355:誰かを探して

 

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 何もかもを忘れたフリをする彼が、探したい人が居ると言った。

 

——俺と一緒に、人を探してくれないか?

 

 っは。そんなのおかしい。歪だ。デコボコだ。

 全てを忘れて楽になろうとしている癖に、“誰か”の記憶からだけは手を離せずに居るなんて、それはあんまりじゃないか。

 

 だから、そんな都合の良い事ばかり言う彼に、一つだけ現実を見せてやる事にした。

 そうだな。彼風に言えばこうだろうか。

 

 土砂崩れを起こして、僕が踏み均してやる!

 

 

        〇

 

 

『俺と一緒に、人を探してくれないか?』

『誰かを探してるの?』

『そうだ。探してるけど、全然見つからないんだ』

 

 そう言って、笑顔の中にどこか寂しそうな色を覗かせるプラスに、インは何かを感じたのだろう。

それまでギュッと拳を握りしめていたプラスの手に目をやると、ソッと自身の手で包み込んだ。そんな突然のインの行動に、プラスはヒクとその体を揺らす。

 

『寂しいの?』

『……寂しい?』

『寂しそうな顔をしてるよ?』

 

 インからの問いかけに、プラスはどこか怪訝そうな表情を浮かべる。“寂しい”という感情が、そもそも訳が分からないといった風に。

 

『俺は、寂しそうな顔をしているのか?』

『してるよ。だから、俺はてっきり、貴方が探してる人に会えなくて、ずっと寂しかったんだろうなぁって思ったんだ。こんな夜に一人で居たら、そりゃあ寂しくもなるよなぁって』

『……そう、か』

 

 インの言葉に、プラスはその視線をキョロキョロとせわしなく動かすと、ヒタと目を伏せた。目を伏せ、数拍の後『そうかも、しれない』と、彼には似つかわしくない程の、小さな声で呟くように口にした。

 

 その時に浮かべられたプラスのその静かな表情は、僕が外界で彼の腕を掴んだ時とは、まったく違うモノだった。

 彼は、こんな顔も出来たのか。

 何もかも忘れて、過去のしがらみ全てを断ち切ろうとする必死な笑顔でもなく、自分を静かに嫌悪し、憎むような無表情でもなく。

 

 ただ、その時のプラスは“静か”だった。

 

 あぁ、さすがはインだ。

 アウト同様、プラスの尻尾を踏んづける事なく、よしよしとその手で撫でているじゃないか。いつ噛みついてくるともしれぬ獣のような彼を、インは目線を合わせ、怖がらせないようにと彼の下から手を差し伸べたのだ。

 

 これを意図的にではなく、自然とやってのけているのだから、さすがはあのアウトに一番の影響を及ぼした子だと言える。

 

『……』

 

 そして、その隣ではインのその行動が心底気に食わないのだろう。オブが非常に不愉快そうな目で、繋がれた二人の手を見ていた。

 まったく、これだから余裕のない男は嫌だよ。

 

『ねぇ。それで、貴方は誰を探してるの?俺にはつぐないもあるし、皆で探せば一人で探すよりも早く見つかるかもよ』

『誰……?』

『そう、貴方が探してる大切な人。一緒に探すから、その人の事を教えてよ!』

『あ、えっと……』

 

 インからの問いかけに、プラスは先程まで嬉しそうに浮かべていた静かな表情から一転して、みるみるうちに、その眉間に皺を寄せた。

 探し物ならぬ、探し人。

嫌な事から目を背け、見ないフリをしている筈のプラスが、それでも尚こんな真っ暗なマナの中でも捨てきれぬ希望。

 

『わ、分からない』

『分からない?』

『探したい人が居るけど、俺にはそれが誰だか……分からないんだ』

 

 そう、プラスがしゅんと肩を落としながら言うと、それまで苛立たし気に視線を向けていたオブが、ここぞとばかりにプラスへと食ってかかった。

 

『なんだよソレ、あり得ないでしょ』

『いや、でも……』

『バカにするのも大概にしろよ。探して欲しい人が居るなんて言っておいて、その相手が誰だか分からない?お前、ただ単にインに構って欲しいからって、口から出まかせを言ってるんじゃないのか』

『ちっ、違う!』

『だったら、どうして分からない奴を探そうなんて思うんだよ!お前、ちょっとおかしいんじゃないか?』

 

 オブの猛攻に、プラスはみるみるうちに、しゅんと肩を落としていく。途中、何か言い返そうと何度も口を開きかけたが、開いた口が何かの言葉を紡ぎだす事はなかった。

 まぁ、言い返そうにも、プラス自身、自分にかけた忘却による自己防衛のせいで、返す言葉を持たないのだろうが。

 

『まったく、お前みたいな奴に付き合ってる暇はないんだ。ほら、イン行くよ』

 

 そう、オブがインによって繋がれた手を引きはがそうとした時だった。

 

『わかるなー!その気持ち、物凄く分かるよー!』

『は?』

 

 まさかの、インからの共感。

 オブは『わかる、わかる』と、頷きながら、プラスの手を更に強く握り締め始めたインに、信じられないといった表情を浮かべた。

 

『イン!そんな適当な共感しちゃダメでしょ?そんな上っ面だけの処世術、一体誰に教わったの?インには似合わないよ!』

『テキトーじゃないよ!俺、ちゃんとわかったって思って言ってるよ!ウソじゃないよ、オブ』

 

 そう、プラスから手を離す事なく、自身の視線を真正面から受け止めるインに、オブは『ぐ』とその言葉を詰まらせた。

 オブは、このインのキラリとした丸い目に弱いのだ。なにせ、この目で出会い頭の彼は、一気にインの沼に落とされたのだから。

 

『わ、分かって、くれるのか?』

『うん!分かるよ!俺、貴方の気持ち、凄くよく分かる!』

『ほ、本当に?』

『本当に!』

 

 インの力強い頷きに、対するプラスは、口角を歪めて泣きそうな表情を浮かべた。自分でも分からない感情を他人に分かって貰えた喜びと安堵は、忘れたフリをする彼にとっては、代えがたいモノに違いない。

 

『だって、俺もずーっと忘れてた筈だったのに、オブにはずっと会いたかったもん!』

『オブ?』

『そうだよ!この子がオブ!俺が一番好きな子だよ!』

 

 一番好きな子。

 そう言って、先程までギュッとプラスの手を掴んでいたインの手が、これまたアッサリと離され、自身に伸ばされかけていたオブの手を掴む。この子は手を掴む事にも、離す事にも躊躇いはない。

 

 己の望むままなのだ。掴みたいと思った相手の手を掴み、好きだと思った人の事を好きだという。インはいつだって、傷付く事を恐れず、心のままに生きた。だからこそ、後悔を残さず逝けたのだ。

 

 プラスや、オブ、そしてこの僕とは違って。