6:他人の恋路を邪魔する奴は、

 

        〇

 

 その日、俺の兄さんはぶっ壊れていた。

 

「あぁぁぁぁあっ!なんでっ!なんでだよっ!あかちゃんほしいって言ったのに!ぜんぜんつくってくれないぃぃぃっ!」

 

 酒場の扉が開かれた瞬間、物凄い濃い匂いと絶叫が、酒場中に響き渡った。この甘い匂いは、昔から嗅ぎ慣れている。そして、この大泣きする声にも、俺には非常に覚えがある。同時に、そのフェロモンは、俺の鼻孔とアルファの本能に、ズクリと少しの熱を滾らせた。

 

 

        〇

 

 

——–あずいっ!ぐるじぃっ!おどうざん!あぼーど、だずげでぇ。

 

 そう、アウト。

 通称クソガキ。戸籍の表記上は、俺の兄。けれど、俺はアイツを兄貴なんて思った事は一度だってねぇ。

 

 酒場に飛び込んで喚くクソガキ……アウトの泣き顔と、垂れ流しのフェロモンに、俺は思わず心の中で、いや、実際に「父さん」と呟いてしまった。

 

 この顔は、あの時と同じだった。

あの時、それはつまり、アウトが最初の発情期を迎えた日の事。

 その時俺は、まだバース検査も受けていないガキだったが、どこかで父親似であった俺は、自身が父同様にアルファであると予見していた。

 

 そして、ある日。その予感が、まだ当時十歳だった俺に確信となって与えられた。

 

——–ぐるじい。ぐるじいよう。

 

 自分ではどうにもできない熱に侵され、泣きながら助けを求める兄の姿に、俺は完全に自分の性を認識した。自分はアルファだ、と。そして同時に沸き起こってきた感情に、そりゃあもう俺は戸惑ってしまった。

 

目の前の雌を孕ませろ。

 

 この体で、精通もまだな俺だったが、それはもう抗いようのない雄の、アルファの本能だったのだ。

 その時の俺の目に、父さんが全てを悟ったのだろう。アウトが発情期になった瞬間、俺を祖父母の家へと預けた。

 

———アボード。わかるな?悪いが、お前が大人になるまでは……。

———わかった。

———すまないっ。

 

 そして、それはアウトが発情期を迎える度に行われた。

 父さんもアルファだ。そして、アウトはもう居なくなってしまった、あのクソ女によく似ている。アレをアウトは未だに「おかあさん」と呼ぶのだから、俺は腹が立って仕方がなかった。

 

 オメガもアルファも血脈による遺伝が大きい。つまりオメガの子の親は、片方がオメガである事が殆どなのだ。あのクソ女の負の遺産を、またしてもアウトだけが受け継いでしまった。ただでさえ、マナ無しと揶揄され、教会であんな事があったのに。

 

 一体神様ってやつは何をしてんだよ!

 

 「苦しい、苦しい」と、泣きながら、鳴きながら、父さんに体を預けるアウト。そして、その体を抱き締めよしよしと撫でてやる父さん。その表情は常に穏やかで優しかった。

しかし、その実その裏では、一番愛した女によく似た我が子の発情期にすら反応してしまっている自身に、何度も父さんは自己嫌悪で涙を流していた。

 

 けれど、それでも父さんは一度だってアウトに、変な気は起こさなかったし、何もしなかった。番の居ないオメガのフェロモンを前に、父さんは“父親”を必死で勝ち得たのだ。それが、どんなに凄い事なのか、成長し、自身がアルファ性をしっかりと自覚する度に、俺は思い出す。

 

「父さん」

 

 俺はあの人を尊敬している。あの人の子供で良かったと、いつでも胸を張って言える。あの人は俺の目標だ。けれど――!

 

「あぁぁぁぁっ!ちくじょうっ!じくじょうっ!うぃずのばか!しね!おれのことわかってくれない!あかちゃんがほしいっていってもむしして!まだ、いんがすきなんだ!おれはいんの“かわり”なんだぁぁぁぁっ!」

 

 父さん、こりゃあ一体何をどうすればいいんだ!?

 俺はアボードとバイの三人で、いつもより早く終えた訓練に、いつも通りウィズの店に来ていた。別にそこまではいい。いつもの事だ。

 

 なのに、なんだ!

急にドタバタと店へと続く階段を乱暴に駆け下りてくる人間の足音を聞いたと思ったら、現れたのはアウトで、そしてその体は完全に発情期のオメガになっていた。

 

「アウトっ!急にどうした!おいっ!っ!……また発情期かっ!?」

 

 キレ散らかし、付近の椅子や机を蹴とばし投げとばしながら肩で息をするアウトの姿に、それまで「最近のアウトの可愛さ」などと言う誰も聞いていない話題について、饒舌に語り尽くしていたウィズが、慌てて駆け寄って行く。

 

 しかし、そんなウィズにアウトは「ちがずぐなーー!!」と叫ぶと、そのまま天井を仰ぎ見てワンワンと泣き始めた。

 

「……兄さん」

 

 こんな姿、大人になてから初めて見る。そのせいで、俺の口から洩れた呼び名は、普段は絶対呼ぶものかと決めている呼び名だった。

 

———ああぁぁぁっ!あぼーどのばがー!!あーんあーんっ!

