2:ベスト!癇癪はダメ!

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「――分かったか?ベスト?」

「……」

 

 プラスの口から、酒も入っていない癖にツラツラと語られる“マヨナカ”という男の色事を含んだ話に、俺はとっさにベストの隣に腰かけていたウィズに慌てて声をかけた。

 

「ウィズ!ベストの耳を塞いで!」

「……アウト、さすがにもう遅いだろう」

 

 ウィズの呆れたような声に、俺がカウンター越にベストの方を見てやれば、そこには目の前に置いてあった炭酸入りのルビー飲料に手をかけ、静かに俯くベストの姿があった。

 

「……」

 

いや、静かに俯いているが、グラスに手をかけるベストの手には、骨と血管が多いに浮き上がっている。

あぁもう!これは、もう完全に怒髪天といった状態ではないか!怒った髪の毛が天を……いや、月をも衝かん勢いだ!

むしろ、俯いているせいで表情が見えないというのが、逆に怖い。

 

「ベ、ベスト?」

「なんだ。アウト」

 

 そう、控えめにベストを呼んでやれば、ベストはいつものスンとした表情で俺の方を見てくる。あれ、もしかして、それほど怒髪天ではなかったのだろうか。

 そう、俺が思った時だ。

 

 ガンガンガン。

 

「ベスト……やめなさい」

「違う、足をブラブラさせているだけだ」

「カウンターを蹴ったらダメ」

「違う、ブラブラさせているだけだ。子供はよくやるだろう」

「そんな子供っぽい事を意識した足のブラブラは“蹴る”っていいます」

「……」

 

 ガンッ!!!

 

 また蹴った。

しかも、その衝撃のせいで、ウィズの前に置いてあったグラスの酒が、少しだけ零れた。ウィズはと言えば、未だに足をカウンターに打ち付けるベストの姿を、なんとも言えない表情で見つめている。

 

「ベースート?」

「……」

 

 もう、俺の言葉などまったくの無視だ。

 あぁ、まったく!今日はせっかく入寮してから、初めての長期休暇だというのに。まったくこんなのはちっとも素敵じゃない。

 ここは、“お父さん”らしく、ビシッと言ってやらないと!

 

「もう!」

 

 ベスト!癇癪はダメ!

 そう、俺はスンとした表情のまま、足だけでその癇癪を爆発させるベストに、ビシッと言わんとした時だった。

 

「ベスト、どうした?そんなに足をブラブラしたいのか?」

「……違う。話の続きをしろ」

「お話って……マヨナカの話か?こんな話、聞いていて面白くもなかろうに」

「いい。全て聞かせろ。お前は俺に会えず、寂しくて俺に似た男に抱かれた。その後どうした。言ってみろ」

 

 ベストの、妙に棘のある言葉がプラスに向けられる。しかし、そんなベストの言葉の棘に、プラスは一切気付いていないようだ。

 仕方がない。なにせ、プラスは俺以上に“ぎょうかん”が読めないのだから。

 

「ねぇ。プラス?もうそのお話はいいんじゃない?」

「いやだ」

「……いやだって」

 

 若干ツンとして俺から目を逸らすベストに、俺は吐き出しそうになる溜息を、必死で喉の奥へと飲み込んだ。

 いや、別にこうして直接プラスに尋ねずとも、ベストはプラスのマナの中に入った時に、ハッキリと“見て”来ただろうに。

 

あぁ、それにしても、あの時のベストの癇癪は凄かった。

——-するーにっ!ぷらすにっ!さわるなぁぁぁっ!

 

 あの時、ベストに蹴られ続けた股間の痛みを思い出すと、俺は今でも心臓がキュウと縮こまるような感覚に陥ってしまう。あぁ、先程まで蹴られていたカウンターは、もしかしたら俺の股間だったのかもしれない。

いや、違うけど。違うけど!!

 

「ふうむ……ベストは俺にお話をして欲しいんだな?」

「あぁ、そうだ」

「じゃあ、もう少し物語風にお話したらいいだろうか。そしたら、もっと楽しくマヨナカのお話も聞けるな?」

「事実を捻じ曲げず、詳細に伝えてくれるならば、語り方はお前に任せよう」

 

 どうやら、まだまだプラスの昔の恋人の話は続くらしい。

 正直、プラスのセキララ過ぎる昔語りは、聞いていて非常に居たたまれないので即刻止めてほしいのだが。きっと、それはウィズも同じだと思う。

 

「はぁっ」

 

 なにせ、プラスの昔の恋人の話が始まってから、ウィズは優に三十五回は溜息を吐いていた。ちなみに、今ので三十六回目だ。もうウィズの眉間には、常時深い皺が寄っている

まぁ、これはいつもの事だが。

 

「じゃあ、物語話風にお話しよう!よしよし、ベスト。足をブラブラしてもぶつからないように、俺の膝の上に来るといい!」

「……」

 

 言うや否や、プラスはベストの両脇に両手を通すと、ひょいと向かい合わせで自分の膝の上にベストを座らせた。プラスはベストとくっつく事が出来て、非常に嬉しそうだ。

 確かに、あの体勢なら、もう足でカウンターを蹴る事は出来ない。ウィズの酒も、もう零れる事はないだろう!

 

 プラスは、たまに眼鏡らしく頭が良い事をするじゃないか!

 

「まったく……あれでは、余りにも父さんが不憫だ」

「へ?」

 

 微かに、カウンター側から溜息を含んだ声が漏れ聞こえてくる。

ウィズはプラスと向かい合わせで膝の上へと腰かけるベストを見ると、ハッキリとその眉間に、今日一番の深い皺を刻んだ。

 

「さて、じゃあヨルに顔しか似ていないマヨナカと出会った俺の、続きのお話をしような!」

「……あぁ」

 

 ベストの足はもうブラブラする事はなく、完全に大人しくなった。けれど、どうしてだろう。ベストの声も完全に沈んでいる。沈み切っているじゃないか!

 聞きたくなければ、マヨナカのお話など強請らねばいいのに。

 

「最初に出会ってたくさん種まきをした後、ちょっとだけ満足した俺……いや、歌の上手なプラスは、マヨナカを置いて教会へ帰ったんだ!なにせ、子供達が心配をするといけないからな?寂しかったけど、もう顔しか似てないマヨナカとは、完全にサヨナラするつもりだった!だって、マヨナカは全然“ヨル”じゃなかったから!でもな?それなのに、マヨナカときたら――」

 

 

 次の日もあの場所に来たんだ!

 

 プラスの元気の良い語り始めに、ベストの瞳に殺意が宿ったのを、俺はハッキリと目にした。