348:踊り出た男

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『やぁ、こんな所でどうしたんだ?何か困った事なら、俺に言ってみろ!このスルーは子供を泣き止ませるのが大得意だからな!』

 

 そう、片目を瞬かせながら現れたのは、本人の言うように、紛れもなく“スルー”本人だった。その笑い方、話し方、仕草の全てに至るまで、その全てがスルーそのものである。

 

『なっ、なっ……!』

『ん?』

 

 此処に辿り着くまでの間に、俺は全てを見た。受け止めた。全てを見るのに、俺は一体いくつの眼鏡をかけては捨てたかしれない。

 歌と踊りと家族が大好きで、そして“よる”を最も愛していた男。そして、その全てを失い、その体にたくさんの怒りと悲しみと、後悔をいっぱいにして一つの世界にサヨナラをした。

 

『どうした?俺の顔が余りにも可愛いから見入ってしまったか?』

 

 そんな“スルー”が、今はこうして俺達の前に居る。

 俺がこの最深部へと落っこちる中で見て来た、それはスルーが一番笑って過ごしていた頃の“スルー”の姿だった。

 

『え?え?な、なんで……?』

 

 戸惑う俺を前に、スルーは軽く首を傾げると、俺の腕の中で丸くなっていたベストを、腰を曲げて興味深そうに見つめた。

 

『ふうん?』

 

 そう、そうだ。スルーは子供や小さいモノが大好きなのだ。村の子供達を見る時も、そして籠の中の小鳥や、フワフワの兎を見た時も、いっつもこんな表情を浮かべていた。

 

『どうした?可愛い子。どうしてそんなに泣いている?』

 

 そんなスルーからの問いかけに、先程まで俺の服に顔をこすり付けていたベストが、目を大きく見開きながら、スルーへと目を向けた。見開かれた目から、ポロリと大粒の涙が一粒だけ零れ落ちる。

 

『す、するー』

『そうだ。もう覚えてくれたか!なんて賢い可愛い子なんだ!』

 

 スルーの満点の笑顔に、俺の腕の中に居たベストがもぞもぞと動きだした。そんなベストに、俺はゆっくりとその体を離してやる。今のベストは、俺の知る“我が子”のベストではない。

 

 突然現れたスルーを前に、ベストはザンであり、ヨルになったのだ。その証拠に、もうベストは、先程の涙を最後に一筋だって涙を流さない。

 男の子は、好きな子の前では泣いている姿を見せないものなのだ。

 

『す、するー。あ、あいだがった』

 

 よたよたと歩きながらスルーの元へと両手を伸ばすベストに、スルーの目がキラリと輝く。その姿は、可愛いものや、素敵なものを見つけたプラスの顔そっくりだ。その表情に、俺はハッキリと思う。

 

『……あぁ』

 

 スルーとプラスは本当は一人だ。

それは、現実に向き合えず“自分”の気持ちを狭い部屋に閉じ込める時に作った、もう一人の俺と同じように、本来は共にあるべき二人。もしかすると、あの時の俺のように、この“スルー”は辛い事を全て抱え込まされて、プラスに崖から落っことされてしまったのかもしれない。

 

 でも、それならば何故、

 

『ありゃりゃ!可愛い子がこっちに来たぞ!そこの君は、この子のお父さんか?抱っこしても?』

『え、あ。う、うん』

 

 スルーは、こんなにも楽しそうなのだろうか。

 俺は、俺のマナの中で閉じ込められて、言葉すら失い小さく蹲っていた自分の姿との、余りにも異なる姿に、えらく戸惑ってしまった。

 しかし、そんな戸惑いを余所に、スルーはにこにこと笑いながら、自分へと近寄ってくるベストに向かってその両腕を抱っこの体勢に変えた。

 

『するー、ちがう。おれだ』

『ん?鼻水が出てるぞ?可愛いなぁ、可愛いなぁ』

 

 先程まで大泣きして癇癪を起していたベストが、途端にその濡れそぼった顔を両腕で激しくこする。きっと、好きな人にみっともない所を見られたくないのだろうが、どうしても、その涙を拭う姿は、いつも以上にベストを“子供”っぽくしていた。

 

『かわいいっ!』

『……っ待て!俺だ!ザンだ』

『あぁ、ザン君か。よしよし。俺に君を抱っこさせてくれないか?小さい子は久しぶりだ!よしよしして、ギュッとさせてくれたら、俺はこの世界で一番の幸せ者になれる!』

『スルー!ザンじゃ分からないか?ならば……そう。俺は、ヨルだ!こんな姿をしているから分からないかもしれないが、俺はヨルなんだ!』

『ヨル?』

『そうだ!遅くなって本当にすまない!俺を恨んでいてもかまわない!でも、本当に……やっと、お前を迎えに来れたんだ……だから、だからっ』

 

 最後の最後でベストの声がまたしても揺れる。

 

 先程まで、頭の中に流れ込んできていたスルーの記憶が頭を過ったのだろう。ずっと、ずっと、一人ぼっちで“ヨル”を待って死んだ、スルーの事を。

 けれど、そんなベストにスルーは一瞬だけその大きな目を瞬かせたが、何故かその視線は、次の瞬間、俺へと向けられた。