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「なんだ?」
最近、俺の周囲は少しだけおかしかった。
俺への不平不満を帯びた陰口。まぁ、これはいつもの事だ。これだけだったら、別に俺は大して気にしなかっただろう。ただ、その中でいつもと様子の異なるのが、他二庁の上級役官の医療庁への出入りの増加だ。
なにやら、ヒソヒソと俺の部下と何かを話しているようなのだが、俺の存在を認識すると、すぐに離れて行く。
まるで、俺に聞かれては困る話でもあるようだ。
「……お前ら、最近何か企んでいないか」
「何をおっしゃっているのか。私にはまったく分かりかねます」
俺の部下の筈なのに、まったく俺の事を見ることなく答える彼らは、もう俺が居るだけで不愉快そうだ。
「何をしようと構わない。ただ、“あの子”には手を出すなよ」
「……私達は、神官としての職務をまっとうするだけです」
冷たく口にされる言葉は、否定でも肯定でもない。こういうどちらともとれぬ言い方を、ここの神官達はよく使う。それが、俺は苦手で仕方が無かった。白か黒か。口にされる相手の向こう側を窺い知るのは難しい。
——–スルー、お前は一体どうしたい?
ヨルが居てくれたら。
ヨルが一緒だったら。
その瞬間、俺は頭を激しく横に振った。そんな、今ここに居もしない相手に、希望を託しても仕方がない。無駄だ。もう、この世界には“ヨル”なんて居ない。
どこにも居ないのだ。
俺はきつく唇を噛み締めると、脳裏に焼き付くあの文字を思い出してしまった。
——-スルー。会いたい。
嘘つきめ。会いたいなんて、これっぽっちも思っていなかった癖に。
ヨルはきっと、俺の事なんかすっかり忘れてしまっていたに違いない。もしかすると、別の“かなりや”を飼って、ソイツに毎晩歌ってもらっていたのかも。
あぁ、そうだ。そうに決まっている。
ソイツをよしよしして、素晴らしいって褒めていたんだ。
俺は神官達を前に、珍しく別の場所で腹が煮えくり返るのを感じた。すると、そんな俺の脇で、それまで此方を面倒そうに見ていた神官の一人が、珍しくその表情をおさめ、俺に話しかけてきた。
「そんな事より、今日の予定は把握されていますか」
「……いや」
「今日は、スラム街でのマナ測定業務です」
「え?」
「何か問題でも?」
「い、いや。俺が行ってもいいのか?」
「ええ」
部下の言葉に、俺は思わず目を瞬かせた。
そう。スラム街は、貧富の差の激しい此処西部地方において、もっとも貧しい者達の住まう場所だ。
貧しい場所には子供が多い。
それは、やはりどの世界でも同じで、スラム街や、スルーの住んでいたあの村は、ともかく子供の数が多かった。なにせ、子供を沢山産めば、それだけ働き手も増える。それに、この世界で言えば、マナの多い子供を産む可能性だって増えるからだ。
そう、こうして測定の日に、連れて行かれる子供は、なにもマナの少ない子供だけではない。むしろ、マナ無しの子の方が稀なのだ。逆にスラム街の住人は、我が子が神官によってマナの量が多いと判断され、教会へと召し上げられて行く事を夢見る。
貧しい生活から抜け出す為の、唯一の方法として、親は子供に希望を託すのだ。そういった現実があるからこそ、記憶が薄いと判断された子供は、親がすぐに育児を放棄する。
希望を託せぬ子供に、貧しさの中で得た貴重な食糧を分け与えている余裕はないからだ。
そうやって、あの“イン”もスラム街で、餓死直前の所を俺が拾ってきた。体の大きさからして、まだ五歳にも満たなかったであろうインを。
——だあ、れ?
——俺は、キミの“おとうさん”だよ。
——おと、うさん?
——そう、おとうさんだ。
そこからだ。
俺は、スラム街でのマナ測定業務がある時は、必ず希望を出すようになった。けれど、それは俺の役職が上がるにつれ、聞き入れて貰えなくなっていった。こんなモノは、上級医療役官の仕事ではないといって。
けれど、俺は知っている。俺をスラム街に連れて行けば、そこから連れ帰る子供達を、俺が自分の治療室に連れて行くから、アイツらは面倒なのだ。
他二庁の上からの糾弾だの、庁同士の関係性がどうだのこうだの。
いらぬ根回し、本質のない無駄な相手への慮り。まったく、そんなのは全てクソくらえだ。
けれど、どうやら今回は俺が行ってもいいらしい。
俺は最近の部下達の動きに怪しさを感じていた為、今回のコレも何か裏があるのでは、と訝しんだ。
「……本当に、いいのか」
「はぁっ」
すると、どうやら俺の表情で全てを察したのであろう。俺の予定を口にした神官は、大きな溜息を吐くと、一枚の紙を俺へと手渡して来た。
「今日はハレの日という事もあり、学窓庁では入教式、布教庁では帝国国教会からの視察に伴う総代会に加え、民間では婚姻の宴が数多く開催予定……と、業務が各庁膨れ上がっています」
「……確かに、そうだったな」
ツラツラと感情もなく述べられる予定に、俺は確かに上級会議でそんな予定を聞いた気がする、と紙面に掛かれた教会内の大きな二つの予定に頷いた。
ハレの日。
それは、教会で昔から言われている、年に数えて数日しかない“縁起の良い日”なのである。その為、この日はいつにも増して、様々な行事が被ってしまうのだ。
そうか、今日はハレの日か。