107:イーサはお兄様

 

 

——–いーさぁ。いーさぁ。

 

 

「っ!」

 

 その瞬間、イーサは自身の体に走った奇妙な違和感に、ヒクリとその身を震わせた。

 

「サトシ?」

 

 思わず口から漏れたその名が、全ての違和感の答えだった。

 

「どうされました?イーサ王子」

「……いや」

 

 イーサの傍らに控え立って居たマティックが、突然その表情を強張らせたイーサに怪訝そうな顔を向ける。そして、そんなイーサの表情の変化に反応したのは、マティックだけではなかった。

 

「イーサお兄様、どうされました?もしや、百年ぶりの“お外”に戸惑っていらっしゃるのかな?」

「あぁ、きっとそうに違いない。しかも、突然の父上のご逝去の知らせだ。引きこもっておられたイーサ兄様には、余りにもショックだったのだろうさ」

「まぁ。それでは、今後のクリプラントの政は、イーサお兄様には荷が重いのではない?」

「それにしても、出てきて早々その御髪。本当に、いつもお兄様には驚かされますわ」

 

 その言葉と共に、その場に居たソラナを除く全員がクスクスと静かに笑った。明らかに、その笑みには嘲笑の色が見て取れる。その姿に、ソラナは閉じていた目を薄く開いた。そして、この状況の懐かしさに、腹の中で反吐を吐く。

 

 まったく本当に下らない、と。

 

「イーサ王子、大丈夫ですか」

「……あぁ」

 

 マティックに再び声をかけられたイーサは、背筋に走る違和感を抱えたまま、薄く頷いた。あぁ、何故か酷く落ち着かない。

 

現在、イーサは百年ぶりに弟妹達と対面を果たしているところだ。

場所はクリプラント王宮、最奥の間。そこには、王の直系の血筋のみが座する事を許された“弥栄の卓”がある。

 

長机である弥栄の卓は、玉座に最も近い奥の椅子から、王位継承者順に腰かけるのが習わしだ。その為、イーサは最も奥の椅子に腰かけ久々に相まみえる弟妹達を静かに眺めた。

総勢十数名。ちょうど向かいの席にはソラナが不機嫌そうに座っている。

 

「イーサお兄様もお部屋から出てこられた事ですし、さて、父上の死を悼み、そして今後の王家の政について話し合いましょう」

 

 イーサの隣に腰かける次弟が、場を仕切るように悠々と言葉を放つ。そんな次弟の姿に、イーサは腹の底で「コイツは本当に変わらないな」と、呆れずにはおれなかった。

 

能力も中身もない自分をひた隠すように、発言の場ではここ一番に仕切り役を買って出る。そうやって、父や兄弟達の前で、優秀さを示すべく必死に立ち回る姿は、イーサにとって滑稽に見えて仕方が無かった。

 

「そうですね。いつまでも悲しみに暮れてはいられないが、今このひと時だけは、偉大なる父の死に祈りを捧げましょう」

「えぇ。私もまだ信じられないの。あんなに強かったお父様が……まさか、あんなに痩せて」

「俺もそうさ。お父様には、もっと学びたい事が山のようにあったというのに」

「イーサお兄様がお部屋から出てこられない中、必死にお一人でやってこられたものね」

「もっと私達が力になって差し上げれば、こんな事にはならなかったのかもしれないな」

 

そして、次弟に続く弟や妹の、これまた中身のない、薄っぺらい言葉の羅列。これも、昔と変わらない。次弟の中身のない仕切りと、それに続く更に中身のない言葉の終着点は昔から決まっている。

 

「お父様は、ずっとお兄様を心配しておられたんですよ?」

「……ふう」

 

 長兄であるイーサの孤立だ。

 弟や妹達からの白々しく向けられる視線に、イーサは軽く息を吐いた。

 

 百年も時間があったにも関わらず、一切成長のみられない弟や妹達に、ともかくうんざりした気分を拭えない。唯一救いなのは、イーサと同じような気持ちでソラナが向かいに座っている事だけだ。

 

ソラナは静かに目を伏せている。

 

ただ、その足元では一番席の近いイーサにしか聞こえないような微かな動きで、足をコツコツと鳴らしていた。

 その足音が示すのは、ただ一つ。

 

『兄様、コイツらをさっさと黙らせてちょうだい!』

 

 ソラナは、自身が女である身で発言権がない事を自覚している。だからこそ、何も言わず目を伏せているのだ。我慢しているのだ。耐えているのだ。

 

「それもそうだな」

 

 イーサは小さく呟くと、その場で静かに腕を組んだ。頭の中では聡志の『いーさぁ』という幼い泣き声が鳴りやまない。そう、イーサも、いつまでもこのような茶番に付き合ってやる暇はないのだ。

 

「父への祈りなら、後でお前らだけでたっぷりしろ。俺には時間がない。故に、俺はこれから次王として、お前らに今後の決定事項を述べる。よく聞け」

 

 突然、イーサの口から放たれたピシャリとした言葉に、それまでまろやかな口調で、まわりくどく、周到に、イーサを孤立させようと口を開いていた弟妹達が、一斉に驚きに目を見開いた。

 

「イーサお兄様、急に何を……」

「そうですよ。今は、そのような話は……」

「何を言っている。此処は本来、そう言った話をする場だろう。まさかお前ら、そのような下らない口車で、俺が王位継承権を放棄するとでも思っているのか?それなら時間の無駄だ。やめろ」

 

 イーサは卓の上に肘をつきながら、隣に腰かける出しゃばりな次弟へと目を見やった。そこには、イーサ同様、ヴィタリックの血を濃く受け継いだ美しい金糸の髪の毛を結い上げた、美しい次弟の姿がある。

 

そして、その奥もその奥もその奥も、ぜーんぶ同じような顔と髪型のエルフが並んでいる。

 

「あぁ、父の血もここまで濃いと興ざめだな。髪を切って正解だった」

「イーサお兄様!急にお部屋から出てこられて、ふざけた事を申されないでください!今まで百年間何もしてこなかった癖に、何を急に!」

「じゃあ、お前らは何かしてきたのか?」

「してきました!お兄様と違って私達は国の政を……」

「公務?言われた事を事務的に、儀礼的にこなす事を、政治とは言わん。なぁ、お前らの中に一人でも居るか?父の死によって訪れる、クリプラントの国損と重大な危機を十以上述べられる者は」

 

 コツコツコツ。

その音はソラナの鳴らす足音か、それとも人差指で机を突くイーサの指音か。

 

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