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「…………」
「ベスト?眠ってしまったのか?体があったかーく……いや、ちょっと熱いくらいだな」
「……寝てなどいない」
プラスの首筋に顔を埋め、途中から何の反応も見せなくなったベストに、正直俺は我が子が辛い現実から逃れるために意識を飛ばしたのかと思った。けれど、そんな事はなくベストはただ、静かにプラスの問いかけに答えるのみだ。
「眠いなら、もう今日は此処に泊まらせてもらうか?」
「……どちらでも」
「どうしたどうした?ベスト。なに?やっぱりマヨナカの話はつまらなかったんだろう?」
「……続きは」
「なんだっ!まだ聞きたいのか!?俺は正直、マヨナカの事なんて話していても、ちっとも楽しくないぞ!」
プラスの信じられない!と言う言葉に、俺は心の中で激しく頷いた。
正直、こちら側で聞いている俺だって、ちっとも楽しくないのだ!
なにせ、プラスの語り口調が妙に克明な事もあり、友人の情交を想像してしまい非常に気まずい。
もう、本当に勘弁してほしい。
「ん?ウィズ?」
「―――――」
ウィズに至っては、どうしてもプラスの話を耳に入れたくないのか、ブツブツと何か独り言を言い始めてしまった。
「――――」
よく聞いてみると、そのブツブツの内容は教会法の法律を一条から順に暗唱しているらしかった。耳に入れたくない時の意識の逸らし方まで、ウィズは頭がいい。もちろん俺はそんなモノ暗記なんて出来ていないし、聞こえているモノを聞こえないようにするなんて芸当も出来ない。
それに、俺はプラスの腕の中でグッタリするベストが心配で、目も逸らせそうにないのだ。すると、少しばかりウィズに意識を向けている隙に、なにやらプラスがベストの顔を覗き込み、とんでもない暴挙に出ていた。
「つーんつん」
「っ!」
「どうだ?ベスト。これはそんなに興奮するか?つんつん」
「ぁ、ぁ、ぁ」
先程、プラスが寝床でマヨナカに抱かれた際によくしていたという、唇を人差指で触れるようにノックする仕草を、そのままベストにしている。ベストはその行為に、それまでズンとしていた重い表情から、一気にその大きな目を見開いた。まるで、信じられないとでも言うように肩を震わせ、目を見開きながらプラスを見つめている。
「これが……俺への、罰か」
「バツ?何を言ってるんだ!プラスはバツじゃなくて、まるじゃないか!いや、花丸だ!いっつも素敵だからな!あぁっ、ベストが居て。俺は幸福だなぁ。かわいいかわいい!つんつん!」
「ぁ、ぁ、ぁぁぁぁ」
どうして!どうしてこうプラスは“ぎょうかん”が読めないんだ!いや、これは“ぎょうかん”ですらない!“ぎょう”が読めていないじゃないか!ベストは完全に苦しんでいる!
「ベスト!泣いてもいいんだよ!」
思わず、カウンター越しに叫んだ俺に、それまで後ろ姿で肩を震わせていたベストがチラリと俺の方を振り返ってきた。その目は、もう完全に目に光が宿っていない。
あぁっ、俺の息子が、母親からとんでもない虐待を受けてしまっている。
これは父親として止めなくては――!
「ちょっと!プラ」
「アウト、いい」
「でもっ!」
「た、える」
耐える。
そう、静かな口調にベストから返された言葉に、最早“お父さん”はこれ以上介入できそうにない。息子が直々に耐えると言っているのだ。もう、見守るのが父親の務めである。
「さぁ、プラス。マヨナカの話の続きを話せ。そいつは、どうした?お前を性欲の捌け口にする為に、毎日お前を訪ねていた……畜生野郎は」
「いや、それが。さすがのマヨナカも毎日種を出し続けるのはキツかったようでな」
「……まぁ、そうだろうな。会う回数が減ったか」
多少ホッとしたように尋ねるベストに、プラスはその背中をトントンと、まるであやすようにその背中を叩く。外から見ると、我が子を寝かしつける親のようであり、その口から紡ぎ出されるのは、子を寝かしつける為の“寝物語”のようだ。
けれど、中身はそうも言ってられない!
