18:お願い事

 

 

 その後、あのメイドが再びイーサの元に食器を回収しに来た。

 

「……」

「……ぁ、えっと」

「……」

 

けれど、戸惑う俺を余所に、彼女は一切俺の方など見ようともしなかった。どうやら、「…もう私に、話しかけないで」という言葉通り、もう俺とは一切会話する気はないらしい。

 

「そーですか。そーですか」

 

食器を回収し、既に一人になった廊下で、俺は吐き捨てるように呟く。

 もう、あのメイドに関して、俺は何も思わない事にした。いや、何も思わないってのは、さすがに無理だが、そう努めるより他ない。

 

「はぁっ」

 

 思わず、深々とした溜息が漏れた。

 まぁ、あんな機会人形みたいな女を相手に、一人ドギマギしても仕方がない。忘れろ、俺。

まぁ、声は好きなんだけどなぁ……どっちも。

 

「そう仲本聡志は、あのメイドの女に充てられた二つの声を思い出しながら、しみじみと思った」

 

 微かだが違いのある二つの声。

その微かな声の中に、陽と陰という、相反する二つの声質を感じる。とまぁ、色々ごちゃごちゃ考えてはいるが、どちらの声も透明感があって……要は可愛いのだ。まるで、華沢さんと速水さんみたいな……あぁ、可愛すぎる。

 

 まぁ、性格は完全にアレだけど。

 

こん。

「ん?」

 

 そういえば、メイドの女の回収した皿は、完全に全て空になっていた。どうやら、イーサは残さず全部食べたらしい。

まぁ、昨日の夜、一口も食べていないのだから腹は減っていたのだろう。お陰で、無視されこそすれ、メイドの女から睨まれる事はなかった。

 

こん。

 

 再び戸が叩かれる。何か話せという事だろうか。それとも――。

 

「心配しなくても、俺はここに居るよ」

コン。

 

 俺もイーサ同様に扉をノックして応えてやる。そうだ。俺達はこんなに近くに居ても、扉を隔てているせいで、少しの沈黙も、互いの存在の有無を非常にあやふやにしてしまう。だから、俺はここでは出来るだけ、喋るか、敢えて音を立てるように心がけているのだ。

 

「ごはん。全部食べて偉かったな」

こん。

 

 弾むような軽いノックの音。もう、そろそろいいだろうか。俺はポケットから記録用紙を取り出すと、俺は詰まりそうになる言葉をグッと喉の奥から絞り出した。

 

「なぁ、イーサ。俺、ちょっと困ってて」

 

 困っている。そう、完全に困っている。

だから、ウソではないが、少し声の調子を落として、それっぽく演技の色味を加えてみる。だって、直接顔を合わせられないのだ。だから、“声”に感情を少しだけ濃くして乗せてやるくらいしてもいいだろ。

 

「俺、こっちに誰も友達……っていうか頼れるヤツいなくてさ。中から聞いてても分かるだろ?俺、人間だから馬鹿にされてるんだ」

 

 ノックはない。

イーサの居る中から、この外のやりとりが、普段、どれ程イーサの耳に届いているのかは知らない。けれど、まぁ粗方は聞こえているとは思う。なにせ、こうして俺とは普通に会話をしているのだから。

 

「俺、ここじゃ一人だ」

 

 口にした途端、なんだか妙に“一人”という、圧倒的な孤独を含む冷たさが、俺の体を覆った気がした。少し過剰さを加えて演技をする……俺にとっては“台詞”の筈だったソレが、完全に、台詞の域を越えてしまった。

 

 声が、ブレる。

 

「誰にも、頼れない。頼れる相手が居ない。どうしていいか、分からない。だから、」

 

コン。

 

 一度のノックが俺の声を遮った。

 それは、まるで「分かったから」とでも言うような、いつもよりしっかりとした音質の音だった。

なんだ、俺。ノックの音の調子まで、こんなに分かるようになったのか。それとも、そうあって欲しいという願望か。

 

「イーサ。ちょっと、助けて、くれないか」

 

コン。

 

 

コン。

 

わざと、一度目と二度目のノックに、不自然とも言える“間”が空いた。それは、きっと二度のノックが否定になるという事が、俺達の間では“暗黙の了解”となっているからだろう。

 

イーサは言いたいのだ。

 このノックは“二度”ではない。一度を、二回なのだ、と。

 

 わかった、わかった。

 

 音のないイーサの返事が、俺には聞こえた気がした。

 

「……ありがと」

 

 どうやら、俺は“分からない”という根源的に足元のおぼつかない状況に、相当な不安を覚えていたらしい。しかも、そんな状況に頼れる相手も居らず一人きり。

 その、腹の奥に巣食っていた不安が、声に出した事により、俺の表面までせりあがってきたようだ。

 

