339:傲慢

※注)性暴力的な描写(直接的なものではない)が含まれます。

 

 

 

 

「おいっ!お前らっ!」

 

 

 俺は肩で息をしながら、夜にも関わらず何かを待ち構えていたように研究室に集まっていた神官達の元へ駆け寄った。

頭がグラグラする。もう、腹の底はずっと崖に落ちてるみたいにゾワリゾワリと嫌な感覚が走り続けていた。

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

「ちょっ、急になんっ」

「おいっ!あの子達をどこへやった!?」

 

 俺は今朝、俺にスラムへの仕事を回してきた神官の襟首を掴むと、そのまま自らの元へと引き寄せた。その瞬間、周囲の神官達も慌てたように椅子から立ち上がる。

 

「止めてくださいっ!私達は何もしていません!」

「そうだろう!お前らは何もしていないだろうが、お前らの手引きで誰かがあの子達に何かをした!さぁ、それを早く言え!言わなければ、またお前らごとこの部屋を――」

「すぐにそうやって暴力で私達をねじ伏せて!!」

「俺達はあなたの召使でも奴隷でもないっ!」

「あなたの下で働くなんて、もうごめんだ!」

 

 ここへ来ても尚、一切話が通じない。その瞬間、俺は胸倉を掴み上げていた部下の首を、両手で勢いよく締めた。

 もう、話が通じないのであれば、話などしない。そもそも、自らを奴隷ではないとのたまうその口で、他者を奴隷にする奴らと、話が通じる筈もなかったのだ。

 

あぁ、バカだ。バカ。俺はとことん愚か者だ。

 

「ぐはっ」

「言え、言え、言え、言え」

 

 コイツらとなど話す気にはなれない。だから、もう端的に、簡潔に、それだけを口にする。そんな俺に、周囲の神官達は、恐怖で支配されたような目を俺へと向けてくる。そうして、誰一人として、何も言えなくなってしまったこの場所で、俺の背後から“声”が聞こえた。

 

「部下への暴力行為、恫喝、奴隷の独占。まさか、お前がここまで堕ちていたとはな」

「明日にでも罷免議会を招集しないと」

「なんで、アイツは奴隷服なんか着てる」

「さぁな、変わり者のやる事は理解できん」

 

 その声は、よく上級会議で聞いていた声だ。名前は知らない。興味もない。多分、どこかの上級。そして、俺よりもマナの少ない、弱い奴ら。

 俺が首を絞めていた部下から手を離す。すると、その拍子に俺の足元に倒れ込んだソイツは、蹲ったまま首元に手を当て、激しく咳き込んだ。

 

 あぁ、まだ生きていたのか。まったく、しぶといな。

 コイツらが生きようが死のうが、俺にとっては何の問題もない。

 そう、そんな事より、だ。

 

「……あの子は、ど」

こだ。

 

 そう、静かに問いかけながら俺が声のする方へと振り返った時だ。

 

 そこには、それまで俺が必死に探し求めていた“あの子”が居た。たくさんの上級法衣服を着たケダモノ達に囲まれて、

 

「……え」

 

 裸で立っていた。

 

 その体はボロボロで、何をされたかなんて明白だった。足の間からは血の混じった朱色の液体が、その白く細い足を伝って流れ出ている。

 

「……いん」

 

 俯いて、両手で肩をだき、震えているのに、声ひとつ上げない。まるで、何かに首を絞められているかのように、あの子は自由を奪われていた。

 そう、その首筋にはハッキリと刻印が刻まれている。自由を奪う、鉄壁の鳥かごであり、牢屋。そこに捕らえられた、哀れな人間の印だ。

 

——-おとうさーん!

