「オヤジィ!席空いてるぅー!?」
「まぁた、お前か!勝手に空いてるとこ座れ!」
「はいはーい!」
その声に、俺は眉をヒクリと動かすと、片していたテーブルから顔を上げた。
すると、そこには、薄い朱色のユルリとウェーブのかかった長髪を、右側の肩にかけた色っぽいエルフの男が立って居た。綺麗だ。目元にスルリと引かれた赤いアイラインが、その白い肌に、異様に映えている。
「なにここー!店員さん、みんなヘンなの付けてるじゃーん!」
「なになにー!かわいいー!」
「ホントだねぇ。かわいいねぇ。ねぇ!親父ぃ?コレ、また親父のヘンな思い付きぃ?」
朱色の髪の毛の男の両脇からは、二人の派手な女がひょこりと顔を出してきた。両者共に、胸の谷間やら、尻やらが、ともかく惜しげもなく披露されている。
そのせいか、周囲の男達の視線が一気に二人の女へと向けられる。あぁ、酒の入った男の視線の、いかに素直な事か。
「よーし、ここに座ろうねー?二人共―!」
「ハーイ!」
「今日は何飲もっかなぁ?」
「好きなのいいよー?」
こういう女性も、夜の通りではたくさん見かけてきた。あの男への媚び媚びな態度といい、露出度の高い格好といい、夜のテンションさながらである。
いや、それよりも、だ。
「おーい!注文ヨロシクー!そこのワンちゃん!おいでー!」
「は……はいっ!」
空いた席にドサリと座り込んだ朱色の髪の毛の男の呼び声に、俺は弾かれるように注文に走った。良かった。被り物をしていて。そうでなければ、余りの落ち着かない挙動に、完全に周囲からは不審がられていた事だろう。
「なになにぃ?二人とも何飲むぅ?アマいの?それとも、麦?」
「んー、アタシはぁ。コトウの果実酒がいいー!」
「私はアウルの果実酒、白割でー!」
「うんうん!リョーカイ!じゃ、俺はひとまず麦でいっちゃおー!ワンちゃん?分かったー?」
「は、はい」
戸惑いながらも頷く俺に、薄い朱色の髪をサラリと靡かせた男は、顔に似合わない程の筋肉質なその腕を、ヒラリと俺の前へと持ってきた。
「っ!!」
その瞬間、俺は勢いよく体を逸らせて避けた。それは、過去の経験による、完全な条件反射だった。
「ありゃ?撫でられるのはキラいなワンちゃんだったかなぁ?」
「もー!ワンちゃんは上から撫でたらダメなんだよぉ!叩かれると思って、こわがっちゃうから!」
「下からソッとだよー!」
「そなの?俺、ワンちゃん飼った事ないからワカんないわ」
被り物の狭い視界の向こうで、朱色の髪の毛の男が「こわがらせちゃったねぇ」と、甘ったるい声で謝ってくる。その声に、俺は避けた体制のまま、ゾゾと背筋に嫌な寒気が走るのを感じた。
え、なになになに。なに!?なにコレ!どゆこと!?
「……そう、仲本聡志は、完全に混乱していた」
「よーし、じゃぁ!二人の言うとーり、下から撫でてあげちゃおー!ワンちゃん、おいでー!」
「……う、」
「なぁに?犬なのに、ご主人サマの言う事が、きけないのぉ?」
「い、いえ」
「じゃあ、こっちおいで?」
「……ハイ」
こちらを見つめてくる、赤いアイラインの引かれたその目。その目が、次の瞬間、微笑みと共にうっすらと細められた。
「ぅ、あ」
「コワがらなくていいからねぇ」
下から見上げるように、俺を見てくる。そのせいで、見えてしまった。
「っは、」
「うんうん、ガチガチに緊張してるねぇ。俺って、そんなにコワいかなぁ?」
サラリと滑らかに流れた薄い美しい朱色の長髪の中に、チラホラと見え隠れする白銀の髪の毛。そして何より――。
「ん。よーしよし。かわいいねぇ。今日は面白い日に店に来ちゃったねぇ。俺って運が良いカモ。ど?きもちい?」
「……あ、ありがとう、ございます」
「うふふ。じゃあ、急いで酒持って来て」
——ワンちゃん?
呼吸の仕方だろうか。語尾の空気が抜ける感じに、怠惰な色気を纏わせる、この独特な声の発生のさせ方は、まさしく。
——-お前、どうやって王子に取り入った?
——-お前の代わりなどいくらでも居る。自惚れるな。
——-もう喋るな。汚らわしい人間が。
自身の中にある背筋を凍らせる一つの可能性に、また一つ、また一つと予想に裏付けが足されてしまう恐怖を感じた。
「お。まぁた、アイツ来てんのか?」
「おう!いっつも連れて来るオンナはちげぇけど、全員別嬪だな!羨ましいぜ!」
「ったく!あんな奴、いつか女に刺されりゃいいんだ」
「なんだぁ?シバ、オメェもアイツに女遊びを教えて貰えよ!」
「ンだと!このクソ親父!」
酒を作る俺の脇から、平和な親子喧嘩が聞こえる。そうか、そうか。いつも、来てるのか。しかも、いつも別の女を連れて。
ふーーーーん。
「今日は楽しもうねーー!人生なんていつ終わるかわかんないしー!いつ死んでもいいように、今日もいっぱい飲むよーー!ひゃっはーー!」
もう、ごりっごりにテンションの高い、色気を帯びた男の声が、店中に響き渡った。
あぁ、テザー先輩。
アンタ、そんな大きな声も、出せたんすね。
「仲本聡志は、盆の上に乗せた三つのグラスを前に、」
笑いをかみ殺すのに必死だった。