79:変化の先へ

 

 

 低く落ち着いた声が、閉じられた部屋の中で静かに響き渡る。

 

「サトシ、サトシ、サトシ、サトシ」

 

 その部屋の床は、まるで金色の絨毯を敷いたかのように、あちらこちらで光を反射しキラキラと光り輝いていた。

 よく見れば、光り輝くソレは、大量に切り落とされた黄金色の頭髪だ。

 

「……サトシ、サトシ、サトシ。さとしー」

 

 そして、ベッドの上には、その散らばった髪の毛の持ち主が機嫌よくベッドの上を転げまわっていた。その腕には、ショッキングピンクのウサギの姿。

 

「ふふ。あも、サトシはすぐに俺の事を想うぞ?いいだろう?サトシはきっと俺の事が好きで好きでたまらないのだ」

 

 そう、ゴロゴロ転げまわりながら、イーサはギュッと腕の中の“あも”を抱き締めた。それまで髪の毛によって隠されていたイーサのうなじが、今や惜し気もなく晒されている。

 

「はぁっ、ネックレスのお陰で、サトシが何を考えているのか、なんとなく分かる。これは良い気分だ。なぁ、あも。お前もそう思うだろう?」

 

 語りかけるイーサに、ウサギのぬいぐるみが変わらぬ笑みで応える。

 

「はー。素晴らしいなぁ。素晴らしい気分だ」

 

 髪の毛を切ったせいだろうか。イーサは今までにないくらい、酷く開放的な気分だった。やはり、無意味な慣例や慣習などはさっさと廃していかねば。そう、イーサは改めて思う。

 

「だいたい。長髪が権威の象徴など、考えが古すぎるのだ」

 

そもそも、マナを溜めておける場所は、髪の毛でなければならない訳ではない。それなのに……。

 

——–どうするんです!そんなに切って!戴冠式の時に格好がつかないでしょう!?

 

 マティックのヒステリックな声に、イーサはとっさに自身の尖った耳を、あもの両手を使いギュッと塞いだ。

 

「……ムダは嫌いだ」

 

 本来、王族のマナは、その“血”によって保有されるものだ。事実、髪を切ったからと言って、イーサの体内に保有しているマナが減ったわけではない。

 

「マティックだって、そんな事は知っているだろうに。それなのに、古い慣習の見てくればかり気にして……」

 

 国民に対し、自身の王気を分かりやすく示すのに丁度良いと言って始まった、王族の長髪の慣例。しかし、イーサはそういった実質の伴わない行為が大嫌いであった。というか、自身を縛るモノは何であっても好きになれない。

 

「なぜ、一番偉い筈の王族が、一番たくさんのしがらみを持つ?あも。俺は……イーサはもっと自由になりたいぞ」

 

 王族に課せられた使命、しがらみ、慣例、ルール。

 ただでさえ、山のような縛りがあるのだ。それなら、中身の伴わない慣例など、廃してしまわねば、やってなどいられない。

そう、引きこもる前にも、様々な事柄に対して口を出していったが、それは全て皆に嫌な顔をされて終わってしまった。

 

「あの頃は、嫌な顔をされれば、それでイーサは我慢してやった。偉いだろう?俺が折れてやったのだ」

 

 イーサは引きこもる前、ずっと居心地が悪かった。

 なにせ、イーサが何か言えば、皆口を揃えて言ったものだ。「また、第一王子が変な事を言っている」と。皆、そうやってイーサを見ていたのだ。何かを変えようと口にすれば、それは、“変”だと言われ、嫌な顔をされる。

 

 変化を望まない周囲から、イーサは常に浮いていた。その為、折れてやっていた、というより、そもそも闘う気すら削がれていたのだ。

 

 なにせ、イーサはずっと一人だったから。“仲間”が、居なかったから。

 

「……サトシ」

 

 そう、イーサは自身の首筋に手を触れて、その名を呼んだ。

 

——–イーサ。少し髪を切ったらどうだ?これじゃ、あんまり長すぎだ。きっと、イーサなら、髪が短くても似合うと思うぞ?

 

「そうだな、サトシ」

 

 髪を切ったからこそ分かる。

 髪が長いのは、非常にうっとうしかったのだという事に。それこそ、部屋の外に出るのも、声を出すのすら億劫になる程に。

 

「あも、知ってるか?軽いと、動きやすいんだ。俺はこんな簡単な事にすら、今、初めて気付いたぞ」

 

 それも、サトシが教えてくれた。変化した事で気付けた。

 

「サトシは、短い髪のイーサも、きっと素敵だと言うだろう!これは、ネックレスがなくとも分かるぞ!」

 

 だから、イーサは分かった。

 変わろうとしないヤツは、説得するより、変わった世界に連れて行く方が断然早い、と。連れていけば、その世界が当たり前になる。変化して気付く事もたくさんあるのだから。

 

 そして、変化は次第に“当たり前”になり、人々の中に根付いていく。変化する前の世界の事など、夢のように忘れ去ってしまうに違いない。

 

「あんなネックレス、一体誰が好き好んで使うかと思っていたが……ふふ、ふふふ。使ってみたら便利なモノだ。良い良い。あ、またサトシが俺を思い出したぞ、あも。どうやら、俺の事を心配しているらしい。もっと心配しろ、もっと、もっと!ずっと!イーサの事だけを!」

 

 イーサは自身の露わになったうなじを撫でながら、クスクスと笑った。

 

「もっともっとサトシが俺の事を想えば、もっともっともっと詳しく分かるのに。思い出す時間が短すぎる。まったく。サトシはこまったヤツだ」

 

 物言わぬ人形相手に、イーサはポロポロと言葉を零し続けた。

 しかし、やはりサトシが居なければ、あもは一切イーサの言葉に返事をしたりしない。昨夜はあれほど、イーサの事を『好きだ好きだ』と口にしていたというのに。