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あの一連のイーサの謎の行動の後、俺はすぐに部屋に戻って横になった。ともかく、俺は眠かったのである。
いや、まぁ、ただ“すぐに”というのは語弊がある。なにせ、俺は“すぐに”は帰れなかったのだ。
〇
いつものように俺が『イーサ。俺、もう今日は上がるからな』と、朝食を摂るイーサに声をかけた時だ。
その瞬間、それまで静かだった部屋の中から、バタバタと音をさせたイーサが入口の戸に体当たりをしてきた。
バタン!
『はっ!?何々!?』
コンコン!!
否定を示す二度のノック。まさか、こんな事は初めてで、さすがの俺も酷く戸惑った。まさか、イヤイヤ期がここまで進行しているとは思わなかったのだ。
コンコン!!ゴンゴン!
『え、えぇ』
しかも、そのノックの音が、今まで以上に余りにも必死なモンだから、俺は再び訪れてきていた眠気から、一旦手を離す事にした。
癇癪を起す子を、眠気半分で相手にする訳にもいくまい。
『帰るなって言われても、俺もさすがに寝ないとキツイぞ。イーサ。分かるよな?』
コンコン!
分からんらしい。
さすが王子様。下々の労働に掛かる負荷など分かろう筈もなかったか。
『ずっと休まずに働いてたら、俺も倒れちまうよ。また、明日も朝から来るから』
コンコン!
『イーサ……ごはんを食べろ』
コンコン!
『イーサ、俺。ずっと眠らずに居たら……死んじまうよ』
ピタリと止むノック。
きっと、さすがに俺の声が疲労に塗れている事に気付いてくれたのだろう。それか『死ぬ』という、エルフにとっては先の長い道のりが、人間にとってはそうでない事を理解しているのか。
まぁ、寿命的に“死ぬ”のと、過労で“死ぬ”のは、全然違うんだけどな。
コン…コン。
控えめに叩かれる二度のノック。
否定はしているものの、先程のような勢いのないソレに、俺は溜息を吐くと、ゆっくりとその場に座り込んだ。
『……なら、食べ終わるまでは、此処に居てやるよ』
俺も大概甘い。
でも、どうしてこんな切ないノック音を立ててくる“王子様”に対し、すげなく拒否など出来るだろう。イーサも俺も、互いに“ボッチ”だ。誰からも相手にされていないという点に置いては、まるきり同じ。
しかし。しかし、だ。
正直「人間」という種族というだけで相手にされていない俺よりも、「王子」という最高位の称号を持ってして、ここまで周囲から相手にされていないイーサでは、その精神的なキツさは俺の比ではないに違いない。
結局、俺の場合は、俺の人間性に踏み込んでまで、馬鹿にされている訳ではないのだから。
でも、イーサは違う。
—–イーサ王子の部屋守?なんで俺がンな無駄な事を。お前が全部やりゃいいだろ。人間。
—–もう、あの方はダメだ。ヴィタリック王もさぞ嘆いておいでだろうよ。
—–イーサ王子の部屋守?あの方を、何から守る必要がある?そもそも部屋守など必要ないだろ。
何が理由で閉じこもっているのかは知らない。声を上げない、行動を起こさないイーサが悪いのだと言えばそれまでだ。
けれど、
コン
『イーサ。俺はここに居るから。朝ごはんを食べろ。その間、俺がとびっきりの“朝ごはんのお話”をしてやろう』
扉のすぐ向こうに居るイーサに、一度のノックを送る。特に意味はない。イーサと違って、俺はちゃんと口に出して想いを伝えられるので、この行為自体は、本当にただの“動作”だ。
コンコン。
『ほーら、居るぞ。俺はここに居まーす。じゃあ、今から朝ごはんの話をするぞ。食べながら聞いてた方が、楽しいかもなぁ』
ただ、すぐ向こうに居る相手に、言葉よりもより近く、臨場感と共に、俺の存在を感じさせてやりたかった。
未だに、扉の向こうはシンと静まり返っている。
コンコン。
『じゃあ、行儀は悪いかもしれないけど、この扉の前に盆を持って来て食べてみたらどうだ?うん、そうしろ。俺が許そう』
一人は、寂しい。
ここに来て、俺が真に得た、感情の一つだ。口に出してみたら、何て事ないこと過ぎて笑えてくる。けれど、“向こう”では、ここまで本当の“寂しさ”を感じた事は、一度としてなかった。何故なら、俺にはいつも“金弥”が居たから。
——サトシ―!ビットの声やってー!
金弥の存在は、いつだって俺の人生の真ん中にあった。
カチャ、カチャ。
『持ってきたか』
いつの間にか、イーサは俺の言うように食器を扉の前に持って来ていたようだ。食器同士の擦れる音が、少し寂し気に響く。まぁ、“寂しそう”なんて、これは俺の勝手な妄想だけど。
カチャ。
『ハイ。いただきます』
食事をする音が、扉のすぐ傍で聞こえる。
その間、俺は扉に向かって、何でもない「昔の俺の朝ごはんの話」をしてやった。初めて自分で握ったグチャグチャのおにぎりの話とか。お湯を入れるだけのコーンスープの話とか。
そう、どうでも良い事をベラベラと話した。
その途中、今日の俺の交代要員であるテザー先輩が、いつの間にか俺の傍に立って居た。
チラと視線だけ上げてやれば、驚いたような目で此方を見ている。そう言えば、俺が直接テザー先輩から部屋守を交代するのは、これが初めてじゃなかっただろうか。
『おい……これは、一体』
『……その日、俺は朝ごはんを食べそこなった。おかげで、腹はペコペコだ。ていうか、なんで腹が減る事を“ペコペコ”って言うんだろうなぁ?可愛いよな?』
コン。
『な?可愛いな?ペコペコって』
『……おい』
そう、何度か静かに声をかけられた。
けれど、俺は無視し続ける。今は、イーサが最優先。
きっと、俺が話さなければ、イーサは朝ごはんを食べる手を止めてしまうだろう。俺がちゃんと、イーサに朝ご飯を食べさせてやらねばならない。
『……なんだ、これは』
『いつもの事です』
『っ。そう、なのか』
ヒソヒソとした静かな会話が隣でなされている。いつの間にかあのメイドの女も来ていたようだ。そういえば、盆を下げる時、イーサは一体どうするつもりなのだろう。
『いつも、こうしてお二人は“お話”をされております』
『……信じられん』
『私もです』
何がどう信じられないのか。
百年間も一人で、外にも出ず、誰とも話さない。それが、少しこうして俺と交流するようになっただけで、「信じられない」と驚くなんて。
俺はむしろ“それが”信じられなかった。
こんなに他人との交流に飢えた寂しがり屋が、ずっと一人にされていた事の方が。