47:あ、喋った

 

 

 誰だ、お前は。

 そう、俺がゴクリと生唾を飲み込んだ時だ。

 

 

「さとしが、とおくに、行かなくても、すむ、方法」

「っ!」

 

 どこかたどたどしく、震えを帯びる低い声。

 ジンと腹の底に響くその低音は、ジワリと耳に残る。きっと声を出す事自体が久々なのだろう。もしかしたら、本当に百年ぶりなのかもしれない。声帯から発せられる空気の震えに、微かな掠れを感じる。

 

「……えっと」

 

 あぁ、分からない。どうなのだろう。いつもなら、誰の声でもすぐに分かってしまうのに。そんな俺ですら、この声だけはハッキリと断言出来ない。

 

——–サトシが、夏休み。おばあちゃん家に、行かなくても、すむ、方法。

 

「キン……?」

 

 思わず、声に出していた。イーサの声で、というより、その台詞で思い出してしまった。

いつかの夏休み、長期で田舎の祖母の家に行く事になった俺に、金弥が言った言葉。

 

——行かないでよ、サトシ。オレら、ずっと一緒って言ったじゃん。一人でそんな遠くに行くなよ。

 

 まだ、この頃の金弥は小学生で、声変わり前だった。間違っても、こんな低い声は出せない。それなのに、何故だろう。目の前のイーサに、俺はハッキリと“あの頃”の金弥を彷彿としてしまった。

 

「な、んで」

 

 この声は金弥なのか。どうなのか。

 確かに似ているのに、俺の中にある金弥の声とは、ピタリと一致しない。

 

「っ、はぁっ」

 

 なんだか、呼吸が上手く出来ない。苦しい。判断がつかないまま、俺は重く鳴り響く心臓の音を抑えこむように、右手を胸へと当てた。

 

「!」

 

するとその瞬間、俺の手に固いモノが触れ、同時に扉の向こうから、驚くほど生々しい声が聞こえてきた。

 

「だれ」

 

 背筋が凍りついた気がした。

 たった二文字の言葉に、こんなにも静かな怒りを込められるモノなのか。顔も見えず、動きも見えない。これは完全に、声のみの表現だ。異次元過ぎる。それまでとは圧倒的に異なる発声による、淀みない、苛立ちと怒り。

 

「キンって」

「……」

「だれ」

 

 なんて事だ。

 そう、イーサの怒りを帯びたその声に、俺の中に湧き上がってきた感情は、恐怖でも戸惑いでもない。

 

それは、紛れもない“嫉妬”だった。

 

「馬鹿か、俺は。そう、仲本聡志は頭を抱えた」

 

 こんな、リアルの声に嫉妬してどうする。これは、誰かがアフレコで後入れした声じゃないんだ。表現力演技力云々の話ではない。これは、イーサの本気の感情だ。

 

 あぁ、まったく。俺はどこまで声優という夢に、執着すれば気が済むんだ。

 

「サトシ。答えろ。キンって、誰だ」

 

 俺からの返事が無いせいで、再び問いが投げかけられる。俺は思わず手に触れていた、イーサから貰ったネックレスを握りしめると、深く息を吸った。

 

「キンは俺の幼馴染だよ。イーサ」

「幼馴染って、なに」

「小さい頃から一緒に育ったヤツって意味。兄弟みたいな奴の事だよ」

「兄弟……」

「なんだ?イーサは何だと思ったんだ?キンのことを」

 

 そう、俺が少しだけ揶揄い混じりに尋ねてやると、それまでテンポの良かった会話のリズムが、一気に崩れた。

 

「イーサ?」

コンコン。

 

 すると、どういう事だろう。再びイーサからの返答がノックに戻ってしまった。

 何故だ。最初こそたどたどしかった話し方が、怒りを機に、随分と滑らかになっていったというのに。

 

 どうして今更、ノックに戻るんだ!

 

「ぶはっ!なんでノックに戻った?普通に話せばいいのに」

コンコン。

「っふ、ふふふっ!また……!急に恥ずかしくなったか?」

コンコン!