 

まだ俺達が子供の頃。

父さんが生きていた頃などは、アウトはよくこんな泣き方をしていたが、今ではめっきりだった。もしかしたら、ウィズの前ではしてんのかもな、と脳裏をかすめ、少し寂しい思いをしたのは、俺にとっては非常に不本意な感情であったが。

 

 そんなアウトが、今やあの頃のように人目もはばからずに泣いている。しかも、どうやら言葉の端々から漏れ出る言葉から察するに、原因は泣き叫ぶアウトを前にオロオロとする恋人のウィズのようだ。

 

「おいっ、どうした?何があった?アウト?おい?」

「っっぁぁぁああ!うあぁぁぁっん」

 

 どうやら、ウィズはこの泣き方に遭遇するのは初めてらしい。

 そう思うと、この訳もわかんねぇ状況に、俺は思わず笑ってしまいそうになった。何だ何だ、どうしたんだ。このクソガキは。

 

「いんのがわりなんで、いやだぁぁぁっ!」

「急にっ、何を言ってるんだ!アウト!ちゃんと説明しろ!」

「おで、じゃんどいっでだのにぃぃっ!うぃずが、ぜんぜん、わがっでぐれでないのがわるいんだぁぁっ!」

「おいっ、アウト!ひとまず落ち着け!ここには皆も居るっ!」

「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっ!ぞんだのじらないーー!」

 

 ウィズという番が居ても尚、泣き叫ぶアウトの放つ強烈はなフェロモンは、俺を含むトウやバイというアルファ性の人間の本能を、これでもかというほど刺激する。

 

 特にアウト大好きなバイはと言うと、荒い呼吸とキラキラした目を携え、泣きわめくアウトを見ている。絶対に手に入れたい玩具を前にした、それはまるで子供のような性欲だった。トウはそんな前のめりなバイを、自分もアウトのフェロモンに当てられている癖に、必死で静止させている。

 

 ったく。アルファ同士の番ってのも大変なモンだ。

 

 そう、俺がズクリと疼く熱を前に、さて今日はどの店でこの熱を解消してこようかと、思考を巡らせた時だった。

 

「おどうざんっ!おどうざんっ!だずげでぇぇっ!」

 

 急に、それまで椅子を持ち上げてウィズに反体制を掲げていたアウトが、急に俺の方を見てパチリと目を瞬かせた。その視線に、俺はドクリと心臓が嫌な音を立てるのを感じる。

 

なんだ。これは。

 

「おどうざん!もう、おで、おどうざんどげっごんずるーー!おどうざんのごどもうむーー!」

「はぁぁっ!?」

 

 発情期で頭がイカれちまったのか、今のアウトには、俺が“父さん”に見えるらしい。持ち上げていた椅子を、アウトはガランとその場に投げ捨てると、まるで幼い子供のように、俺の方へと両手を向けて駆け出して来た。

 

———-おとうさーん!

———-おいで!アウトは本当に可愛いなぁっ!

 

 柄にもなく、なんでアイツばっかり……なんて嫉妬心を剥き出しにした事もあった。けれど、今ならなんとなく分かる。

 

「お、おとうさんっ」

「……アウト」

 

 俺は腹の中の熱と、あの頃、父さんはどうやってアウトを抱き締めてやっていただろうかと、思い起こしながら無意識のうちにスッと両手を広げていた。

 そう、いつも父さんはこうやって――

 

「……帰ってくれ」

 

 それは、唐突だった。目の前まで走って来ていたアウトの意識がフッと途切れ、その場に崩れ落ちる。どうやら、アイツが何かしたらしい。しかし、それを寸での所で受け止めたのは、やはりというか、なんというか。

 

「ウィズ……」

「帰ってくれ……じゃないと」

 

 その瞬間、店の中のアウトのフェロモンを凌駕する勢いで、ウィズのマナの圧が俺達へと襲い掛かった。体の自由が奪われている訳でもないのに、体の至ところから非常に重いナニかがのしかかっている感覚だ。呼吸も上手くできない。

 あぁ、さすがはウィズだ。重い。

 

「ウィズ……」

「アボード、俺は……お前も気に入っている。それは、お前がアウトの“弟”だからだ。言いたいこと、分かるか?」

 

 ウィズの静かで重低音な声が、店中に響き渡る。俺はウィズからの静かな睨みに、肩をすくめるとゆっくり息を吐いた。そうしなければ、まともに会話するのすら苦しい。

 

「まったく……俺は馬には好かれる性質なんだがな」

 

 俺はウィズのゾクリとするようなマナの重圧に苦笑しながら、未だに腹の底に居座る雄としての熱に改めて思った。

 よくもまぁ、こんなのに堪え続けられたもんだ。

 

「やっぱ、父さんはスゲェや」

 

 俺は蹴られて殺されてはかなわんと、カウンターに一枚の紙幣を置いて店を出た。俺の後ろからトウやバイが続くのを感じる。さすがに、あのブチ切れ寸前のウィズを前に、何やかんやと口を出したらヤバいと、皆重々承知らしい。

 

「はぁっ。たまんねぇぜ。ほんと」

 

どうやら今日の俺は、少しおかしいらしい。

 

——-おとうさん!おれ、おとうさんとけっこんするー!

——–アウト!お前は本当に、なんて可愛いんだろうなぁっ!

 

「同じ事、思っちまうなんてよ」

 

 一生の不覚。俺はこの感情を墓場まで持っていく事を、腹の底で軽く誓うと、そのまま自身の中に溜まった熱を放出するために、馴染みの店へと足を伸ばしたのであった。

 

 つーか、俺、悪くなくね?

 

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