エピローグ2:審判の時、婚姻の儀④

 

「お父さん」

「っ」

 

 俺の足元から、無視できない可愛い声が聞こえて来た。

 

「お父さん」

「べ、ベスト」

「お父さん」

 

 何度も、何度もベストが俺の事を呼ぶ。しかも、俺の事をジッと見つめて。その声は、一見すると、ただ単調に俺の事を呼んでいるだけなのだが、俺には分かる。

 

「お父さん」

 

 いつもより、声が甘えている。ついでに、俺の服の裾を、その小さな手で掴んでくるんだから堪らない。

 そうだ、もうすぐベストの神官学窓の入学式じゃないか。きっと、ベストが他の子より一番可愛いに違いない。ウィズに買ってもらった、おめかし用の正装を着て、皆の前に立つベスト。

 

 それを、保護者席でたくさん描画する俺。

 その隣では、プラスが周囲の迷惑など顧みず、大いにはしゃぎ散らかすのだろう。

 

 そんな未来を歩むには、もう。

 

「……ふぅ」

「お父さん」

——プラスを、守ってくれ。

 

 ベストの声なき声が聞こえる。俺はベストの“ぎょうかん”だけは、絶対に読めてしまうのだ。そして、そんなの本当は息子に頼まれるまでもなく頷く所なのだ。

 

「あぁ、分かったよ。分かった。ベスト。家族を守るのが、お父さんの役目だもんな」

 

 俺は一度だけベストの頭をゆっくりと撫でてやると、そのまま視線をウィズの方へと向けた。

 

「ウィズ」

「……まったく。お前ときたら、気を抜くとすぐに厄介事に巻き込まれて」

「……ん」

「まぁ、腹は立つが……しかし、俺は誓約のような縛りがなくとも、お前から離れたりはしない。好きにするといい。一方的に自由を奪う事では、お前のような人間は縛れないと悟ったからな」

「ウィズ……好き過ぎる」

「そうだろうとも」

 

 酒を片手にサラリと口にしてくる俺の恋人の、それはもう美しい事と言ったら!その瞬間、俺は腹を決めた。腹の中のマナの全てを掛けて、決めてやったさ!

 

「プラス!噛め!」

「は?」

 

 俺は自身の親指をつき立てると、プラスの口元へと勢いよく近づけた。すると、それまで腕を組んで、楽しそうな笑みで此方を見ていたプラスが、呆けた声で、眼前にある俺の親指に目を瞬かせる。

 

「いいから、噛め!思いっきり、血が出るくらい!」

「なんでだ?」

「だーかーら!俺を傷付けられるのは、」

「あぁ!そうだったな!」

 

 プラスは俺の言葉を遮ると、すぐに合点が言ったのか、次の瞬間にはピリと俺の親指に短い痛みが走った。ぬるりとした生暖かい舌の感触が、俺の親指を濡らす。

 その光景に、それまで静かだった周囲から息を呑むような声が漏れた。

 

 チュッと、俺の親指がプラスの口から離れる。見てみると、そこには見事、皮膚を突き破り血を滲ませる親指の姿があった。本当に、プラスなら俺を傷付けられるんだなぁと、俺は改めて滲む、真っ赤な鮮血に思った。

 

「じゃあ、次は俺だ。アウト、頼む」

「わかった」

 

 俺は目の前に出されたプラスの親指に、ぱくりと噛みつく。あれ、どう噛めばあんな風になるんだろう。

 

「っふ、アウト……そう、舐めるな」

「んんん?」

「まったく!犬歯で噛むんだ!どうして奥歯で噛もうとする!奥歯で血が出るまで噛んでいたら、指が折れるだろう!?」

「んん!」

 

 あぁ、そうか。あの尖った歯で噛めばいいのか。俺はプラスの指を舌で転がして前方へと押しやると、勢いよく犬歯で噛んでやった。

 ジワリと、血液特有の風味が、俺の口の中に広がる。どうやら、上手く傷付けられたようだ。

 

「……アウト、お前舌の扱いが上手いな。一瞬その気になりかけたぞ」

「そうか?」

「あぁ、あれは中々の舌さばきだった」

「まぁ確かに俺は昔、ペリの実のヘタを口の中で結ぶのが上手って、お父さんに褒められた事があるからな。俺は嬉しくて、ずーっと毎日毎日ヘタを結んではお父さんに持って行ったんだ。だからかな?」

「……ふうむ。だからか。なぁ、ウィズ!お前はこんなのに相手をしてもらって、そりゃあ毎晩幸福だな!素晴らしいじゃないか!」

「……黙れ」

 

 ウィズは腕を組みながら、苛立たし気に足を鳴らしているようだったが、それはアバブの声にならない悲鳴で、全て消し去られた。

 チラとアバブへと目をやれば、そこには声を詰まらせながら俺達に祈りを捧げるアバブの姿。

 

「神よ……!」

「悔しいけど、俺もちょっとグッときたから祈ろ」

「そうですよ。バイさん。共にBLの素晴らしい未来と新しいCP誕生に、大いなる祈りを捧げましょう」

「うん!」

 

「「神よ……」」

 

 重なる祈り。

 そこには何故かバイまで加わり、二人して俺達に向かって祈りを捧げる姿があった。まったく、俺を“ちゅうにびょう”って言ったり、神様扱いして祈りを捧げてきたり。一体この二人は何なんだ、まったく。

 

「っよいしょ」

 

 俺はアバブとバイの祈りを横目に、血の付いた親指を魔用紙へと押し付けた。どうやら、俺の隣でもプラスが紙が破れん勢いで、自身の親指をこすり付けている。

 

「よしっ、と。ヴァイス。これでいい?」

「俺も押したぞー」

「……はぁっ」

 

 そう、ヴァイスは、一呼吸おいて魔用紙を受け取りながら、その目を遠くでも見るように細めた。その目尻は少しだけ朱に色付いており、口角もぎこちなくヒクついている。

 

 あれ?なんだろう。このヴァイスなら、少しだけ“ぎょうかん”が読めそうだ。

 

「君たちって、本当に最高。尊い。素敵。たまんない」

 

 こんなの、まるで、心の底から興奮して、その興奮を抑え切れないとでもいうような。今、まさに、俺達に向かって祈りを捧げて来ているアバブと同じじゃないか。

 

「はぁっん、アウト、プラス。僕……今、さいっこうに幸福だよ」

 

 だって、口にしている言葉と、浮かべる表情がまるきり同じなのだ。“ぎょうかん”を読むどころか“ぎょうかん”が、そもそも存在していない。

 

「そ、それは良かったな。ヴァイス」

「う、うん。良かったね、ヴァイス」

 

 俺とプラスは、うっとりと情交の合間に愛おしい相手でも見つめてくるような目で見てくるヴァイスに、少しだけ体を後ろに逸らしながら頷いておいた。

 ……うん、良かったよ。

 ヴァイスの幸福の手伝いも出来たみたいで。うん。

 

 こうして、プラスの審判の時、もとい俺とプラスの婚姻の儀は、粛々と、謎の興奮と熱量と、そしてしっとりと互いの唾液で濡れそぼる親指のしめった中で、空中分解するかのごとき終わりを告げたのであった。