 

 まさか、言葉にしたくない気持ちを、敢えてノックに代えて表現してくるとは思わなかった。こんなの、まるで子供じゃないか。イーサが、幼児から子供に成長した。これで、やっと幼稚園の年中さんくらいだろうか。

 

 だとすると、だ。

 

「イーサ。お前の声凄く良かったぞ」

「……」

 

 そう、五歳児くらいの男の子を想像し、話しかける。

 すると、それまで続いていた二度のノックが止み、しばらくの沈黙が続いた。まだか。ならば、もう少し具体的に褒めよう。

 

「そうだなぁ。低音に凄みがあって、耳障りも良い。言葉のテンポも落ち着いてて、心地良かった。つまり、」

「……」

「物凄く格好良い声だった」

「……ぅあ」

 

 微かに、照れたような声が聞こえてくる。ただ、あと一歩何かが足りないらしい。

 それなら、役柄と舞台のイメージをもっと深く、具体的に、綿密に思い浮かべようじゃないか。

 

「よし」

 

 イメージとしては膝に手をつき、目線を合わせ、片手で相手の頭を撫でるような、そんな声と話し方で。

 

 目の前に居るのは、美しい金髪を携えた海外の可愛い男の子。その子が俯きながら、モジモジとした様子で立って居る。きっと喋るのが苦手な子なのだろう。ちょうど、俺の腰あたりの身長の男の子に、俺は優しく、こう言う。

 

「俺、もっとイーサの声が聞きたいなぁ」

 

 どうだ。

 俺が渾身の近所のお兄ちゃん声を出してやると、突然、扉の向こうからバタバタと部屋の中を駆け出すような音が聞こえてきた。足音の感じからいって、扉から離れて行っているのが何となく分かる。

 

「おい、イーサ。どうした?」

コンコン。

 

 俺が戸を軽く叩きながら声をかけてみるが、どうもイーサは扉の前から逃げ出してしまったらしい。俺は再び「イーサ?」と声を掛けようとして、一旦止めた。

 

今のイーサの精神状態が、五歳児くらいの男の子だと想定するなら、これ以上、深追いすると逆効果かもしれない。

 

「ふむ」

 

 これは、俺が着ぐるみショーのバイトをしていた時に、ちょうど今のイーサのような反応をする女の子に出会ったので、なんとなく分かる。近寄ると逃げ出すのに、別の子の元へ行こうとすると、追いかけてくる。あれは、本当に可愛かった。

 

「ったく、何やってんだよ」

 

 扉の向こうは一体どういう状態なのだろう。俺は扉に耳を押し当てて部屋の中の音に耳を傾けた。

 

「ん?」

 

 すると、何だろうか。何やら、ギシギシとベットか何かの軋む音が聞こえてくる。一定のリズムで、断続的に。

 

「イーサ?」

 

 しかもよく聞くと、少しだけ「はぁ、はぁ」と荒い呼吸音まで聞こえてくる始末。

 

 おいぃっ!イーサのヤツ、一体何をやってるんだ!

 音だけ聞くと若干の卑猥さ……エロさを感じてしまうのは、俺が悪いのだろうか。

 

「くそっ。サイアクだ。これじゃ欲求不満じゃねぇか」

 

 ガクリと項垂れる俺の耳に未だに聞こえてくるのは、ギシギシとベッドなのか、ソファなのか。ともかく、布性の家具類が、重さと重力によって軋む音。

 

 そして、イーサの、少しだけ荒い呼吸音だけだ。

 

「……おい、イーサ」

 ギシギシ、ギシギシ。

 

 たまらず、再び声をかける。

 五歳児だと思って接してはいるが、イーサが実際の所、五歳児なんかではないのは、百も承知だ。俺にこのネックレスを手渡してくれた時のイーサの腕は、もちろん五歳児のソレではなく――。

 

——-ちょっ、イーサ?

 

 少し筋肉質で、完成された彫刻のような腕。指は長く、爪は少し伸びていた。その美しい指で、俺の腕を肘から手首まで、まるで手触りを確かめるように触れてくる。

 

——-は、え?ちょっ、なっ。

 

 イーサのヒヤリとしていた手は、じょじょに熱を帯び、最後にネックレスを両手で包み込むように手渡された時は、熱いとさえ感じた。

 

——-ごほう、び?

 

 あ、やば。

 

第1章:俺の声は何!?
米騒動
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