「……キンとは、誰だ?“おさななじみ”とは何だ?兄弟のようなモノと言っていたが、お前は兄弟を、あんなに恋しそうに呼ぶのか?」
イーサにも腹違いの兄弟は多く居る。しかし、聡志のような声を出す感情など、欠片も沸いてこない。そして、そう考えると、イーサは腹が立って仕方が無かった。
「キン、キン、キン……」
イーサは、“キン”の事を考えると、あもですら投げ飛ばして、今すぐ部屋中を駆け回りたい衝動に駆られた。そしてそれは、結局“衝動”だけでは終わらなかった。
「うううううっ!キンとは何だ!キンとはいつだ!キンとはどこだ!……っキンとは誰だ!サトシはイーサよりもキンが好きなのかっ!?あぁぁぁっ!」
爆発した。見事、イーサの中の癇癪玉は弾け飛んだのである。
「腹が立つ!腹が立つ!腹が立つ!!」
そして、イーサの手元にあったあもは、無情にもベッドの上から床へと投げ飛ばされてしまった。フワリと、床に散らばったイーサの髪の毛があもにまとわりつく。それでもあもは、その笑顔を絶やす事はない。
「サートーシーーーー!!」
しかし、いくら癇癪を起して大声を上げたとて、サトシがいつものように「イーサ!」と、自身をたしなめに来てはくれない。そうなれば、イーサの癇癪は意味を持たず、すぐに、その熱は沈下した。
「……うー。今晩、必ずサトシに癇癪を起こしてやる」
密かに決意を固めたイーサは、投げ飛ばしたあもの姿を捉えると、しばらくその姿をジッと見つめた。そして、音もなくベッドから降りると、床でニコリと笑うあもを抱き上げてやる。
「……悪かったな。あも」
イーサは笑うあもをギュッと抱きしめると、そのまま小さな声で呟くように言った。
「……でも、サトシがイーサの王様を見たいというなら。なってやってもいい。父より凄い王だと、サトシに言わせられるような王になれば、きっと聡志は、今度こそ“ヴィタリックより、”キン“より……イーサが一番だと言う筈だ」
だから、イーサは王になる。
たった、それだけ。
しかし、そこには、イーサの行動原理の全てが詰まっていた。
聡志がイーサに王を望むから。ヴィタリックより、キンよりも、イーサの方が良いと言わせたいから。
「……サトシは、イーサのだ」
——コンコン。イーサ?何してる?聞こえてるか?
誰からも理解されず、自由もない。目的もなく、希望もない。孤独を孤独とすら感じなくなっていた百年もの月日。そんなイーサの扉の戸を、聡志は何てことのない顔で叩いてみせた。
「……サトシだけだった」
イーサにとって、聡志は“特別”だ。
イーサの部屋の戸を叩くなど、きっと誰にでも出来る事だった筈だ。たまたま、ノックしたのが自分だっただけだ。大した事ではない。と、聡志ならきっとそう言うだろう。
そう。誰もがイーサの部屋をノックする事が出来た。ただ、誰もイーサの部屋の扉をノックしなかった。
しかし、
「サトシだけが、イーサの扉を叩いた」
それだけが、事実。
イーサにとって、聡志は特別だ。
ネックレスにより縛られているのは、果たしてどちらなのか。
イーサも、そして歴代の王達も。王家の“男達”は、軒並み気付く事はない。その問いにすら到達しない。なにせ、彼らは自身が最も尊い身である事を、誰よりも自負しているからだ。
「サトシ、サトシ、サトシ、サトシ……さとし」
与えられた相手は、与えられたネックレスにより“物理的な支配”を受ける。
そして、与えた方は、相手を支配したいという想いで、自身の心を相手へと縛り付ける。
「サトシは俺の。イーサのモノ」
そう、ネックレスを与えたいと思った瞬間から、縛られているのだ。
王であろうとなかろうと、権力を持とうと持たざると。自身が非常に強い“執着心”により、相手へと縛られてしまっている事に、男達は一切気付かない。
コンコン。
「イーサ王子。いらっしゃいますか」
「イーサは留守だ」
「……まったく。ふざけてないで、私と共に、ソラナ姫の元へ行きましょう。姫も王子に会いたがっておいでです」
「……げぇ」
扉の向こうから聞こえて来たマティックの声と、久々に聞いた妹の名に、イーサは一瞬にしてその顔を歪ませた。
「……ソラナ。会いたくない」
昔から、たくさんの兄弟達の中で、長兄であるイーサに唯一面と向かって歯向って来ていたのは、彼女だけだった。
押しも押されぬ王家のお転婆娘。ソラナ姫とはまさに彼女の事だ。
「マティック!」
「はい。どうされました?イーサ王子」
男系主義社会である、クリプラントにおいて、女性は男よりも格下とされている。そして、その男系社会の最も“濃い”部分“を煮込んで煮詰めたような王家の中で、ソラナだけは、女という性に甘んじる事がなかった。
——–お兄様!私、男が大っ嫌いなの!いい!?大っ嫌い!何でかって言うとね!
「ソラナには、俺は居ないと言ってくれ!それか、お腹が痛いから会えない!無理だと!」
「……イーサ王子」
扉の向こうから、マティックの呆れたような、諦めたような声が聞こえる。何をどう言われても、会いたくないモノは会いたくないのだ。
会いたくないのだ!
「ソラナには会いたくない!いやだいやだ!会いたくない!アイツはウルサイから大嫌いだ!」
そう、“ソラナ”と、イーサが妹の名を口にした時だ。イーサの脳裏には、幼い頃のソラナのキンキンとした高い声が蘇ってきた。
——–バカだからよ!男はみーんなバカばっか!お兄様に王気はないわ!もちろん、他のバカ兄貴達にはもっとない!だから、次の玉座は私に渡しなさい!悪いようにはしないから!
「うぅ、頭が痛い」
そうイーサが、あもに自身の顔を埋めたのと、イーサの部屋の扉が開け放たれたのは、最早同時と言ってよかった。
バタン!と、イーサの部屋の扉が、ノックもなく無遠慮に開け放たれた。王子の部屋に、そんな無礼を働ける者など、そうは居ない。
「ぅあ」
「お久しぶりです!お兄様!百年ぶりですね!まったく……」
同じ、王族を除いては。
「これだから男は……お兄様は馬鹿者の愚か者なのよ!こんなのに、未来の王など務まる訳ないわ!マティック!今からでも遅くないわ!次の王には、この私!ソラナを擁立しなさい!悪いようにはしないから!」
イーサは目の前に現れた、成長した妹の姿に目を剥くと、片手で頭を抑えた。
「うぅ。うるさい。頭が痛い」
イーサのその声は、抱きしめたあもの綿の中へと、萎むように消えていった。