9:アウトの追加公演開幕!

 

 

「お前は俺に抱かれていればいい!不自由な暮らしはさせないと言ってるだろうっ!そんなガキにお前の相手は無理だ!」

「……お前」

 

 余りにも理不尽な言い分に、プラスの腕の中に居たベストが小さく唸った。けれど、その唸り声をかき消す声が、すぐに傍から現れる。

 

「それは違う、マヨナカ。このベスト以外に、俺の相手が無理なんだ」

「何を、そんな、ガキに」

「子供はいつか大人になる。大人になったら、お前とシた以上の事を、俺はベストとやるつもりだ」

「っぁ」

「いいか。よく聞け。マヨナカ。俺がお前に抱かれてやっていたのは、全部お前が“ヨル”に似ていたからだ。つまり、お前はただのヨルの“代用品”だった。聖地が破壊されたと知って、俺を思い出した?必死に探した?」

「……ぅ、ぁ」

「重い、重過ぎる。お前のその重さ、俺は堪えられん。気持ち悪い。こうして、せっかく出会えたヨルと仲良くやっているところに、水を差すな。邪魔なんだよ。用済みだ。ヨルが俺の前に現れた瞬間、もうお前は俺の中で代用品としての価値は消えた。つまり、お前はもう、俺の中で――」

 

 無価値になったんだよ。

 

 

 こんな手酷い振り方を、俺は生まれて初めて見た。そして、こんな完膚なきまでに叩きのめされた相手も、初めて見た。あ、いや違う。見た事はないが、叩きのめされた相手を、もう一人、俺は知っている。

 

——–ずっと!お前が“イン”だと思っていた!

 

 俺だ。

あそこで、プラスを前に絶望の色を濃くし、今にも膝から崩れ落ちそうなあの“マヨナカ”と言う男は……完全に、ウィズとオブが分かれていなかった時に、ウィズから拒絶された“俺”そのものだ。

 インの代用品として扱われ、最後にインではないと分かった時に手を離された。あの時の俺。

 

「もう、お前に用はない。俺がお前に抱かれる事もない。この俺を抱けるのは、今後俺の人生で、この子だけ。この男だけだ」

「……プラス」

「なぁ、ベスト?お前は成人したら、俺を思い切り抱いてくれるよな?」

「あぁ、もちろんだ」

「……はぁっ、はぁっ」

 

 完全に、他人事とは思えない。

そして、きっと俺がマヨナカを見て何を考えているのか察しているのだろう。ウィズからの、非常に気づかわし気な視線が向けられるのを、俺はウィズの方を見ずともハッキリと感じる事が出来た。

 

 肩で息をするマヨナカ。

もしかしたら、プラスが初恋だったとかじゃないだろうか。可哀想だ。プラスは酷い奴だ。代用品として扱われた人間の気持ちなんて、これっぽっちも考えちゃいない。

 

 俺はフラフラと、無意識のうちに歩を前へと進めていた。正直、絶望の終焉と化した舞台の上になど上がりたくない。店の従業員たちは、何事かと思っているだろう。関係者の俺達だって、何事かと思っているのに。

 

「アウト?おい、何をする気だ」

「……何もしない。声をかけるだけ」

 

 俺の後ろから、ウィズが不安そうな声で俺の腕を掴んでくる。一体ウィズは何を不安がっているのだろう。

 

「今、アイツに何を言っても無駄だ。むしろ傷付ける事になるぞ」

「……あの人の気持ちは、ここじゃ俺しかわからいよ。傷付けない。一言、声かけるだけ」

「やめろ。本当に止めてくれ。アウト、お前はそうやって無自覚に相手を……」

「傷付けないって言ってるだろ!」

「お前が誰かを傷付けるなんて思っちゃいない、俺はただ」

「……ウィズ」

——-離せ。

 

 俺は自分の口から出た声が、思いの外低い事に少しだけ驚いていた。どうやら、俺はあのマヨナカの姿を見て思い出してしまったようだ。

 ウィズに拒絶された、あの時のことを。

 

 俺が離せと口にした瞬間、後ろ手に掴まれていた俺の腕から、ウィズの手がそっと離れていくのを感じた。やっと解かれた拘束に、俺はスタスタとベストとプラスの隣を通り過ぎる。

別に、俺の追加脚本で、このラストが書き換えられるとは思っていない。

 

 それに、俺はそもそもプラスとベストに幸せになって欲しいのだ。だから、このラストに不満はない。完全に、振られた方がマヨナカの為だ。だから、何の結末も変わる事もない。これは意味のない追記なのだ。

 

「なぁ、お前さ」

「……」

 

 先程まで大きいと思っていたマヨナカ……いや、男が、今や俺より小さく見える。その目に光はなく、ただ鈍く色を放つ真っ黒の瞳には、自覚した瞬間に終わった恋の絶望があった。

 

「名前は?」

「……」

「プラスに何度言っても覚えて貰えなかった。お前の本当の名前は?」

「……なぜ、お前なんかに言う必要がある」

「お前の為に必要なんだ。無価値になった、今のお前にやっと必要な時が来たんだ」

 

