「あぁぁっ!くそっ!もうやめだ、やめだ!」
俺は一人勝手に先に進んでいく妄想と、腹の底から湧き上がってくる覚えのある熱に、激しく声を上げた。それも、とびきり大きな声を。
その瞬間、部屋の中から聞こえてきていた「ギシギシ」という、何かの軋む音が、ピタリと止まった。
クソ。こっちに来てから、いっぱいいっぱいで色々とご無沙汰だった。だからだ。こんな男子中学生みたいな妄想で、ヤバくなるんだ。
俺だって男の子なんだ!!仕方ねぇだろ!?
「仕方ない、仕方ない!そう、仲本聡志は必死に自分に言い聞かせた」
こういう時の為のセルフ語り部だ。上から自分を見下ろせ!ほら、一人顔を赤くして反応しかける滑稽な男が見えるだろう!
「仕方ないだろぉ……」
だって、だってさ。こちらに来て、誰かに触って貰った記憶は、イーサとのアレしかないのだ。それに、普通はあんな触り方、絶対にしない!だからだ!そうだ、イーサが悪い!全部イーサが悪い!
「はぁぁぁっ」
俺は湧き上がってきた熱に終止符を打つべく、荷物の上に置いてあった揚げ菓子の袋を勢いよく手に取った。どうせイーサの事だ。俺にかっこ良いなんて言われて、嬉しくてベッドの上で、たまらず飛び跳ねていたんだろう。
「……うん」
……実際、そうな気がする。
——-わーい!サトシがオレの事かっこいいって言ったー!
——-違う!俺と!同じくらい!かっこいいって言ったんだ!お前だけじゃなくて、俺もかっこいいの!おい!キン!ベッドの上でジャンプすんな!壊れるだろ!
——-わーい!
突然、脳裏を過った懐かしい記憶に、俺は一瞬だけ目を伏せた。
金弥は今頃どうしてるだろう。突然、居なくなった俺の事を心配していたりするのだろうか。それとも、イーサ役に受かって、それどころじゃなくなっているのか。
そうだ。金弥はもう、俺の事なんて忘れて――。
——なぁ、サトシぃ。ずっと一緒に居ようよ。
金弥が、俺の事を忘れるなんてあり得ない。
——-一緒に、住も。なぁ、サトシ。お願い。
そう、言って何度も手を握られた。
重なり合う掌に、ゆったりと指を絡ませるような。そんな仄かな熱さを秘めた生っぽい声。悔しいけれど、俺には天地がひっくり返っても真似できない。あの声にも、俺は何度となく嫉妬した。
——-サトシが、おばあちゃん家に行ったら、オレは一人でどうしたらいいの。
けれど今は、何故だろう。
どこか甘えを帯びたその声に、俺の中に湧き上がってくるのは、どう考えても“嫉妬”なんかじゃなかった。
心配だ。イーサもだが、金弥も一人で大丈夫だろうか。
「あーぁ。イーサが返事をしてくれない上に、一人でベッドの上で飛び跳ねて遊ぶんなら……これはどうしようかなぁ」
俺は手にとった揚げ菓子の袋を見つめながら、演技の色を濃くした声で扉の向こうに声をかけた。「金弥は一人で大丈夫か?」なんて、思った所でどうする事も出来ない現実に、そっと蓋をしながら。
「せっかくイーサに買ってきたごほうびとお礼だったのになぁ。捨てるのはもったいないからな。仕方ないから、訓練に行った時に先輩に上げるしかないかな」
ットン!ダダダダダッ!ドン!
