361:大きくなったらお母さんと

 

        〇

 

 

『あぁ。プラス、可愛い。お前はなんて可愛いんだ。もっと顔を見せてくれ。もっと傍に来てくれ』

『ヨルヨルヨルヨル。本当か、本当に俺はかわいいか?かなりやよりもか?』

『当たり前だろう。この世でお前よりも可愛い人間など、存在しよう筈もない』

 

 こっちもこっちで凄い。

 とても、凄い。俺は一体一人で何を見せつけられているのだろうか。友達が恋人とベタベタしているところを見せつけられる、この気持ち。そして、こちらの二人も今まさに、互いの体をその両手で暴こうと必死だ。

 

『…………はぁ』

 

 居たたまれない。もう、早く帰りたい。

 俺も、俺だって、早く……はやく、ウィズに会いたいのに。俺はお父さんにも会えず、恋人にも会えない夜に、なんだか鼻の奥がツンとするのを感じた。

 

 泣くもんか。俺はこれからまた“お父さん”にならなきゃいけないのだから。泣いてたまるか!

 

 俺はグズと鼻を一度だけ鳴らすと、最早プラスの向心力としてその力を遺憾なく発揮し始めた“ヨル”を、俺の息子に戻す為の言葉を口にした。

 

『……そろそろ帰るよ』

——-ベスト。

 

 俺は、心の中に恋人の姿を思い浮かべながら、ハッキリと我が子を呼ぶ。すると、それまでプラスの体を支え、二人でピタリとくっついて睦み合っていたヨルが、次の瞬間、十歳のベストへと、その姿を変えていた。

 

『っ!あれ、あれれれれ!?ヨル?』

『これは……』

 

 今にも深い口付けを交わそうとしていたプラスが、小さくなったベストを前に、素っ頓狂な声を上げた。それに対し、ベストも自身の小さくなってしまった手のひらを、その目を見開いて見つめている。

 

『はい、プラス。どいて』

『え?アウト?』

『どけ。お前は母親の癖に、我が子に手を出すのか?』

『っう!』

 

 俺はプラスの肩に手を置くと、グと後ろへと引っ張った。それなのに、固まって動こうとしない。

 

『プラス?』

『うぅぅ』

『あ、アウト。大丈夫だ、俺は子供では……』

『子供だよ』

 

 反論してこようとするベストに、俺はピシャリと言ってのける。

 

 そして、そのまま固まっていたプラスの体を、今度こそ無理やり引っ張り上げると、俺の前へと立たせた。プラスと俺は、ちょうど同じくらいの身長だ。だから、立ち上がって向き合えば、互いの目線がほぼ同じ場所に現れる事になる。

 

 これこそが、俺とプラスの立ち位置だ。

 同じ目線で、目の前で、そして向かい合っている。

 

『なぁ、プラス』

『なんだ、アウト』

 

 眼鏡をかけたプラスが。俺の事を本当は嫌いと言って、俺から目を逸らしたプラスが。

 やっと、対等な場所に戻って来てくれた。

 

『ベストの体は、まだ子供だ。それに、記憶があっても“ベスト”が“ベスト”として子供時代を過ごすのは、この一回きりなんだよ』

『分かっている……でも、やっとヨルに会えたのに』

『大丈夫だよ。プラス。お前は自分が言ってた事を忘れたのか?』

『え?』

 

——アウト?別にそう気の長い話ではないぞ。なにせ、子供ってやつはすぐに大きくなるからな。

 

『今は、お互いにベストの子供時代をよしよしして過ごそう。こんなに可愛いんだ。すぐに大人になっちゃったら、もったいないよ』

『っ』

『ねぇ、そう思わない?プラス』

 

 プラスはすぐ脇で、ちょこんと地面に座り込むベストの姿に、それまでヘタリと落としていた眉を、ひょいと上げた。

 

『確かに、その通りだな!』

『な?それにさ、』

 

 しかし、そんなプラスに対して、ベストはと言えば、まだまだどこか不満そうだ。

 こうして、プラスの記憶が戻る前から、ベストはプラスに子供扱いされる事を、是としてはいなかった。

 

 けれど、俺に対しては違う。

 

『プラス。六年なんてアッと言う間だ。俺はもっともっとベストと一緒に居たいから、もっと赤ちゃんの時にベストをうちの子にすれば良かったと思っているよ』

 

 俺は、不満そうに此方を見上げていたベストの脇に自身の両手を挟み込むと、ひょいとその体を抱き上げた。十歳なのに、まだまだ小柄で簡単に抱っこできるベスト。もっともっとご飯を食べさせて、ベストには大きくなってもらわないと。

 

『ベスト。寂しいから、あんまり早く大きくなって欲しくはないけど、俺の奥さんにもっと幸福になって欲しいから、ひとまず帰ってご飯をいっぱい食べようね』

『……奥さん』

 

 俺の言葉に、ベストが、ヒクとその顔に妙な表情を浮かべた。なんだかこういう表情は、よくウィズも俺にしてくる。まったく、血の繋がりはないのに、どうしてこうも似ているのだろう。

 

『ふふ、ベストは本当に可愛いなぁ』

『……』

 

 だから、だ。

 これは誰にも内緒なのだが、俺はこっそり、ベストをウィズと俺の子のように思って育てているのだ。俺にはウィズの子供は産めないから、本当にこっそり、こっそりだ。

 

ベストにとっては、良い迷惑だろうけれど。

 

『俺とプラスはベストのお父さんとお母さんだからね。でも、ベストが大きくなってお母さんと婚姻したくなったら、俺はプラスとは縁別するよ。まぁ、友達は止めないけどね』

『……まったく。俺のお父さんは平気な顔で、物凄い事を言う。懐が広いのか、変わり者なのか』

『そう?俺は多分その辺に居る普通の人と何も変わらないと思うけどね。ねぇ、プラス?』

 

 俺はベストをその腕に抱えながら、隣で此方を見ていたプラスへと問いかける。すると、プラスはどこか不満そうな表情をその顔に、ハッキリと浮かべていた。

 

『ドロボーだ。アウトは、ベストの“お父さん”を完全に俺から盗った。こんなの、ドロボーだ』

『またそんな事を……プラスはベストのお母さんじゃん。それに最終的には、プラスはベストの恋人になるんでしょ?だったらいいじゃん』

『いやだ!俺はベストの“全部”になりたかったんだ!お父さんもお母さんも、かなりやも、友達も兄弟も!恋人も、夫も、妻も、全部!』

『欲張りだなぁ』

 

 愛する人の全てになりたいなんて、なんの気のてらいもなく言えるプラスを、俺はやっぱり好きだなぁと思う。好きだから、出来ればこれからは、誰よりも幸福になって欲しいと思う。

 そう、俺がプラスに向かって苦笑した時だった。

 

『マスター!ねぇ!その子がベスト?』

 

 ただ待っている事に我慢の出来なくなったインが、その目に星を携えて俺達の元へとやって来た。そして、俺の腕の中で小さくなるベストを見て、その目の中は、きらきらの流れ星でいっぱいになった。