こんな卑猥な寝物語があってたまるか!
「そう思うだろ?けど、それがアイツ!毎晩来るんだ!俺を抱けもしない日まで、毎日毎日毎日!」
おぉっと。先程ホッとしたような表情を浮かべたばかりのベストの瞳が、完全にあの色のない目へと逆戻りした。最初はプラスを性欲の捌け口として扱っていたマヨナカが、吐き出すものがない日まで、プラスに会いに来ていた。
話を聞く限り、とてもお金持ちで、仕事もとても忙しそうなマヨナカが、だ。
「いつの間にか、マヨナカは俺の愛好者になっていたようだ!俺は素敵だから、まぁ仕方がないのかもしれない」
「……で」
「で?とは?」
「抱かれない日は、何をしていたんだ?」
おいおい。ベスト!どうしてお前はそんなに自分が辛くなってしまう方向に、その身をもっていこうとするんだ!罰なんていらないよ!
ベストはバツではなく、そう、花丸だ!
「んーそうだなぁ。アイツが何かベラベラと喋っている事が多かったな。俺は本当に興味がなかったから、テキトーに聞き流して鼻歌を歌っていた。でも、マヨナカの顔は本当にヨルに似ていたからな。顔だけは、ジッと見つめていた!」
「顔を……見つめて、いた」
「そうだ。そうやって、俺が顔を見つめてると、最初は『どこの馬の骨とも分からん売春婦などに、口付けなどせん』って言っていた癖に、すぐに口付けをしてくるようになった。あぁ、そうだ。抱かれなくとも会った日には、必ず口付けはされたな。あと、」
「あと……あと、なんだ?」
「スルーと、名を呼ぶようになった」
「っ!!」
「どうやら、自分がスルーと俺を呼ぶと、俺の体の反応が良い事に気付いたのだろう!何かにつけて、スルー、スルーと呼ぶようになった。その言い方も、あんなに説明したのに、ヨルとは違うんだよなぁ」
—–アイツは本当にダメな奴だ!
もう何も言うまい。
そう、俺が背中だけで悲壮感を露わにするベストを見て、静かにそう思った。
「―ァ――レ―ゥ、―ィ――ス、―リゥ――」
すると、カウンターの脇でひたすらに教会法をブツブツと唱えていたウィズが、いつの間にかその中身を変えていた。今や歴代の何かの名前や、皇国の歴史年表を必死に暗唱している。声も、心なしか大きくハッキリとしている所を見れば、どうやら完全にプラス達の話を遮断する事は出来ないらしい。
最早ガン開きになったウィズの目を見れば分かる。ウィズも必死なのだ。
「そして、まいにち、あって、かおを、みあわせ、くちづけ、した、おまえたちは、さいご、どうしたんだ」
「ありゃりゃ、ベスト。声が震えているな。眠いんだろ?もう無理せず、眠るといい」
「いやだ。つづきを――」
たのむ。
その震えと決意を帯びた言葉に、俺も決意した。もう、嫌なんて思わない。息子と共に、物語の終わりまで共に歩もうではないか。
「そうそう、その日は突然やってきた!アイツはその日、出会った傍から変だった!ソワソワして、様子が変で!ただ、いつもよりとてつもなく俺へ触れる手つきが優しかった!それで、アイツは言ったんだ」
――俺と共に、皇国の本宅に来い!って。
皇国の本宅、というその言葉に、ベストの俯いていた頭が弾かれたように飛び上がるのを、俺はハッキリと見た。そして、それと同時にそのザワつく言葉の単語を、ともかく胸の奥に仕舞い込む。その件は、また後日考えよう。
うん、そうしよう!