俺の前の扉が勢いよく揺れた。
やっぱりだ。あの着ぐるみショーの女の子同様。追いかければ逃げるが、そっぽを向くと駆け寄ってくる。
「なんだ?いらないんじゃなかったのか?」
俺が揶揄い混じりに尋ねてやれば、イーサは扉に向かって、コンと一度だけノックをした。一度だけ?一度のノックは肯定だ。だとすると、いらないと言う事になるが。
そう、俺が予想外のイーサからの返答に目を瞬かせた時だった。
「……いる」
肯定を示す、短い答え。
イーサが、また喋った。
どうやら、叩いている途中で、ノックは止める事にしたらしい。イーサの中でも未だに声を出す事には、多少の葛藤があるようだ。
「……そっか。いるか。うん。なら良かった。これは、イーサに買ってきたヤツだから。いらないって言われなくて、良かった」
良かった。
噛み締めるように俯いた俺の目に、イーサのネックレスがキラリと光った。なんだ。自分はあれだけ「いらない」「返す」と拒否しておいて、自分がそうされると、やっぱり嫌なんじゃないか。
ずっとずっと、嫌な思いをさせてしまった。でも、やっと受け取った。もうこれは、俺のだ。
「イーサ。ごめんな。ネックレス。返す返すって何回も言って。ずっと嫌な気持ちにさせてたな」
「……」
「ありがとう。もう、このネックレスは俺のだから、返さないよ。ちゃんと受け取った」
言いながら、俺は国章のモチーフにソッと指先で触れる。
シンプルなひし形模様のソレは、上下に切り離されているにもかかわらず、互いが引き合うように、綺麗に形を保ったままだ。
上は知恵。下は勇気。
まるで、この二つは互いに一緒に居なければならない、とでもいうように。
「うん、そうだな」
俺の好きだったアニメの主人公達は、最初はそうでなくても、物語が進む中。必ずその二つを手に入れていた。
いや、なにも自分一人で全てを手にする必要はない。足りないモノは、“仲間”が持っていてくれればいいのだ。知らない場所に飛び込む時、強大な敵を前にした時、辛い出来事に見舞われた時。
乗り越えるのに、一人ぼっちじゃ余りにも寂しい。
「今も付けてるんだぜ。良いなぁ、コレ。凄く良いよ。ネックレスなんて生まれて初めて貰った。綺麗で、お洒落で、素敵な贈り物だ。俺に似合ってるかは分からないけど、大事にするよ。ありがとう、イーサ」
服の下に隠していたネックレスを、俺はそのまま服の外に出した。今はイーサと二人だ。だから、隠さなくてもいいだろう。
それに、こんなに綺麗なんだ。隠してばかりじゃもったいない。
「よーし。じゃあ、このネックレスのお礼もかねておりますので。王子様、この扉を開けて頂けませんか?」
少しだけ畏まって問いかける。
ついでに、声には態度もしっかり現れるモノなので、それっぽいポーズも付けてみた。
右手を胸に当て、左手を背中に回す。うん。よくこんな感じで、執事キャラはお辞儀をしていたような気が、
「いいだろう」
突然、これまでのイーサの幼さの残った話し方とは、一線を画する程ズシリとした声が扉の向こうから聞こえてきた。そして、その声に俺が呆気に取られていると、ガチャリと音を立てた扉が、ゆっくりと開いていく。
「え」
え、え、え?扉が、開いてる?
「えっ?」
キィィ。
けっこうしっかりと扉が開く音がする。俺はてっきりいつものように、扉の隙間から食べ物だけをやり取りするような、あの、隙間みたいな扉の開け方を想像していたのに。
どうしてだろう。
「サトシ、お前からの“ごほうび”。このイーサが全て受け取ろう。……あと、」
これまで是が否でも姿を見せなかったイーサが、ソロリと扉の向こうから現れるのを感じた。未だにお辞儀をし続ける俺の頭上に大きな影が落とされる。
フワリと、なんだか懐かしい匂いがした気がした。今は夜で、ここは部屋の中なのに、何故だろう。
それは、お日様みたいな匂いだった。
「俺の声は、父より格好良いか」
そう尋ねてくる言葉の、なんと幼いことか。
しかし、腹の底から湧き上がってくる、その鋭く重低音ながらも耳に残る清々しい声は、まさに“本物”のイーサの声に違いなかった。