 無価値、と俺が口にした瞬間。

 男の瞳が揺れた。別に、俺はお前に追い打ちをかけた訳じゃない。それが少しでも伝わるように、俺はマヨナカの目をしっかりと見た。

 

「少なくとも、俺はお前を、何の代用品と思ってみちゃいなかった。だから、名前を教えてくれ」

 

 俺にとっては、この男は誰の代用品でもない。コイツはコイツだ。そう、強く気持ちを込めながら口にすると、男は震える声で教えてくれた。

 

「……ライク」

「ライクか。良い名前だな」

「……もう、余計な事を、俺に話しかけるな。俺はもう帰る。こんな所、来るんじゃなかった」

 

 余計な事。きっと“慰め”という言葉を使いたくなかったのであろう。そんな、最後のライクの強がりが、俺には痛い程よく分かった。

 

「おめでとう。今日からお前は、無価値だ」

「バカにしているのか。さっきの仕返しのつもりか」

「本当の事だ。俺は、お前なんかより、よっぽど“代用品”の先輩だ。これまで、俺はたくさん代用品にされて来たからな。だから、これは一つの助言。聞いても聞かなくてもいい」

「……」

 

 俺は、形の良い紺色の背広に身を包んだライクのその肩を軽く叩いた。叩いて、笑ってやった。もう、こういう時は、笑うしかないのだ。

 

「もう一度言う。おめでとう、無価値は全ての始まりだ。誰もが最初、互いの存在が無価値から始まる。それが、どれだけ幸せな事か、俺はよく知ってる。俺は無価値になりたくても、なれなかった過去が山のようにあるからだ」

「……なに」

 

 俺は過去の幾たびも“アウト”になり切れる事のなかった関係性を思い出し、目を細めた。あれは本当に空しい毎日だった。

 

「代用品は無価値以下だ。どれだけ必死に相手を思って動いても、積もった関係性は、全てホンモノへと還元される。俺は、それを何度も何度も経験した。今のお前は、過去の俺が到達したくても到達し得なかった“無価値”という始まりの場所に立てているんだ。羨ましいよ。おめでとう。これから、ライクがプラスの前で積み上げるモノは、全て“ライク”に還元される。未来なんて、誰にも分からない。プラスの事もそうだ。諦めてもいい、諦めなくてもいい。どちらも未来はどう転ぶか、誰も知らない。ライクがライクとして扱われる世界を、これからは、もっと大切に生きろ」

 

 代用品の先輩からの言葉は以上だ。

 そう、俺は一呼吸で言い終えると、大きく見開いて此方を見つめてくるライクの肩を、もう一度だけ叩いた。

 

「ライク、良い名前だ」

「……お前」

「そして、俺は坊やじゃない。二十七歳の、れっきとした……オトナだ」

「っは?」

 

 俺は、地味に引きずっていたライクからの“坊や”呼びを、最後に一応訂正しておく。俺の年齢に、何を思ったのかライクは完全に呆けた顔で此方を見た。

 

「お前……」

「アウト!もう行くぞ!」

「ウィズ」

「そうやって!お前はいつもいつも……俺の気苦労も考えてくれ!?」

 

 ライクが何か言いたげに俺に向かって口を開いたが、けれどその言葉の続きを、俺は聞く事はなかった。なにせ、気付けば俺はウィズに腕を掴まれ、店の外に出ていたから。

 

 その後を、ベストを抱えたプラスが、そりゃあもう楽しそうに笑いながらついてくる。

 なにやら、ベストに「良い避雷針が出来たな!良かった良かった!」と話しかけている。対するベストはどうにもハッキリとした返事をしていない。

 ただ、やっと絞り出された返事は「俺は、アウトも心配だ」というモノだった。

 

 俺は一体、息子から何を心配されているのだろう。父親として、非常に納得がいかない。

 

 俺が何も言わずに飛び出して来てしまった店を振り返ると、そこには店の出入口から出て、此方を見るライクの姿が目に入った。

 どうやら、少しは元気が出たようだ。

 

「まったく、まったく!お前とときたら、お前ときたらっ!なんでそう、誰にでも手を差し伸べるっ!プラスを少しは見習えっ!」

「なぁ。ウィズ」

「っなんだ!?」

 

 俺はどうしてだか怒り狂うウィズに、俺は一つだけ気になっていた事をウィズに尋ねる事にした。

 

「ベストの服のお金は、ちゃんと払ってあるのか?払ってないなら戻って支払わないと、ドロボーになるぞ?」

 

 ドロボーになっていやしないと、心配しての言葉だったが、何故か、その問いが更にウィズの怒りを募らせてしまったらしい。一度立ち止まって此方を見たウィズは、キッと俺を睨みつけると、ウィズにしては珍しい程大きな声で言い放った。

 

 

「当たり前だろうがっ!!」

 

 

 その怒声は、休日の皇国の大通りに、大いに響き渡ったのであった。