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ゴロリと寝転がって、真っ暗な空間を眺めてみる。
見上げてみて、何がある訳でもない。
そこに見えるのは、ただただ真っ暗な空間だけ。
けれど、スルーは言った。
——ここに座って、空を見ながら話そう!
そして、こうも言った。
——今は曇ってて、星も月も見えないが、きっとそのうち雲が晴れて星と月が夜空を照らしてくれるはずだ!
この暗闇の世界を、そんな風に表現するスルーに対して、俺はなんとも素敵だと思ってしまった。
なぁ、プラス?
お前は俺の事がずっと嫌いだったって言っただろ?
でも、やっぱり俺はお前の事が好きだよ。お前がスルーでもプラスでも、何色の眼鏡をかけていても。
俺は好きだよ。
〇
『へぇ、じゃあお前達はここに、人を探しに来たのか?』
『そう。でも暗くて見つけるのが難しいなぁって思ってたんだ』
『確かに、人探しには此処は暗すぎるかもな』
俺とスルーとヨルの三人は、並んで横になり、ただぼんやりと夜空を眺めた。俺とスルーの間に、ヨルが寝転んでいる。
あぁ、この寝方は……寮でプラスとベストと俺の三人で寝る時の並びのままだ。
懐かしい。
そう、全く昔の事などではないのに、何故か、懐かしさを覚えてしまう。懐かしさを覚えてしまう程に、俺はこのいっときの間、プラスへの色眼鏡をたくさんかけては捨てた。
その度に、俺とプラスの関係は変化していったのだ。
ウマの合う友人から、一人の人間を共に育む夫婦から、譲れぬ大切なモノを賭けて拳を交らせ合う敵同士から、過去の誰かを想い憎しみすら抱く仇のような相手から――
今、俺達の関係はどこにあるのだろう。
俺は今、何色の眼鏡で、このスルーを見ているのだろう。
『……スルー』
『どうした?ヨル?』
『っ』
“ヨル”とスルーに呼ばれた小さな我が子は、その瞬間、ヒクリとその小さな肩を震わせた。きっと、スルーの姿とその呼び方に、強い懐かしさを覚えてしまったに違いない。ヨルの記憶の中にある、最も幸福だった頃の、あの日々の記憶が。
泣いていないだろうか。
『お前は、こんなに暗い場所で、ひとり……寂しくないのか?』
あぁ、泣いてはいないようだ。
けれど、その声はやっぱりどこか震えている。必死に泣くまいとこらえるその横顔が、俺にはどうしようもなくいじらしく見えて仕方がなかった。
『確かに。ここに一人は寂しそうだな』
『なんで、そんなに他人事のように言う』
ヨルの体が俺に背を向け、完全にスルーへと向けられた。間髪入れずに放たれたその問いかけに、ヨルの必死な気持ちが滲み出ている。
ヨルはスルーの全てを受け止めたいのだろう。寂しさも、苦しさも、悔しさも、怒りも。何でもいいから、口にして欲しいに違いない。
けれど、ヨルの食いつくような問いかけに、スルーは「ううん」と、少し困ったように唸った。
『俺は何も覚えていないから、色々とよく分からないんだ。此処に一人は寂しいだろうが、それでもいいと思っている、気がする』
『どうしてだ?自分の事だろう?寂しいなら寂しいと言っていいんだ』
『……何と、比べて寂しいと思えばいいか分からない。俺には寂しさを感じる為の、記憶も、感情も、何もない。きっと寂しい気持ち以外も、同じなんだろうな』
『っ』
スルーの言葉に、俺はヨルの背中が小さく震えるのを間近に見た。そして、それは同時に俺の心にもヒンヤリとした風を吹かせる。
そうか、思い出が無ければ、自分の気持ちや感情を判断する事も出来ないのか。
『そんな……』
ずっと、一人というのは、誰かと共に温かい時を過ごした記憶があるからこそ、“寂しい”という感情を生む。記憶というのは、“今の自分”を知る、唯一の手掛かりなのだ。
もしかしたら、此処が月も星もない曇り空なのは、スルーのこの失くした記憶が関係しているのかもしれない。
『スルー、お前が……こんな場所で、一人で居て良い訳がないだろう。そんな事は俺が……させたくなかった。させないために生きたかった……。しかし、結局、俺がお前をここに落としたんだ』
『ヨル?』
悔しさに塗れたヨルの声が、微かな震えと共に紡がれる。
俺はここに来る途中、スルーの記憶を共に追体験した。
あの記憶の中のスルーは“一人”が寂しいと、赤ん坊のようにヨルに泣いていたのに。今は、ヨルが隣に居ても、何にも気付けない。
この漫然と広がる寂しさの草原に自身が立っている事にも、そして、隣にずっと待っていたヨルが居る事にも。
何一つ、気付く事が出来ない。
『結局……俺は、お前の星にも、月にもなれなかった。夜の暗闇しか、お前には与えられなかった』
『ヨル、何を言ってるんだ?俺にも分かるように言ってくれ』
『スルー、スルー、するー……俺は、どうやったらお前を幸福にしてやれる?弱い俺のせいで、これ以上お前を寂しさにすら気付けない、こんな場所になど……居させたくない』
気持ちを受け止めてやりたいのに、当の本人が自身の感情に気付けない。ヨルは今、頑張って両手を広げてスルーの前に立っているのに、スルーは何も分からず首を傾げて立ち尽くしているのだ。
あぁ、もう!こんなもどかしい事って他にあるだろうか!
こんなのまるで【金持ち父さん、貧乏父さん】じゃないか。
『スルー。この子は……ヨルはね。キミに幸福になって欲しいんだよ!』
俺は目の前の小さな背中を押すように、スルーへと声をかけた。それと合わせて、ヨルの背を撫でてやる。
スルーもプラスも俺と同じで言葉をたくさんは知らないし、ぎょうかんも読めない。でも、俺と同じだからこそ分かる事もある。
『俺に、幸福に?』
『幸福ってわかる?どういう気持ちか』
『分かるような、分からないような』
『正直に言えよ』
『……わからない』
ググググと、唸るスルーに俺はガバリと起き上がった。まったく、そんな事だろうと思った。
『スルー、ヨル。二人共起きるんだ!』
そんな俺に対し、此方を向けて横になっていたスルーが、シパシパと目を瞬かせる。同時に、それまで俺に背を向けてスルーの方を見ていたヨルまでもが、振り返って俺へと目を向けた。
『起きて、ほら!早く!立って』
『あ、あぁ』
『わかった』
俺はのそりと立ち上がる二人の横で、まずは立ち上がったヨルを後ろから抱っこした。
抱っこして思う。此処はマナの世界なのに、ちゃんと重さがある。そして、どうしてだろう。不思議な事に、外で“ベスト”を抱っこするよりも、少しだけ重く感じた。
『あ、アウト?急に、なんだ?』
『この後は、男の子なんだからヨルが自分で考えるんだよ』
『は?』
そう、戸惑いの声を上げるヨルを、俺は無視する。
好きな子を幸せにする方法は、ヨルならもう知っている筈だ。だって、ウィズもオブも知っていたんだから。そのお父さんである、この子が知らない筈がない。