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「落っこちろよ、スルー。お前が居ると、俺はもう辛いんだ」
俺は目を閉じた。腹の底にある更に深くなった崖の底。
そこで、俺は全ての過去を背負い、いつもいつも俺に嫌な言葉ばかりを投げかけてきた“スルー”の体を思い切り押してやった。
『いやだっ!忘れたくない!』
そう言って“俺”に向かって手を伸ばしてくるスルーから、俺は目を逸らした。
押した俺が誰になるのかは分からない。分からないけれど、やっぱり俺は俺が一番可愛い。だから、俺を苦しくするやつは崖の底におっこちてもらうんだ。
そう思った時だ。
『あれ?』
いつの間にか落ちそうになって手を伸ばしているのは“俺”の方だった。
あれ?あれ?あれれ?
俺はスルーを突き落とした筈じゃなかったか?
そう、崖の上を最後にチラと見た時目に入ったのは、また別の新しい“俺”だった。その時になって俺はようやく気付く。
『あぁ、そういえば。スルーが俺だった』
嫌な事を言って俺を苦しめたのも、嫌な事から目を逸らしたのも、インを、家族を幸せに出来なかったのも。
俺自身を不幸にしたのも。
『ぜーんぶ、“俺”だったな!』
そう、俺が手を伸ばすのを諦めた時だった。
その瞬間、俺のズボンのポケットに入っている筈だった、あの一枚の紙切れが鳴いた。
カサリ。
『あ』
その音は俺のズボンのポケットから、スルリと、まるで意思でもあるかのように飛び出すと、崖の上に立つ“新しい俺”の足元へと落ちていく。
「ん?なんだ?コレ」
崖の上で、新しい俺の不思議そうな声がする。
『……ヨル』
俺は、最早その時には既に自身の口にした名が何なのかを、理解できていなかった。“ヨル”とは一体誰なのか。いや、そもそも何なのか。
それすら分からなくなりながら、俺はそのまま底のない奈落の闇へと落ちていった。
落っこちながら、まるで全ての記憶があの一枚に詰まっていたかのように、俺は全てを失った。
『……ひとりは、さみしいなぁ』
こうして、世界は二つに分かれ、暗闇は更に濃くなった。