358:またねって意味のサヨナラ

 

 

『イン!オブっ!っくそ!』

 

 野生の本能という皮を被った自身の心から、剥き出しの気持ちのまま。

 スルーは、落ちて行った二人を追い、心のままに飛んだ。飛んだ瞬間、雲に隠れていた月はその姿を綺麗に現し、月明かりが周囲を照らす。

 

 彼の後悔の始まりであり、自責であり、自分を憎む最大のマナの中にはびこる分厚い雲を、この瞬間自らの手で切り裂いたのだ。

 

『へぇ、良い夜じゃないか』

 

 あぁ、月と星があれば、この世界もこんなに明るくなるものだったのか。

 

 さて、僕もこのまま下に居るであろう、アウト達と合流するとしようじゃないか。風と共に在れば、別に“落ちる”事なんて何も怖くない。

 それに、光が差した事で、奈落が奈落ではない事もハッキリした。底知れぬ場所は不気味で恐ろしいが、見えてしまえばどうって事はない。

 

 この世界には、ちゃんと辿り着く場所があるのだ。

 

『イン!オブ!お前ら!どうしてこう親の言う事を聞かない!?崖には近寄るなって、あれほど言っただろうが!?』

 

 結局、オブとインと共に落下する事になったスルーが、二人を抱き締めながら、大いに腕の中の子供達を怒鳴りつけた。そんなスルーに対し、インと共にスルーに抱きしめられたオブが、鼻で笑う。

 

『じゃあ逆に聞くけど、どうして親は子供が親の言う事を聞くって思ってんだよ!聞く訳ないだろ!恋人の俺の言う事すら聞かないのに!』

『あれ?お父さん?なんでここに居るの?』

『イン!?落っこちながら言うのもなんだけど、本当に反省しなね!?ほんとに、目が離せないよ!』

 

 互いの主張を好き勝手にしながら、三人共に落っこちる珍妙な事態。

 

 あぁ、なんて面白くて素敵な光景なんだろう!

 この場面は是非、お父さんシリーズの続きにしたためたい!なんなら、アバブの作画用に射出砂で、描画でもしておこうか!うん!そうしよう!

 

——またこんな場面書いて!ヴァイスの小説は、いっつも作画カロリー高すぎなんですっ!“描く”方の身にもなってくださいよ!

 

 なんて、アバブの憤りが耳の奥に聞こえてきた気がした。

 

『あははっ!そこを何とか!僕は絵が描けないタイプのオタクだからね!』

 

 そう、先に返事をしておく。あぁ、楽しみだ。

 早いところ、物語の続きを書く為にも、あっちの世界に戻らないと。

 

『ねぇっ!お父さん!』

『どうした?イン。謝っても説教だからな!』

 

 きっともうすぐだ。もうすぐ、奈落とも思われた彼の世界の深淵に到着する。そして、その時は、プラスとスルーが一つになる時だ。

 

『さっきのお手紙さ、“会いたい、スルー”って書いてあったよ?誰がくれたのかなぁ?』

『……』

 

 インからの問いに、それまで「説教だ!」と意気込んでいたスルーが、途端に黙り込んだ。そして、照れたようにインから視線を逸らしてみせる。すると、共にスルーに抱えられていたオブが『っは!』と鼻で笑った。

 

『せっかく、俺が届けてやったのに。その様子からすると、どうせ、最初から読めてたんだろ?スルーさん』

『……俺は、文字が読めん。だから、その』

『嘘つけ。父さんは、ずっと会いたがってたよ』

『……ヨ、ザンが?』

『もう、ヨルでいいよ。スルーさんは、今でも父さんが、いや……ヨルの事が好きなんでしょう?』

『……』

『会ってやってよ。俺達親子は、色々と頭でっかちなんだからさ。インやスルーさんみたいなのが傍に居てくれなきゃ、結局、何も出来ないし、動けないんだ。居なくなってからじゃないと、その大切さにも気付けない』

『……』

『あれ?お父さん?どうしたの?』

 

 泣いているの?

 そう、インに問いかけられたスルーは、二人の体に頭をこすりつけると、「ズズ」と鼻をすする音を響かせた。

 そして、顔を上げた瞬間、その口をインとオブの額へと素早くくっつける。

これはこれは、このタイミングで親愛の口付けとは。

 

『イン、もう危ない事をしても、俺は怒ってやらないからな』

『ん?』

『もう、お前を怒るのはオブに任せる事にしたよ』

『そうなの?』

『そうだ、なぁ、オブ……って、おい!オブ!そんなに嫌そうな顔をするなよ。傷付くだろうが!』

『いや、なるでしょ。キモチワル』

『……まったく』

 

 オブのその心底嫌そうな表情と口調に、スルーは苦笑してみせると、抱きしめる二人の腕からスルリとその力を抜いた。

 そして、自分は先に行くところがあるとでも言うように、重みの増した彼の体は二人よりも先に落ちていく。まるで、彼自身が誰かの“向心力”であるかのように。

 

『オブー!』

 

 スルーは笑顔だった。笑顔で、落ちていく。二人に手を振りながら、またねと約束をするような、その顔は、そんな笑顔だった。

 

『インを一生よろしくなー!』

 

 それだけ言うと、スルーの体はその瞬間、音もなく消えた。

 

『それは、もう昔聞いたよっ!』

 

 オブの、そのどこか嬉しそうな返事は、そのまま自身の腕の中におさまるインに回された腕に向かう力となった。

 

 

 星が光る。月が照らす。

 こうして、世界は一つになった。