108:イーサはお子様

 

 

「イーサお兄様、話をすり替えないで頂きたい。今ここですべきなのは、」

「今すべきなのは、何だ?」

 

 イーサは次弟の言葉を遮り、同じ言葉を繰り返した。相手の目をジッと見つめるのも忘れない。更に少しだけ次弟との距離を詰め、そして口元には、薄い笑みを浮かべてみせる。

 相手の答えを促すだけの、ただそれだけのやり取りが、一気に相手へのプレッシャーとなりその者の口を閉ざさせる。

 

「ほう、これは懐かしい」

 

 その姿を、マティックはイーサの後ろから感心して眺めた。そして、思う。本当に懐かしいモノを見た、と。

 

「お父上によく似ていらっしゃる事で」

 

そう。これは、ヴィタリックがマティックの父と言い争いになった時に、彼がよくしていた独特の論戦手法だ。

マティックの父親は、ヴィタリックのしてくる“コレ”に、ほとほと弱かった。まぁ、その場合マティックの父親が口をつぐんでしまうのは、弁と論が立たないからではなく、“惚れた弱み”だからなのだが。

 

「今はなすべき事、それは、今後のクリプラント迎えるであろう大局について話す以外に何がある?お前らは俺と違い“百年”も父の側に居て、そんな事も分からないのか?」

「でもっ!」

「なぁ、俺には時間がないと言っているだろう?お前らは、遅いんだよ。本当に遅すぎる。国の竜骨である父が死に、お前らにその死が伝えられた。次は官吏、そして国民へと続く。下手をすると、今この瞬間にも、父の死は外部に漏れている可能性もあるんだぞ」

 

 イーサがグルリと卓を見渡す。それに呼応するように、弟妹達もイーサへと目を向けた。

 

「そうなった場合、最も懸案すべき事項は何だ?」

 

 長髪の弟妹達の中にあり、イーサだけがその首筋からうなじの全てを、遺憾なく皆へと晒している。

 

「……なぁ、誰でもいい。答えろ」

 

 王族は長髪である事が、このクリプラント王家に伝わる暗黙の了解だ。

それは、王族の持つその光輝く金糸の御髪が、権威の象徴である為だ。民や官吏に自身の王威を広く示すのに、長髪は王の武装としてその身を覆う。

 

ただ、その他にもう一つだけ、王族の長髪には隠された理由があった。

それは――。

 

「そうか。答えられないか。それとも、答えたくないのか。考えたくないのか。どちらにせよ、お前らでは“王”は無理だ」

 

 首を守る為。

 王は、絶対権力であり、逆らう事は許されない。もし、逆らいたければ、その首を胴より切り落とすより他ないのだ。

 

 ゴクリと、弟妹達は惜しげもなく晒されたイーサの首に目を奪われた。その姿はハッキリとこう言っていた。

 

「本日、この時を持って、このイーサが王だ」

——-殺れるものなら、殺ってみろ。

 

 イーサの太い喉仏が隆起する。低く、強く、太い声が最奥の間へと響き渡った。

 

「……いやね」

 

向かいに座っていたソラナは、少しだけ羨ましさをもって、その姿に目をやった。自分にはない、その圧倒的な“力”は、“男”特有の何かを感じる。けれど、決して口には出さない。

感じただけで、まだまだ認めてはいないのだから。

 

「文句がある者は、今後の国政における課題と、それに対する対応策を十は並べて、このマティックの元へと来い。マティックに認められるようなモノを出せたら、そしたらやっとその次は、この俺が直接話を聞こうではないか」

 

 そう言って、不敵に笑うイーサの姿に、ソラナは椅子から勢いよく立ち上がった。周囲の兄弟達の視線がイーサとソラナで二分する。

 

「わかりました。お兄様」

 

イーサの首を狙うのは、もう少し後でも遅くはない。今はひとまず、この国の未来についてだけ考えよう。

 

「では、マティック。聞きなさい。私の思うこの国の課題とその対応策を。あぁ、イーサお兄様以外は、是非一緒に聞いてちょうだいね。共に国の話をしましょう。半日かかっても終わらないと思うけど、よろしく頼むわね」

 

 ソラナの言葉は、柔らかい笑みと共に、凛としてその場に響き渡った。

 

 

        〇

 

 

イーサは走った。

 やっと終わった。やっと黙らせた。議論も論破もイーサは昔の勘を取り戻しつつあったが、正直まだまだだった。

 なにせ、あんな愚弟達を黙らせるのに、一刻もかかってしまったのだ。

 

「サトシッ、まさか来ていたのか!?」

 

 最奥の間で聞いた、聡志の震えるような『いーさぁ』という幼い声に、イーサは嫌な予感がしてならなかった。今は昼間だ。聡志がイーサの元を訪れるのは、本体の意識が失われた時のみ。つまり夜だ。

という事は、労働の真っ最中である筈の昼間に、聡志が夢でイーサの部屋を訪れるというのは普通に考えればおかしい。

 

そう、“普通”は、おかしいのだ。

 

「サトシッ!」

 

 イーサは玉座から最も遠い、自身の寝所を目指して走った。中庭の美しい花々を横目に、嫌味な程に透き通った青空の元を走る。そして、イーサは自身の部屋の扉を前に、静かに息を整えた。意識を集中する。

 

 ガチャリ。

 

 ドアノブに手をかけ、扉を開く。

その瞬間、ピリと痺れるような痛みと共に、子供の泣き声がイーサの脳裏にこびりついた。

 

——イーサぁ。いーさぁ……いないのー?どこー!

 

「っ!やっぱり!サトシが来てたんだ!サトシが!イーサに会いに!」

 

 最早、先程までの威厳など一掃したイーサのその姿は、まるで幼子そのものだった。部屋に入れば、至る所に聡志の残滓が残っている。特に、一番酷くこびりついていたのはベッドの上の、あもだった。

 

「あも?サトシが来ていたのか?」

 

 笑うウサギの人形に向かって、イーサが眉を寄せて語りかける。

 あもの顔に掌を触れてみれば、しっとりと湿っていた。

 

「なぁ、あも?サトシは、泣いていたのか?」

 

 あもは何も答えない。

 もう、聡志はどこにも居なかった。

 あるのは聡志の『いーさぁ』という、自分を呼ぶ残滓だけ。

 

「サトシ……ごめぇん」

 

 イーサはあもに抱き着いてその顔を埋めると、微かに残る聡志のマナにその身をこすりつけた。