「さぁて。お立合いの皆様、それに酒の足りぬお客様も、ここからは少しだけ静粛にお願いします。アウト、プラス。これから、僕の言葉をちゃんと聞くように」
ヴァイスがいつもと同じような口調にも関わらず、いつもよりうんと凛とした声色で、ザワついていた聴衆の視線を奪った。今、此処に立つのは、どうやら吟遊詩人のヴァイスよりも、神官としてのヴァイスの色が強いらしい。
「まずは、プラス」
「なんだ?」
「懺悔と後悔、そして償いの時が来た」
ヴァイスの差し出された人差し指が、プラスの首元へと向けられる。懺悔と後悔、そして償いの時。それが、一体何を指すのかなんて、人差し指を急所に突き立てられるプラスが気付かぬわけもない。
——-聖地の破壊。
プラスは確かに、数年前に西部のパステッド本会を、そこに住まう多くの神官を、そして奴隷とされていた多くの人々を、一夜にして消し去ったのだ。
「君がその罪から逃れる事は、ともかくもって不可能だ。月と星と夜が許しても、太陽は許さないよ」
「……ならば、その太陽とやらは、この俺を焼き殺すか?」
ヴァイスの指が、プラスのヒクと動いた喉仏へと触れた。この時のプラスは、あの役所で、ベストの親権を認められなかった時のプラスとそっくりだ
プラスは闘おうとしている。
罪は消えぬが、だからと言って、もう自身の幸福を諦めはしないという、そんな強い意思が、プラスのその目には凛と宿っていた。
「罪は認める。その上で、俺はあの時の自分の行動を後悔などしていないし、その後悔のない行動で、これからの自分の幸福を手放すつもりもない」
「へぇ。君の憎んでいた者達ならいざしらず、プラス。君は何の罪もない中で消された人達を前にしても、同じ事が言えるのかい?」
「……言うしかない。だからこそ、俺は罪を認め、恥を承知で幸福に縋りつく。その幸福を壊すのであれば、太陽でも何でも俺は破壊してやるが、依存はないか」
プラスのハッキリとした口調に、ベストが少しだけ泣きそうに顔を歪めた。それに呼応するように、その小さな肩は、フルフルと微かに震えている。
「……プラス」
あぁ。これは、決して悲しんでいる顔ではない。
自分との幸福の為に、自責に潰されずに真っ向から立ち向かうプラスに対し、感動で打ち震えているのだ。元々、表情の薄いベストだが、あのマナでの出来事を境に、俺はどんなに微かなベストの表情の変化でも、ベストがどんな事を考えているか、あらかた分かるようになっていた。
そう。俺は、何故かベストの“ぎょうかん”だけは、驚くほど読めるようになってしまったのだ。
「他の太陽達も、君の事は焼き殺してしまいたいようだけどね……それが出来ないから、僕たちは今までもキミを監視さえすれど、自由にしておく事しか出来なかったのさ」
「だろうな?俺は、強い。太陽が俺を焼き殺す前に、俺は太陽を粉々に出来る自信がある」
プラスは首筋に突き立てられていたヴァイスの指を、その手でガシリと掴んだ。一見すると、指を掴んだだけのプラスだが、よく見ればその手には、血管と骨が、これでもかという程浮いて見えた。
「けれど……ヴァイス。お前なら、俺を焼く太陽になれるんじゃないのか?」
「そんな事をしたら、焼いたついでに僕まで粉々になっちゃうじゃないか」
「あぁ、魂のカスすら残らない程に、俺はお前を粉々にしてやるよ。消滅する時は一緒だ」
「……それはそれは」
ピリピリする。
目の前の二人の、普段とは違った雰囲気と、その芝居がかった口調のせいで、俺は何故か目の前のやりとりの全てが、まるで舞台であるかのような錯覚に陥っていた。
「うわぁ」
な、なんだかこの後、一体どうなるのか気になってきた。
どうやらその気持ちは俺だけのモノではないらしく、チラと視線を周囲に向けてみれば、それまで騒がしかった皆の視線は、完全に二人へと集約されていた。
皆、俺同様、この舞台の行く末が気になって仕方がないようだ。
「困ったねぇ」
「さぁ、俺をどうする?自分達を太陽などと嘘ぶく独善者集団の創始者よ。お前の決断を聞こうか」
「……まったく、僕が共に消滅すると心に決める相手は、プラスではなくアウトだ。だから、プラスと死ぬなんて、まっぴらごめんだよ」
—–ねぇ、アウト?
そう、突然、舞台役者だった筈のヴァイスが、聴衆であった筈の俺の方を見て、それはもう形の良い笑みを浮かべた。最早その笑顔は、意味深過ぎて、むしろ空っぽにすら見える。
そして、見てくるだけでは飽き足らず、ヴァイスはプラスに指を掴まれたまま、その手をゆっくりと俺の方へと向けてきた。
「へぇ、アウトは悪趣味だな。ヴァイスと一緒に最期を迎えようだなんて。気が知れない」
そうやってプラスから向けられる視線は、俺への信愛の中に、微かに敵意を混ぜ込んだようなくすんだ色をしていた。
え、なにこの舞台。どうして、観劇者の俺に話しかけてくるのさ。え、え?俺も役者の一人だったの?聞いてないんですけど。
「えっ、いや。え?」
「ふふ。この世界で、唯一。君の力を小指の薄皮分程だが、凌駕する相手が此処に居る。それが、アウトであり、僕が唯一この世界と共にサヨナラをすると決めている相手さ」
「……オブの分か」
プラスが、本当ならもうかける必要のない眼鏡の向こうから、スルリと目を細めて、俺を見て来た。なんだよ、プラスの癖に。なんで、ちょっと頭の良さそうに見えるじゃないか。
「プラス、キミの懐は確かに、心を砕いた相手には驚くほど深い。ただ、狭いんだよ。お前の懐は。心を砕いた相手以外に対する、その冷酷なまでの愛情の無さは、それこそ世界を滅ぼさんとする、魔王の如く危険だ」
「危険で結構だ。俺は今後、気に食わないモノは容赦なく壊すぞ」
怖い怖い!!
一体、プラスは何を言っているんだ!確かに、プラスは前世からこれまで、たくさん我慢してきたかもしれないが、それにしたって急にどうしちゃったんだよ!性質が悪い!
しかも、そんなプラスの脇では、ベストが「それでいい」とでも言うように、コクコクと深く頷いている。
いや、全然良くないからね!?
「君がそこまでの臨戦態勢を表してくるなら、僕ら太陽も黙っちゃいられない。全面交戦となれば、きっと悲劇は広がり、キミの思い描く幸福からは驚くほど遠のくだろう」
「確かにそれは俺の本意でもない。けれど、お前らも引かない。俺も引けないとあれば、そうなるしかないだろう」
「僕たち太陽が消えるか、夜であるキミが消えるか。それともその両方が消えて、この世界ごと無くなるのか。僕たちの目の前には、この三つの道が示されている」
「へぇ。俺達は一体どれを選ぶんだろうな?」
ごくり。
お芝居も佳境に差し掛かった。少しだけ気になるのは、今の俺は、先程とは違い、完全なる聴衆ではいられなくなっているという事だ。
「この先どうなるの?」とワクワクしていたあの瞬間に、俺はもう戻れそうもない。
「まぁ、そこで第四の道を示してくれるのが、ここに居るアウトだ」
「……」