「……プラス」
「あ、ベスト。起きていたか。あんまりつまらない話なんで、途中で眠ってしまったのかと思ったぞ!」
「プラス!なぁ、プラス……頼む」
「わわわっ!泣いているのか?ベスト!」
ベストはもう完全に泣いていた。泣いて、震える小さな拳で、プラスのシャツをギュッと握りしめている。
あわわわ!もう、見ちゃいられない!俺の息子は強い子なんだ!そんなあの子が、あんな風にボロボロと泣くなんて!
そんなのプラスのマナの中に入った時以来じゃないか!
しかも、あの時と違って、声を上げるでもなく、耐えるように時折唇を噛み締め嗚咽を漏らすもんだから、更に親心が締め付けられる。
「俺は……お前の自由を、制限したいとは、思わないっ。けれど、頼む」
「どうしたどうした?ベストは俺に何をして欲しい?」
「お前が歌や踊りが好きで、人の前で披露するのが好きなのはっ……重々承知している。しかしっ」
ベストの嗚咽混じりの言葉に、カウンターでブツブツと必死に人名や歴史の年表を口にしていたウィズも、いつの間にか静かになっていた。どうやら、ブツブツ言っていても、結局話声は聞こえていたらしい。その、ゲッソリと疲労にまみれた顔をみていれば分かる。
俺の恋人は、無駄な努力をしていたというわけか。
「夜の……あの公園での、歌と踊りの披露は、やめて、くれないか」
「へ?」
「あんな事をしていては、いつか、この皇国のどこかに居る、そのマヨナカという奴に、お前が、また遭遇してしまいそうで……怖いんだ」
「……」
「俺はまだ体がこんなだ。今は、地位も権力もない。まだ……なにもない俺では……お前を、さらわれても……引き留め、られない」
ベスト。
俺はポロポロと星のような涙を流しながら言葉を紡ぐベストに、本当に胸が締め付けられる思いだった。そんな俺のすぐ脇で「監禁すればいいじゃないですか」と、シレっとした顔で口にするウィズの言葉を、俺は聞き流す事が出来なかった。
あぁっもう!ウィズはすぐにそうやって相手を監禁しようとする!
「ウィズ、しっ」
「……いや、しかし」
「つんつん」
「っ」
俺は尚も食い下がろうとしてくるウィズに、カウンター越しにその唇を、人差し指でソッと叩いてやった。ちょうど、プラスの話に出てきたからやってみたのだが、確かに効果は絶大なようだ。
唇を叩かれたウィズは小声で「これは確かに……たまらんな」と、手元にあった酒をクイと飲み干した。よし、これからウィズが余計な事を言いそうになったら、つんつんで俺も解決しよう。そうしよう!
「なぁんだ、そんな事か!」
俺がウィズの唇のつんつんに対し、物凄い信頼感を抱いていると、隣からプラスの大声が店中に響きわたった。あ、そうだった。今はこっちの話がどう落ち着くかが大切だったのだ。
「ベストは、俺に夜の舞台を止めて欲しいんだな?」
「あ、あぁ。……いや、無理にとは」
「いいぞ!ベストがそう言うなら、別に俺はぜんぜん構わない!」
「……いいのか?」
「あぁ!俺はベストが一番だからな!舞台は……そうだな。八番目くらいだ!それに、あの場所でなくとも、俺はこの酒場で歌ったり踊ったりできればいい。俺は歌えるなら、場所はどこだっていいんだ!」
眼鏡越しのプラスの目が、これでもかという程ニッコリと微笑む。この顔は我慢をしているような顔ではない。本心でそう言っている。
あぁ、プラスって本当にベストが一番好きなんだなぁ。
「これで、少しはベストの不安も無くなったか?」
「な、なくなりはしない。しないが……少し、安心した」
「そうか!たったこれだけの事で、ベストが安心できるなら、お安い御用だ!」
「余裕がなく、狭量な男で……すまない」
「狭さなら負けないぞ!俺も特別マナが狭いからな!あぁ、ベストも狭いならお揃いだ!嬉しいなぁ!」
そう言って、最後の一筋の涙を流し終えたベストに、プラスがこれでもかという程頬ずりをした。良かった。どうにか、ベストの苦しさも緩和されたらしい。
まるで獣のように互いの頬をこすりつけ合う二人に、俺はその場でパンパンと両手を叩いた。
「さ、ベスト。明日は一緒に参加する為の華燭の典で着る為の服を買いに行くんだから、そろそろ寝な。……ウィズ。二人も此処に泊まって行ってもいい?」
「あぁ、別に構わない」
即答された返事に、俺はウィズがじんわりと機嫌が良い事を悟った。
よく見ると、ウィズは未だに自身の唇に触れて、薄く微笑んでいるではないか。どうやら、あの“つんつん”が非常に気に入ったらしい。そんなに喜んでくれるなら、今夜はベッドでたくさんとんとんしてあげようじゃないか!
「さ、ベスト。眠くてもシャワーを浴びて。また明日ね」
「ん」
そう、プラスの膝の上から降りたベストの背中を押して言うと、プラスの言う通りその体がホカホカと温まっていた。泣いた目をこすっているのか、眠くて目をこすっているのか。
「ふふ、明日は早いからね。ちゃんと寝るんだよ」
「ん」
どちらでもいい。ベストの可愛いその仕草に俺はゆっくりとベストの頭を撫でてやった。ベストが不安に思う必要なんて、本当は欠片だってない。なにせ、プラスは完全にベストだけを見ている。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ベストはプラスの唯一だよ」
「……うん」
今も、そして前世も。
こんなに狭い心を持ったプラスの、そのせまーい場所にベストはすっぽりと入り込んでしまっている。その穴はきっと凄くピッタリだから抜ける事はない。
俺はベストの赤くなった目を慰めるように一撫ですると、明日のベストの衣装合わせを想い、心から胸を躍らせたのだった――
のだが!
「……お前、まさかっ……スルーか?」
「む?」
その次の日の事である。
ウィズ御用達の店の正装着を取り扱う高級店で、俺とプラスは――
その男“マヨナカ”と再会してしまった。