359:現れた月、落っこちてきた二人

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『……おどうざん』

 

——–少し、寂しいな。

 

 そう言って笑ったお父さんの姿が、ぼやけた。

 それは、俺が泣きそうになっているからではない。

 

 俺の中にはしっかり記憶されていると思っていた、あの大好きなお父さんでも、やっぱり時間の流れには勝てないらしい。

 

 お父さんの顔を、俺は以前ほどハッキリと思い出せなくなっていた。

 描画を見て思い出しても、それはお父さんが生きて隣に居てくれる時の鮮明さを、取り戻してくれる訳ではないのだ。

 

 目の前で抱きしめ合うヨルとプラスを見ながら、俺はお父さんを思い出そうとして、別の人物が思い起こされるのを止められなかった。

 

『……うぃず』

 

 ヤバイ、泣きそうだ。

 そう、思った時だった。

 

『オブッ!あれ、マスターじゃない?』

『本当だ』

 

 聞き慣れた二人の声が、俺の元に届いた瞬間。

俺の隣には、おおよそ普通の世界だったら絶対死んでいるだろうなという勢いで、二人の少年が落っこちてきた。

 

 その余りの衝撃に、俺は零れ落ちかけていた涙が、勢いよく引いていくのを感じた。

 

 あぁ、もう。

 どいつもこいつも“じょうちょ”ってヤツが足りないよ!

 

 

        〇

 

 

『っててて……いや、まぁ痛くはないか』

『オブ!大丈夫!?』

『インこそ大丈夫、どこも怪我してない?打ってない?』

『うん、俺は大丈夫だよ!オブが俺のベッドになってくれたから!』

『インのベッド……まぁ、インに押し倒される光景も、なんかいいね』

『そっか!なら良かった!』

 

 落下してすぐに隣で行われる、若い二人の“じょうちょ”の欠片もない会話に、俺は心底ウンザリした。そして、同時に湧き上がってくるのは、『どうして二人がこんな場所に』という凄く真っ当な問い。

 

 どうやら落下しながら一瞬だけ視界の端に見えたアレは、やっぱりインの懐中時計で間違いなかったようだ。

 

『イン、オブ。どうしてお前達がここに居るんだよ!』

『イン、ここ。赤くなってない?』

『オブ。そこは打ってないよ?ふふっ、くすぐったい』

『イン、ちょっと体の隅々まで見せて。怪我してたら大変だからね』

『……おいっ!?』

 

 しかも、オブがインを守るように下敷きになっているせいで、まるきり、父親達と同じ体勢になっているのも妙な気分だ。そして、若い二人の様子がだんだん怪しくなっている気がするのは、どうか気のせいであって欲しい。

 

『まったく。若いっていいねぇ』

 

 そんな事を言いながら、自分だけ寝転んだ体勢で空中からフヨフヨと落ちてくるヴァイスの姿に、俺は思わずため息が漏れてしまった。

 

『……ヴァイス』

 

 おかげで、『どうしてここにインとオブが?』という問いに対する答えが、その瞬間解けてしまった。

 

 そう!全部、このヴァイスの仕業だ!

 

『……なんで、インとオブまで連れて来たの?』

『そりゃあ、プラスの後悔の発端がインだからだよ。この暗闇の世界に光を灯すには、アウトだけじゃ足りないと思ってね。加勢として呼んだのさ。オブは勝手に付いて来ただけだけど』

『加勢って……』

『連れて来て正解だったと思うよ?さぁ、こちらの素晴らしい夜空をご覧ください!』

 

 そう言ってヴァイスは、まるで自分の描いた絵画作品の如く、得意満面で空中に向かって、掌を掲げてみせた。そんなヴァイスの手に導かれるように、俺も視線を上へと向ける。

 

『……わぁっ!』

 

 見上げた瞬間、まるで紺色のキャンバスに白い色具を飛び散らせたような、それはもう圧巻とも言える星空に、ほうっと感嘆を声を漏らしてしまった。そして、その星空を見守るように存在する、まあるい月。

 

『これは……凄いね』

 

 月は、いつ見てもホッとする。

 太陽と違って、うっとり見つめても、目を焼く事はない。大きくて優しい。やっぱり、ずっと月を見ているとウィズの事を思い出してしまう。

 けれど、そんな俺のうっとりとした感情に、隣に居たヴァイスが笑顔でとんでもない事を口にしてきた。

 

『ね!凄いでしょ凄いでしょ。ホント、見切り発車だったのに、具合の良い展開に落ち着いてくれて良かったよ!プラスが記憶を取り戻したおかげで、皇都はひとまず消炭になるのを免れた!ひとまず一件落着!』

『……いや、消炭って』

 

 それはさすがに言い過ぎだろう。

 俺がそんな気持ちを込めてヴァイスを見ると、ヴァイスはその口元を僅かばかり上げて意味深な笑みを浮かべた。

 あぁ、俺はヴァイスのこの笑顔が苦手だ。だって、冗談なのか本気なのか、全然、俺に“ぎょうかん”を読ませてくれないのだから。

 

『ま、何にせよ、プラスを落ち着けてくれて助かった。アウトは、皇国の民数千万を、一夜にして危機から救った英雄って事だけは、伝えておくよ。そう、自覚して貰わなきゃ困るからね』

『え?』

『アウト、君にはこれからも“魔王”に立ち向かう“勇者”で居てもらわなきゃならない。悪いけど、これはもう決定事項だよ。これに関しては、アウトも僕も、互いに選択権は残されていない。持てる者の義務ってやつさ』

『……全然、意味がわからないんだけど』

 

 ヴァイスの企むような笑みに、俺は嫌な予感が募るのを感じた。いや、最早、嫌な予感を通りこして、普通に“嫌”だ。もう、予感じゃなくて、確信的に嫌だ。

 “ぎょうかん”は読めずとも、それだけは分かる。

 

『いやだ』

『まぁ、まぁ。そう言わずに!勇者なんて難しく考えすぎるから嫌になっちゃってるだけだよ!ねぇ、勇者ってさ!“特別な存在”だよ?いいじゃない!アウト、なりたがっていたでしょう?特別な存在に!』

『ソレを言うと、俺は“ちゅうにびょう”って言われるから、もう言いたくない!』

 

——じゃあ、俺はΩからαになった神様かな!ふふ!

 

 そうやって、ちょっと得意になっていた俺に対し、アバブ先生の有難いお言葉が、俺の心を突き刺した。

 

——自分が特別な力を持つ存在だってはしゃいでいいのは十代までですよ。そうじゃなきゃ、アウト先輩。その年で黒歴史は、もう闇っす。

 

 あぁ、何度思い出しても恥ずかしい!

 俺はちっとも特別な存在じゃないのに、ちょっとマナが多くなっただけで、“神様”なんて言って得意になってしまった。

 もう、部屋に隠れて二度と出て来たくないなんていう、あんな気持ちは絶対ごめんだ!

 

 それに、せっかくプラスを暗闇から救い出せたのに、今度は俺が“ちゅうにびょう”で闇になったら困るじゃないか!