337:あの頃のように

 

 

「それに伴って医療庁からも、各庁に対し準備の為に人手が多く取られる事になりました。ただ、明日以降の予定を鑑みると、スラム街へのマナ測定業務は日をズラす事は出来ません。まぁ、不満がおありなようでしたら、どうにか別の者を手配させます。上級の方の手を煩わせるような業務ではありませんし」

 

 嫌味ったらしく、わざとらしく口にされる言葉に、俺は少しばかり慌てた。こんな機会、なかなか無い。

 

「行く。人手が足りていないのであれば、今日は俺一人でいい」

「さすがにそれは……」

「うるさい。たまには俺の言葉に黙って従え。足手まといはいらん」

「……そうですか」

 

 頷く部下に、俺はすぐさま踵を返すと速足で教会内を駆けだした。そうと決まれば早くスラム街へ行かねば。

きっと、俺の新しい子供達が居るはずだ。

 

 早く、早く、早く!

 

 俺はバタンと勢いよく俺の治療室に舞い戻ると、部屋の中で仲良く遊んでいた子供達が、一斉に俺の方へと振り返ってきた。

 

「おとうさん!」

 

 その中で、やはりインは俺の顔を見た瞬間、転げるように俺の元へと駆け寄ってくる。

 あぁ、かわいい。なんて、かわいいんだろう。

 誰よりも、愛おしい。

 

——-嘘つけ。お前は、我が身が一番可愛い癖に。

 

「おとうさん!もう今日はお仕事は終わったの?」

「……」

「おとうさん!おとうさんったら!」

「っ!」

 

 俺の頬に自身の頬を寄せてくるインに、俺はハッとした。いけない。また腹の中のスルーが嫌な事を言うのに引っ張られてしまった。

 

「いや、まだこれからお父さんはお仕事だ」

「そんなぁ、帰って来てくれたんじゃないの?」

「ごめんごめん。それに、今日は少し帰りが遅くなりそうなんだ」

 

 そんな俺の言葉に、インをはじめとする子供達が一斉に「えーっ!」という非難めいた声を上げた。こんなに俺の存在を求めてくれる場所は、この教会の中で此処を除いては他にはない。

 

 俺は、この子達が居るから此処に居る。生きていける。まだ、この腐った世界を美しいと思う事が出来る。

 

「その代わり、今日はハレの日だからな。帰ったら、いつもよりうんと夜更かししてお話会をしよう。あと、外では内緒だけれど、甘いお菓子も買って来てやる」

「やった!やったー!」

「甘いおかしだって!」

「早く寝なくてもいいんだ!」

 

 喜ぶ子供達の中で、俺に抱き着いていたインだけは未だにふくれっ面だ。

 

「そんなのより、おとうさんが早く帰ってきてくれるほうがいい」

「イン」

 

 イン、イン、イン。

 どうして、お前はそんなに俺の心を満たしてくれるんだろう。

 あの“イン”とソックリな顔で、同じような輝きを秘めた目で、可愛らしい声で、同じように俺を“おとうさん”と、呼んでくれる。

 それが、どれ程までに俺の心を救ってくれているか。きっとこの子は欠片も分かっちゃいないのだろう。

 

「わかったよ。イン、出来るだけ早く帰ってくるから。良い子で待っていなさい」

「……」

「イン?」

「……かえったら、一緒のおふとんでねて」

「あぁ、もちろん」

 

 インは俺が頷くと、少しだけ機嫌を直したのか、そのまま頬に寄せていた口元を俺の耳元へとソッと近づけた。寄せて、小鳥が囀るように囁く。

 

「二人だけで、ひみつのおしゃべりもして」

「ふふ。あぁ、いいぞ。男同士のお喋りだろう?」

「そう、ひみつのお話ね」

 

 インはクスクスと笑って俺から離れていくと、俺に向かって大きく手を振った。

 

「おとうさん、いってらっしゃい!」

「あぁ。……そうだ。イン、皆?誰が来ても、今日はこの部屋の扉を開けてはいけないよ?」

「どうして?」

 

 首を傾げる子供達を前に俺は、ふむと手を顎に添えた。

 今日は俺が外に出るから、ケダモノ達が手を出してきても、すぐに気付いてやれないから。なんて、子供達に言える筈もない。

 

 だから――。

 

「悪い狼が、皆を食べに来るかもしれないからだ!」

「狼!こないだお話に出てきたヤツだ!」

「そうだ。狼は内側から扉を開けない限りは大丈夫だ。ただ、開けたら皆なんて全員食べられてしまうからな」

 

 ちょうど、少し前にお話をした人食い狼の話を使わせてもらう事にした。ちょっぴり、狼に申し訳ない気分になる。本当は、狼は臆病で、家族思いな動物なのに。

 

 

——-あぁ、見た目に反して臆病な生き物なんだ。自分達から人間に近寄ったりしない。

 

 

 懐かしい声が耳の奥で聞こえた気がした。あぁ、そうだったな。

 けれど、こうでも言っておかないと少し心配なのだ。

 

 この子達は、籠の中で生き過ぎて、野生の本能を失くしてしまっているから。

 この部屋には、俺のマナで厚い壁を作っている。それは外側からは鉄壁の壁だが、子供達の方からは何て事なく外へと出る事が出来るようになっているのだ。

 

「いいか?だから、今日は絶対に外には出たらダメだ。約束できるか?」

 

 本当は閉じ込めておいた方が安心なのだが、それだと本当に子供達が俺の“所有物”のように思われて嫌だった。俺は、この自分の中にある不安を消す為だけに、不自由な世界で生きる可愛い我が子から、羽ばたく自由すらも奪いたくはない。

 

 この子達には、不自由な世界であっても自由で居て欲しい。

 そう、祈るような願いが、俺の中にはある。

 

「わかった!約束できる!」

 

 インの声に重なって、他の子供達も俺に向かって笑顔で頷く。その様子に俺は、心が穏やかになるのを感じると、今度こそ子供達に向かって手を振った。

 

「じゃあみんな、今日はハレの日だ。俺が帰って来たら、うんと夜更かしをして、甘いお菓子を食べてお祝いしよう。じゃあ」

——-いってきます。

 

 いってらっしゃい!という子供達の楽し気な声が俺の背中を温かく押した。

 あぁ、今日はなんて良い日なのだろう。

 

 そう。今日はハレの日だ。そういえば、インを拾ってきたのも、確かハレの日だった。

 だとすれば、今日をインの生誕の日にして、皆でお祝いをするのも良いかもしれない。

 

 俺は法衣服を靡かせ、身軽な気持ちで教会を駆け抜けた。まるで、“あの頃”のスルーに戻ったような気分だ。ここは広い原っぱで、今は夜。家に帰れば、俺の家族が待っている。

 少しだけ表情が緩む。

 こんな気持ち、久しぶりだ。

 

 スラムでの仕事も楽しみだが、俺はあの温かい場所に一刻も早く帰ってやらねばならない。だって俺は、あの子達の“お父さん”なのだから。

 

「ふふっ!何を買って帰ろう!」

 

 飛び跳ねる俺に、通りすがりの神官達が驚いたような表情を向ける。そして、相手が俺だと気付けば皆して眉を顰めた。

 気にしない気にしない。あぁ、気にならない!

 

 今日は、ハレの日。

 キミと俺が出会った日だ。