「はぁっ……」

 

 これだから、声ってヤツは性質が悪い。

 不安な思考も消せるが、隠していた不安を引っ張り上げもする。演技やフリが、いつの間にか“ホンモノ”に置き換わっている事なんて、よくある事だ。

 

コン。

 

 一度のノックが続く。どうやら、早く言ってみろとでも言っているようだ。否定でも肯定を表す訳でもない場面でも、イーサは敢えてよく使う二度のノックを避けている。

まさか、癇癪ばかり起こす子供のイーサに、ここまでの相手を気を遣う配慮があったなんて。少しだけ驚きだ。

 

「えっと、その……ちょっとビックリするかもしれないんだけど……俺さ、」

 

コン。

前置きは良いとでも言うような素早いノック。わかった。でも俺にだって、言いにくい事だってあるんだ。

 

「俺……文字が、読めないんだ」

 

 コン。

 

 思いの外、ノックの音が軽い。そしてテンポを違わず素早く打たれる。

あれ?俺が文字を理解出来ないというのは、さほど珍しい事ではないのだろうか。それとも、ノリで叩いてしまった?

 

「で、なんか……お知らせが、掲示板に貼ってあるんだけど……俺、読めなくて。何をどうしたらいいのか、全然わかんないんだよ」

 

コン。

 

 未だに、そのハッキリとしたノックが返ってくる事に安心する。

 

「お前に、読んでとは、言わないけど……あの、掲示板、メモしてきたから見て欲しい。あとは、俺が……質問するから、また、ノックで」

 

 そう、俺が必死に「だから、お前は喋らなくていいから」という気持ちを前のめりで伝えようとした時だった。

 

 キイ。

「えっ、えっ?」

 

 まさかの、微かに目の前の分厚い扉が開いた。

しかし、開いたのはほんの僅かな隙間だった。けれど、確かに開けられた扉。薄く開いた扉の向こうには、イーサの姿は見えない。

 

けれど、うっすらと部屋の中の様子が見える。

 布団やら毛布やらがあちこちに散らばっている。その中に、何やら一際目を引くショッキングピンクの何かが見えた気がした。

 

「うわっ!」

 

 そう、まじまじと中の様子を微かな隙間から観察していると、中から此方側へ、ヌルリと手が出て来た。その静かな腕の出現に、一瞬、まるでホラー映画かと本気でビビッてしまう。

 

「あ、え?メモしたやつ、寄越せってこと?」

 

 差し出された手が俺の前でユラリと揺れる。「そうだ」と、頷くような仕草だった。

 

「……これ」

 

 差し出された手に、俺は持っていた記録用紙を手渡す。「あ」と短い声を上げる間もなく、記録用紙を受け取った手は、部屋の中へとそのまま静かに戻っていった。もちろん、戸はパタンと音を立てて閉じる。

 

「あ、え?」

 

 俺はいつもの風景に戻った目の前の扉に目を見開くと、何もなくなった自身の掌をまじまじと見た。記録用紙を手渡す際に、僅かに触れたイーサの手。どうやら、その手に、俺は自分が大いなる勘違いをしている事に気付かされてしまった。

 

「大人じゃん」

 

そう、あの手は、完全に大人の手だった。

 

「仲本聡志は……茫然と、扉の前に立ち尽くすしかなかった」

 

 そう、その手は子供の手などでは全くなかったのである。

はっきり言って俺よりも大きく、白く美しい指先を持ってはいるものの、手の甲にはハッキリとゴツゴツとした骨が浮き上がっていた。

 

「イーサ……?」

 

 皆して“王子”とのたまう相手は、まだ王位を継承していないだけで、どうやら完全に大人の男だったようだ。

 

「うそぉ」

 

 どうやら、俺はこれまでずっと大人相手に、本気で「おとぎ話のお話会」をしていたらしい。その事実に、腹の底からせりあがってくる妙な気恥ずかしさに、その場に座り込むしかなかった。

 

『じゃあ、残さず食べろ。早く大きくなれよ』

 

 あぁ、さっきも俺は、良い大人相手に何を言った?

 

「ハズ……」

 

 俺は両腕に顔を埋めながら、妙な熱に体中を支配されてしまった。そりゃあ、ノックも二回返ってくる筈だ。なにせ、イーサは既に立派な大人なのだから。

おかげで、先程まで腹から湧き上がっていた足元のおぼつかないような不安は一気に消えていた。

 

「あぁっ、もうっ!」

 

 不安と羞恥。どちらがマシかなんて選べそうもない。

 だって、どちらも俺の、

 

「仲本聡志の声は、完全にブレにブレていたのだから!」

 

 俺は静かになった扉の向こうに向かって叫ぶと、しばらくその場から動く事が出来なかった。

 

 

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