338:皮肉なハレ

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「はぁっ。思ったよりも遅くなったな」

 

 俺は真っ暗になった街を通り抜け、教会へと戻って来た。スラム街でのマナ測定業務を一人で請け負ったのは俺の希望であったが、いや、これは重労働だった。

 なにせ、ともかく子供が多かったのだ。

 

「でも、まぁ。今回はみんな元気で普通の子らだったな」

 

 捨てられているような子も見受けられなかったし。

 季節柄、まだ食べ物の取れなくなる冬とは違い、今はスラムでも多少余裕のある季節だ。だからだろう。インのような子も、マナ無しの子も、そしてマナの多い子も居なかった。

 

「……それが一番良い事だ」

 

 マナさえなければ、今日のスラムのような状況が最も素晴らしい。貧しさは消えぬだろうが、マナによる差別や、それに伴う残酷な仕打ちも無くなる。それでいい。マナはなくとも人は生きていけるのだから。

 

「それにしても、インの奴。怒ってるだろうなぁ」

 

 俺は手に持ったお菓子の入った袋を見下ろし、苦笑した。きっと帰ったら「おとうさん、おそいよ!」とプリプリと怒鳴られるに違いない。

 そう思うと、暗くなった大聖堂を抜ける足も、自然と早くなる。

 

 あぁ、まとわりつく法衣服がうっとうしい!

 

 俺は身に纏っていた法衣服を消し去ると、子供達とお揃いの奴隷服へ、一瞬で着替えた。履いていた靴も消す。

 

 ひた、ひた、ひた。

 大聖堂の大理石の床に触れる素足が、ひんやりして気持ちが良い。

 月明かりに照らされ光り輝く七色のガラスは、やはりいつ見ても美しかった。

 

「こっそり連れ出して、インにも見せてやろう」

 

 今日は夜更かしの約束も、秘密のおしゃべりの約束もある。

 このキラキラの光り輝く美しい光景を、インにも見せてやらねば。

 

「……だとすれば、そろそろアレが要るだろうな」

 

 アレ。

 それは、忌々しくも、インを守る鉄壁の鳥かご。

 インを拾って五年の月日が経った。そろそろ周囲の神官達から、インにマナの測定を行えとやかましく言われている。

 

「そろそろ、インに刻印をしないと」

 

 マナによる刻印。

 それは神官の専属奴隷を表す刻印だ。上級は、気に入った奴隷を専属化する事が出来る特権を持つ為、ごくまれに奴隷の中でも首筋にマナの焼き印を押された奴隷が居る。

 その焼印を付けた奴隷は、付けた相手にしか使役されない。

 

 他から手を出せなくなるのだ。

 この腐った教会で、インを守る方法はそれしかない。けれど、同時にそれはインを完全に鳥籠に閉じ込める事と、また同義だ。

 

「クソみたいな慣例だな。クソ、クソ、クソ」

 

 でも、そろそろソレをしなければ。

 何か間違いが起こる前に。

 インが十歳になって、完全に奴隷名簿に名を記される前に。

 

「閉じ込めたく、ないな」

 

 刻印をすれば、インは一生この教会から飼い殺される。安全と引き換えに一生この教会に縛られるのだ。今ならまだ、逃げる事も出来ようが。刻印されたら、どこに行っても連れ戻されるだろう。

 

「あと、少し。あと少しだけ」

 

 インを自由の中に。

 

 そう、俺は決断せねばならぬ現実から目を逸らした。いつかは決断する。だから、今日だけはまだ許して欲しい。

 

 ハレの日の今日だけは――。

 

 

「あれ?」

 

 

 俺は治療室の扉を開けた瞬間、思わず声を上げた。それもそうだ、開けた瞬間「おとうさん!」と、いつもならインが勢いよく駆け寄って来てくれるのに、今日はそれが無かった。

 反応がないどころではない。まず、俺の部屋には誰も居なかった。

 

「ま、さか」

 

 俺は腹の底がゾクリと高い所から落っこちるような感覚に陥った。

 まさか、そんな筈がない。

 

「だって、ここは俺のマナで壁を作ってる。誰も入れない」

——入れないけど、内側から外へ出る事は出来る。

 

「今日は、ハレの日で」

——だから、何だと言うんだ。

 

「インの生誕のお祝いを」

—–十歳になったら、此処の子供達はどうなった?

 

 俺は持っていたお菓子の袋を力無く落とすと、教会の中を駆けだした。

 

「そんな勝手なこと、するわけない。だって、俺、えらいし、まなだってたくさんあるのに」

——-偉いからって、マナが沢山あるからといって、話を聞いて貰えた事が一度でもあったか。

 

 どこだ、どこだ、どこだ、どこだ。

 駆け回る、駆け回る。

 

『……私達は、神官としての職務をまっとうするだけです』

 

 あの、白とも黒ともつかぬ言葉の真意はどこにある。

 最近、ずっとおかしいって気付いていた。気付いていたのに、俺は目の前の楽しい事や、嬉しい気持ちに引っ張られて気付かないフリをした。

 

——-イン、どうした?具合でも悪いのか?

——-ううん。オブが居なくて寂しいだけ。

 

 あの時もそうだった。嫌な未来から逃げる為に、目を逸らした。逸らすだけじゃ、逃げられない事もわかっていたのに。俺は、大事な時にいつも、目を閉じる。見えないようにする。

 

 あぁ、俺は一体、何度同じ過ちを犯したら気が済むのだろうか。