354:幕間

 

◇◆◇◆

 

 

「落っこちろよ、スルー。お前が居ると、俺はもう辛いんだ」

 

 俺は目を閉じた。腹の底にある更に深くなった崖の底。

 そこで、俺は全ての過去を背負い、いつもいつも俺に嫌な言葉ばかりを投げかけてきた“スルー”の体を思い切り押してやった。

 

『いやだっ!忘れたくない!』

 

 そう言って“俺”に向かって手を伸ばしてくるスルーから、俺は目を逸らした。

 押した俺が誰になるのかは分からない。分からないけれど、やっぱり俺は俺が一番可愛い。だから、俺を苦しくするやつは崖の底におっこちてもらうんだ。

 

 そう思った時だ。

 

『あれ?』

 

 いつの間にか落ちそうになって手を伸ばしているのは“俺”の方だった。

あれ?あれ?あれれ?

 俺はスルーを突き落とした筈じゃなかったか?

 

 そう、崖の上を最後にチラと見た時目に入ったのは、また別の新しい“俺”だった。その時になって俺はようやく気付く。

 

『あぁ、そういえば。スルーが俺だった』

 

 嫌な事を言って俺を苦しめたのも、嫌な事から目を逸らしたのも、インを、家族を幸せに出来なかったのも。

 俺自身を不幸にしたのも。

 

『ぜーんぶ、“俺”だったな!』

 

 そう、俺が手を伸ばすのを諦めた時だった。

 その瞬間、俺のズボンのポケットに入っている筈だった、あの一枚の紙切れが鳴いた。

 

 カサリ。

 

『あ』

 

 その音は俺のズボンのポケットから、スルリと、まるで意思でもあるかのように飛び出すと、崖の上に立つ“新しい俺”の足元へと落ちていく。

 

「ん?なんだ?コレ」

 

 崖の上で、新しい俺の不思議そうな声がする。

 

『……ヨル』

 

 俺は、最早その時には既に自身の口にした名が何なのかを、理解できていなかった。“ヨル”とは一体誰なのか。いや、そもそも何なのか。

 それすら分からなくなりながら、俺はそのまま底のない奈落の闇へと落ちていった。

 

 落っこちながら、まるで全ての記憶があの一枚に詰まっていたかのように、俺は全てを失った。

 

『……ひとりは、さみしいなぁ』

 

 こうして、世界は二つに分かれ、暗闇は更に濃くなった。