336:ハレの日

 

        〇

 

「なんだ?」

 

 最近、俺の周囲は少しだけおかしかった。

 俺への不平不満を帯びた陰口。まぁ、これはいつもの事だ。これだけだったら、別に俺は大して気にしなかっただろう。ただ、その中でいつもと様子の異なるのが、他二庁の上級役官の医療庁への出入りの増加だ。

 

 なにやら、ヒソヒソと俺の部下と何かを話しているようなのだが、俺の存在を認識すると、すぐに離れて行く。

まるで、俺に聞かれては困る話でもあるようだ。

 

「……お前ら、最近何か企んでいないか」

「何をおっしゃっているのか。私にはまったく分かりかねます」

 

 俺の部下の筈なのに、まったく俺の事を見ることなく答える彼らは、もう俺が居るだけで不愉快そうだ。

 

「何をしようと構わない。ただ、“あの子”には手を出すなよ」

「……私達は、神官としての職務をまっとうするだけです」

 

 冷たく口にされる言葉は、否定でも肯定でもない。こういうどちらともとれぬ言い方を、ここの神官達はよく使う。それが、俺は苦手で仕方が無かった。白か黒か。口にされる相手の向こう側を窺い知るのは難しい。

 

——–スルー、お前は一体どうしたい?

 

 ヨルが居てくれたら。

 ヨルが一緒だったら。

 

 その瞬間、俺は頭を激しく横に振った。そんな、今ここに居もしない相手に、希望を託しても仕方がない。無駄だ。もう、この世界には“ヨル”なんて居ない。

 どこにも居ないのだ。

 

 俺はきつく唇を噛み締めると、脳裏に焼き付くあの文字を思い出してしまった。

 

——-スルー。会いたい。

 

 嘘つきめ。会いたいなんて、これっぽっちも思っていなかった癖に。

 ヨルはきっと、俺の事なんかすっかり忘れてしまっていたに違いない。もしかすると、別の“かなりや”を飼って、ソイツに毎晩歌ってもらっていたのかも。

 

 あぁ、そうだ。そうに決まっている。

 ソイツをよしよしして、素晴らしいって褒めていたんだ。

 

 俺は神官達を前に、珍しく別の場所で腹が煮えくり返るのを感じた。すると、そんな俺の脇で、それまで此方を面倒そうに見ていた神官の一人が、珍しくその表情をおさめ、俺に話しかけてきた。

 

「そんな事より、今日の予定は把握されていますか」

「……いや」

「今日は、スラム街でのマナ測定業務です」

「え?」

「何か問題でも?」

「い、いや。俺が行ってもいいのか?」

「ええ」

 

 部下の言葉に、俺は思わず目を瞬かせた。

 そう。スラム街は、貧富の差の激しい此処西部地方において、もっとも貧しい者達の住まう場所だ。

 

 貧しい場所には子供が多い。

 それは、やはりどの世界でも同じで、スラム街や、スルーの住んでいたあの村は、ともかく子供の数が多かった。なにせ、子供を沢山産めば、それだけ働き手も増える。それに、この世界で言えば、マナの多い子供を産む可能性だって増えるからだ。

 

 そう、こうして測定の日に、連れて行かれる子供は、なにもマナの少ない子供だけではない。むしろ、マナ無しの子の方が稀なのだ。逆にスラム街の住人は、我が子が神官によってマナの量が多いと判断され、教会へと召し上げられて行く事を夢見る。

 

 貧しい生活から抜け出す為の、唯一の方法として、親は子供に希望を託すのだ。そういった現実があるからこそ、記憶が薄いと判断された子供は、親がすぐに育児を放棄する。

 希望を託せぬ子供に、貧しさの中で得た貴重な食糧を分け与えている余裕はないからだ。

 

 そうやって、あの“イン”もスラム街で、餓死直前の所を俺が拾ってきた。体の大きさからして、まだ五歳にも満たなかったであろうインを。

 

——だあ、れ?

——俺は、キミの“おとうさん”だよ。

——おと、うさん?

——そう、おとうさんだ。

 

 そこからだ。

 俺は、スラム街でのマナ測定業務がある時は、必ず希望を出すようになった。けれど、それは俺の役職が上がるにつれ、聞き入れて貰えなくなっていった。こんなモノは、上級医療役官の仕事ではないといって。

 

 けれど、俺は知っている。俺をスラム街に連れて行けば、そこから連れ帰る子供達を、俺が自分の治療室に連れて行くから、アイツらは面倒なのだ。

 

 他二庁の上からの糾弾だの、庁同士の関係性がどうだのこうだの。

 いらぬ根回し、本質のない無駄な相手への慮り。まったく、そんなのは全てクソくらえだ。

 

 けれど、どうやら今回は俺が行ってもいいらしい。

俺は最近の部下達の動きに怪しさを感じていた為、今回のコレも何か裏があるのでは、と訝しんだ。

 

「……本当に、いいのか」

「はぁっ」

 

 すると、どうやら俺の表情で全てを察したのであろう。俺の予定を口にした神官は、大きな溜息を吐くと、一枚の紙を俺へと手渡して来た。

 

「今日はハレの日という事もあり、学窓庁では入教式、布教庁では帝国国教会からの視察に伴う総代会に加え、民間では婚姻の宴が数多く開催予定……と、業務が各庁膨れ上がっています」

「……確かに、そうだったな」

 

 ツラツラと感情もなく述べられる予定に、俺は確かに上級会議でそんな予定を聞いた気がする、と紙面に掛かれた教会内の大きな二つの予定に頷いた。

 

 ハレの日。

 それは、教会で昔から言われている、年に数えて数日しかない“縁起の良い日”なのである。その為、この日はいつにも増して、様々な行事が被ってしまうのだ。

 

 そうか、今日はハレの日か。