343:遅すぎた羽ばたき

 

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 パラリ。

 

 その日、郵便飛脚によりもたらされた情報に、俺は深く息を吐いた。

 

『……っふぅー』

 

 息を吐き、そして自らの胸ポケットから、手帳を取り出す。取り出す手は、いつもに増して震えていた。

 

 あの街の籍登録の紙面。そのいつもの場所から、スルーの名が完全に消えていた。

 そして数ページを捲り、削除者の一覧を上から順になぞる。

 

 すると、上から四つ目の欄にスルーの名が記載されていた。

 削除日を見れば(詳細不明)の文字。

 

『……はぁっ。はぁっ……スルー』

 

 それは、死亡者がいつ死亡したか不明な場合に記される。戦争や災害など、有事の際の記録にはよく見られるモノだが、このような何もない平時に記される場合、理由は一つしかない。

 

 誰にも看取られず死亡し、死体の発見が遅れた場合。

 

『はぁっ、はぁっ、はぁっ』

 

 激しくなる呼吸。何をした訳でもないのに、肩が激しく上下する。

 そう、俺はただの一文だけで記されたその情報だけで、呼吸すら上手くできなくなってしまっていた。

 

 なんだ、これは。これは感情の介在しない、ただの情報だ。それなのに、どうして俺はここまで自身の感情の全てをかき乱されている。俺の処世術では処理しきれないナニか。

 

 落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 

『するー。お、お前は……し、んだのか?』

 

 手の震えは止まらず、先程胸ポケットから取り出した手帳を握る手にも力が入らない。

 入らないせいで、バサリと音を立てて手帳が床へと落ちた。拾わなければ。そう、俺が震える手で、床に落ちた手帳を拾おうとした時だ。

 

『っ!』

 

 落ちた手帳の間から、一枚の紙が顔を出していた。

 

『す、るー。するー。スルー。スルーっ!』

 

 顔を出した一枚の紙切れ。

 そこには、スルーから初めて貰った、俺への“手紙”があった。

 そう、最初で、そして最後の手紙。

 

——-俺は、今でもヨルが好き。

 

 スルーの描いた、夜の絵。

 黒く塗られた紙の中に、ポツポツと小さな白い点と、大きな丸がある。

 夜。それは俺達だけの、秘密の時間だった。二人が自由になれる、大切な時。

 

 

——ヨルヨルヨルヨルー!おーい!今日は何をする!?踊りか?歌か?それともお話をするか?あーあ!ずっと夜ならいいのになー!だって、そうしたら、ずっとヨルと遊べるのになー!

 

 

『スルーっ!会いたいっ!』

 

 耳の奥で聞こえる、スルーの声。その声に、俺は初めて免罪符ではない、ありのままの気持ちを口にしていた。

 

 愚かだ。もう、愚かとしか言いようがない。

 もう会えないと分かって初めて、籠の外へと飛び出した俺の気持ち。

 

『っはぁ、っはぁ!スルーっ!』

 

 俺は部屋から飛び出すと、スルーからの手紙だけを持って馬へと飛び乗った。

もう、昔のように無理が出来る体ではない。けれど、でも、そんな事などどうでも良かった。

 

『スルー、愛してるっ!会いたいっ!どんな姿でもいい、どんなお前でもいいっ!変わり果てていてもいいっ!歌ってなくてもいいっ!笑っていなくてもいいっ!』

 

 いつか、こうなる事は分かっていた。

 家族を亡くし、身寄りのないスルーが一人で誰にも看取られる事なく、逝ってしまう事など、ずっと分かって――。

 

『ちがうっ!』

 

 俺は馬にまたがり、風を切り、駆け抜けながら自分の心を叱咤した。俺は、スルーの死が(詳細不明)になる事など、予想してなどいなかった。

 

 だからこそ、俺の心はここまでかき乱されているのだから!

 

——–ヨル、俺はな。

 

 そう、初めて崖の傍で“約束”を交わした日。

 あの日のスルーの言葉が、俺の脳裏に鮮明に焼き付いている。焼き付いて、焼き付いて。それはもう彫り込まれた刻印のように、俺の中に刻みついているのだ。

 

 

——–俺は、イン達が巣立って、ヴィアも森に帰って行ったら、もう一人で死ぬだけだと思っていたんだ!

——-でも、さすがの俺も、死ぬまでには少しだけ時間がある。ずっと一人は寂しいし、かと言って早く死のうにも、俺は丈夫だ!なかなか死なないだろうから困っていた!

——-だから、もう一人が嫌になったら、この崖から飛び降りるのもいいかなと、思っていたんだ。

 

『けれど、お前は、崖には行かなかった……!』

 

 スルーの事だ。

 俺はどこかで、アイツは崖から身を落とすと思っていた。そう、家族を亡くし、希望を失くしたアイツは、もう人の営みから切り離された世界へと行ってしまうだろうと思っていたのだ。

 

 崖に身を落として、この世を去ると。

 俺の知っているスルーならば、そうするだろうと思っていた。

 

 けれど、違った。

 何故か、なんて。そんな事は考えなくとも分かる。

 

——-約束したぞ、スルー。

 

 そう、俺が言ったんじゃないか。

 スルーは、ずっと、ずっと。

 

 

——-スルー、俺と約束をしろ。そんな事を言われてしまっては、否という選択肢は受け入れない。お前が嫌だと言っても、俺が迎えに行く。

 

 

 俺を、

 

——-約束する!家族を守って幸せにして、俺はヨルが迎えに来るのを待とう!そして、また会えたら、今度は死ぬまで一緒だ!ずっと一緒に居て、ずっと一緒に歌ったり踊ったりして、一生楽しく過ごすんだ!

 

 

 待っていたんだ……!

 

『スルーっ!お前は、ずっと、ずっと、ずっと!寂しいのを我慢しながら、一人きりで俺が来るのを待っていた……!そうだろ!?』

 

 心が、傷付きながら籠の外へ飛び出した。もう遅いと分かっていながら、俺はそうせざるを得なかった。

 

『会いたい、会いたい、会いたい会いたいっ!スルーっ!』

 

 俺は目を逸らした。逸らし続けて、選ばなかった。

 会いたいと言いながら、会いに行かず。

 

 かといって忘れる訳でもなく、スルーからの手紙を胸に仕舞い、愛してるなどと口にし続けた。

 更には、毎日、毎日、あの街の籍情報に欠かさず目を通し、スルーの名を確認しては安堵し、心臓を握り締められるような罪悪感で、その愛を確かめた。

 

 自分の心の手綱すら握らず、目を逸らすだけで、逃げもしなかった。

 その代償は、余りにも大きく、心を守る為の愚かな行動で、俺は俺の心だけでなく、スルーの心をもズタズタにした。

 

 誰よりも一人を怖がる愛する人を、

 

 

 俺は、一人ぼっちで死なせてしまった。