 

 なぁ、いつもなら、俺を見たら子犬みたいに駆け寄って来てくれていたじゃないか。

 お父さんと呼んで、温かい体を俺へぶつけてきて。頬を寄せて、耳元で囁いて。笑ってくれていたじゃないか。

 

「……いん?」

 

 俺が震える声で、けれど出来るだけいつものような声色で、再びインの名を呼ぶ。すると、“イン”と呼ばれたその子は、俯いていた顔を力無く上げた。

 

「……」

「……あぁ」

 

 顔を上げたその目には、もう何の光も映しちゃいなかった。鈍い泥のような濁った瞳は、かろうじて俺を見ている風ではあったが、そこにその子の意思は何一つ映りこまない。

 あぁ、もう、あの子は“イン”じゃない。

 

「……イン?まさか、奴隷に名前まで付けているんですか?」

「本当に、頭のおかしい奴は何を考えているのかわからないな」

「そんなおかしな事をしているから、周囲への示しがつかず、部下から信頼も得られないんだ」

 

 マナの刻印によって、感情の全てをアイツらの誰かに支配されている。体の自由も、感情の自由も奪われ、あそこに居るのはただの人形だ。

 

——冬で良かった。夏なら死体が腐っていたな。

 

 死体を納屋に取りに行った時に見たインの姿と、今目の前に居る“イン”の姿が妙に被る。

 

「いん。ほら、お父さんだよ。こっちへおいで」

「……」

 

 イン、イン、イン。

 何度も何度も名前を呼んでみる。けれど、インはもう俺の声にすら反応しなくなっていた。ぽたり、ぽたりと朱色の液体が床を濡らす。

 この子はもう、泣く自由すら奪われてしまった。

 

 それもこれも、全部、全部、全部――。

 

「へぇ、父親気取りで子供を集めていたワケか」

「一旦、制御を解いてやったらどうだ。どれだけうるさいか、そうすればコイツにも分かるだろう」

「……そうだな」

 

 そうだな。

 と、ちょうどインの後ろに立っていた浅黒い肌をしたどこかの上級が、ポンとインの頭に触れた。触れた瞬間、それまで色のなかったインの瞳に、ジワリと光が宿る。

 

 あぁ、アイツか。インに刻印をしたのは。

 

そして、宿ったと同時に、その部屋には甲高い空気の振動が部屋中に響き渡った。

 

「――――――」

 

 それはまるで野生動物が敵を前にしたような、もう表現しようにも、それは悲鳴の域を越えていた。

 その空気の振動に、部屋に居た下級上級、全ての神官達の表情が歪む。うるさい、と嫌悪するように歪むその顔に、俺は腹の底から何かとてつもない感情が湧き上がるのを感じた。

 

 自分達が壊した幼い子供を前に、そんな感情しか湧き上がってこない腐りきったクソは、もうどうしたって救いようがない。

 もう、壊すしかない。土砂崩れを起こして、全部地面の下に埋めてやろう。

 

 そうして、その上を俺が踏み均してやる。

 

「ぁーーーー」

 

 インはその場に体を震わせながら蹲ると、そのうち発していた音を徐々にか細い悲鳴へと変えていった。

 

 けれど、何の事はない。

 俺にとっては、先程の空気を震わすあの音も、今の震える小さな悲鳴も、どれもこれも「おとうさん」と、インに呼ばれているようにしか聞こえないのだ。

 あぁ、イン。なんで裸でそんな所に居るんだ。風邪を引くだろう。

 

「ほら、イン。おいで、お話をしてあげよう。もう今日から、絶対にお前を一人にはしないよ」

「ぁーーーー」

「わかった、わかった。お父さんがそっちに行くよ」

 

 俺は一歩、また一歩とインの元へと近づく。未だに裸の体をガタガタと震わせ地面に顔をこすりつけるインは、もう、完全に心を壊してしまっていたが、大丈夫。

 生きてさえいれば、なんとかなる。

 

 生きてさえいれば。

 

「うるさいな」

 

 その浅黒い男の声と同時にインの声がピタリと止んだ。

 あぁ、心を壊され、自由を奪われた生というのは、それは果たして“生きている”と言えるのだろうか。