不都合な真実を隠すために、マナでの階級制を作り、真に純真な彼らを迫害するような制度を作った。

 

 本当に神から祝福されているのは、俺達ではなく“マナ無し”と呼ばれる彼らの方だ。だって、彼らはとても美しく笑う。何のしがらみもない、今だけを想い必死に生きる彼らの姿は、何よりも輝いて見えるのだ。

 

———お父さーん!

 

「……本当に、腐ってる」

 

 ふわり。

 身に纏っていた法衣服が風に舞う。俺はアイツらと同じ服を身に纏っている事が、正直言って不愉快で仕方がない。脱ぎたい、こんな服、脱ぎ捨ててしまいたい。

 

 けれど、この服を着ていなければ出来ない事があるのも、また事実だ。

 

「あっ!おとうさんだー!」

 

 そう、子供特有の高く可愛らしい声が、俺を呼ぶ。

 

「イン!」

 

 ドロドロと腹の中で湧き上がっていた熱い感情が、一気に川の流れのように穏やかになった。俺は俺の方へと駆け寄ってくる一人の少年に向かって両手を広げる。

 すると、俺にインと呼ばれた少年は纏っていた簡素な服をなびかせ、俺の方へと転げるように駆けだしてきた。

 

「おとうさん!」

 

 腕に飛び込んできた温かく柔らかい存在に、俺はインをそのまま抱き上げた。そんな俺の姿に周囲の神官達の不愉快な視線が更に強まる。

 

 

———あの“変り者”、また余所から子供を盗ったらしいぞ。

———あぁ、知ってる。学窓の奴らが横取りされたと怒っていたな。

———医療役官の奴らも、アイツには困っているらしい。なにせ、アイツは子供は全部独り占めしようとするからな。

———どうせ、毎晩子供を使っているんだろうよ。

 

———特に“あの子”は、随分とお気に入りらしい。

 

 

 見るな、聞くな。

 あんなクソみたいな奴らに構っていては、時間がもったいない。

 

「おとうさん!さっき、また新しい子が来たよ!」

「あぁ。名前は“ニア”だ」

「また?おとうさんって、女の子はすーぐニアにするんだから!」

「可愛いだろ?インの妹さ」

「えへへ。今度は長く居てくれるといいなぁ」

「……あぁ、本当にな」

 

 インの無邪気な言葉に、俺は静かに目を伏せた。

 俺は偉いのに、マナもたくさんあるのに、知識だってある、文字だって書ける、それなのに――。

 

「あのね。フロムは今日、連れて行かれちゃった。みんな、すぐにどっか行っちゃう。さみしいなぁ」

「……ごめんな」

「?」

「……ごめん」

 

 俺は今日も、子供一人まともに守り切れなかった。