39:呼ばれた名前

 

 

「家族も周囲も、十三番目の俺などに、欠片も期待していないからな。他の兄弟は、もっと有力な王子の側仕えを命じられているにも関わらず、俺ときたら……。あんな引きこもり王子の側仕えとして、こうして無理やり兵役に付けさせられる始末。これでは、夜遊びの一つや二つ、許されて然りだろうよ」

「……おい、あんなとか言うな。イーサはこの国の王様になるヤツだぞ」

 

 テザー先輩のあんまりな言い方に、俺は思わず眉を顰めた。何故だろうか。最近、イーサを軽んじられるような事を言われると、本気で腹が立ってしまうのだ。

 

「……お前、それを本気で言っているのか」

「本気だよ」

「その根拠は」

「根拠って言われても……」

 

 だって、そういう風にゲームが作られてたし。

 とは、さすがに言えなかった。どうせこんな事を言っても信じて貰えないのは分かっている。ましてや俺は人間だ。頭がおかしいと思われて終わりだろう。

 

「……別に、根拠なんてねぇけど。ただ、そう思うだけというか、何というか」

「ハッキリしないんだな。お前にしては珍しいじゃないか」

「……」

 

 ハッキリと言葉に出来ないせいか、喉に何かの膜を張ったように、声がくぐもってしまう。あぁ、こんなモゴモゴとした声は気に食わない。自分で聞いててウザったいったらない。

そんな俺の態度に、テザー先輩の訝し気な視線は、更に強くなった。

 

「……お前が根拠のない自信で、イーサ王子の王位継承を信じているのは分かった。まぁ、通常であれば、嫡男のイーサ王子が継承するのが順当ではあるからな。しかし、とは言っても……今やアレだぞ」

「だーかーらっ!あんなとか、アレとか、」

 

 言うなって!

 そう、ハッキリと口にしようとした俺の言葉は、テザー先輩の真っ直ぐな瞳によって、ピタリと止められてしまった。何故だろう。テザー先輩の纏う雰囲気が一気に鋭く変化したのが分かった。

 

「サトシ・ナカモト。お前は、一体何が目的だ」

「……え」

 

 突然、名前を呼ばれた。

 それは、最初にイーサの部屋守を任じられて以降、本当に……初めて、俺のフルネームが他人に呼ばれた瞬間だった。

 

「ぁ、えっと」

 

 言葉が詰まる。

 何故だろうか。ただ、名前を呼ばれただけなのに、それまで「人間」と、種族でひとくくりにして呼ばれていた時には感じる事のなかった、存在ごと射抜かれるような鋭い感覚へと陥る。

 

 あぁ、これでは逃げられない。誤魔化せない。

 

「目的を言え。そうでなければ、さすがの俺も見過ごせない。いくら王位継承の可能性が糸よりも細い可能性しか秘めておらずとも、イーサ王子に取り入るのは、この俺だ。それこそが、……ステーブル家の八男という、期待も希望も持たれぬ俺に課せられた唯一の“役割”だ」

「……取り、入る」

 

 その、ずっと俺の中に残っていた嫌な言葉が、再び俺の芯に木霊した。俺は、イーサに取り入ろうとしているのだろうか。取り入って、宝石や高価なモノをもらって、良い気分にでもなりたいのだろうか。

 

 なぁ、どうなんだ?俺。

 

「あぁ、そうだ。これまでは、俺が無理にイーサ王子に取り入らずとも、それはそれで問題はなかった。他の貴族や軍家は、既にイーサ王子を完全に見限っている」

「……そんな」

「しかし、此処に来て状況が変わった。いや、変えられたといっていい」

「……」

「サトシ・ナカモト。お前によって」

 

 周囲の喧騒が、酷く遠くに聞こえる。

 夜の繁華街だ。本当は物凄くうるさい筈なのに、俺の耳には、テザー先輩の声が鋭く突き刺さって抜けない。まるで、氷の氷柱が、鼓膜に付き付けられているような気分だ。

 

「誰の……いや、どこの家の差し金だ?返答によっては、此方も対処の方法を考えなければならない。いくら期待などされずとも、俺にもステーブル家の男児としての……最低限の自負くらいはある」

 

 どうやら、テザー先輩が最近になって、異様に俺に絡んできていた理由はコレらしい。つまり、俺がステーブル家と敵対する勢力の差し金である事を危惧しての事だ。

もし、自分より先に、俺がイーサに取り入って、万が一にでも貴族間の勢力図を塗り替えられては堪らない、と。

 

「そういう事か」

「お前の口から語られる言葉が、ウソでも本当でも。まずは、サトシ・ナカモト。お前の、答えを聞かせてもらう」

「……おれ、は」

 

 あぁ、なんだ。コレ。声が、震える。

 多分ここで、こんな事を思うのは、本当は間違っているんだと思う。おかしな事だと思う。けれど、仕方がない。止められないんだ。

 

「あぁ、なんか……そうだな。そうそう。うん。仲本聡志は、思った」

「おい。だから、急に小声になるな。聞こえないだろうが」

 

 俯く俺に、テザー先輩は更に訝しがると、随分と高い位置にあったその顔を屈ませ、俺の顔を覗き込んで来た。

いや、見るなよ。だって、俺、今。

 

「……なんだ、その顔は」

「うるせぇな……し、仕方ねぇだろ。う、嬉しいんだよ!」

「は?」

「……名前を!呼ばれたのが!嬉しかったんだよ!悪いか!?」

「っ!」

 

 物凄く、変な顔をしている。

 自分で分かる。今の俺の顔は、きっと酷いモノなのだろう。表情が、上手く作れない。ニヤケそうになる口元とは反対に、泣きはしないまでも、目元は感極まってヒクヒクと動いてしまう。

 

「……お前、なんで」

 

 テザー先輩の顔を見れば分かる。なにせ、これまでに見た事のないような顔で、俺を見ているのだから。

 

「アイツと、同じことを。……人間、だからか?」

 

 アイツ。

 アイツとは一体誰の事だろう。人間だからか?とは一体どういう意味だ。あぁ、分からない。まったく、俺はこの世界で、本当に分からない事だらけだ。

 

 仕方ないだろう。なにせ、俺は自分の事すらよく分かっていなかったのだから。

 名前を呼ばれて、こんなにも喜んでしまう自分も。イーサに対して抱いている自分の気持ちも。

 

「テザー先輩、俺……イーサに」

 

 そう、俺が俯いていた顔を上げようとした時だった。