109:テザー先輩のシュンデレ

 

 

——サトシ。がんばってね。

 

 そう、耳の奥で、丸くてふわふわの声が笑うように言った。あもだ。いや、まぁ、俺の声なのだが。まぁ、あもだ。あもって事にしておいて欲しい。

あもは、そのフワフワの手を小さく振ると、イーサのベッドの上にパタリと座り込んだ。どうやら、もうサヨナラの時間らしい。

 

「うん。おれ、がんばるよ。あも」

 

 そう、俺は笑うあもに手を振り返すと、少しずつ、少しずつ遠のく意識に身を委ね、そして――。

 

———-

——-

—-

 

「っ!」

 

 目が覚めた。

 

 なんだか身体がダルイ。

そうやって重い瞼を開いた先に広がった光景は、いつものゴツゴツとした岩肌だった。ただ、周囲は既に煌々とした灯りに照らされており、皆の騒がしい声も当然のように辺りに響き渡っている。

今、何時頃だろう。

 

「……喉、もう痛くない」

 

あの、ビリビリとした刺すような痛みが、今ではすっかりと無くなっていた。綺麗サッパリとまではいかない。うがいも、マスクもせずに寝てしまったせいで、喉は乾燥している。でも、逆に言えばそれだけ。

 あの、ビリビリとした痺れるような痛みに比べれば全然マシだ。

 

 俺は喉に触れようと右手を首元に持っていったが、革の指輪がそれを邪魔した。

 ただ、首輪の下に隠れるネックレスはいつも以上に温かく感じる。いや、少し熱いくらいあるか。

 

「えっと、どうなったんだっけ」

 

 整理の付かない頭で、ぼんやりと思考する。何か物足りない。何だろう。いつもは、こうして目を覚ますと、真っ先に声を掛けられるのに。

 誰に?

 

——-おはよう、サトシ。今日も凄かったよ。ね、ご、と。

 

「っ!エーイチ!」

 

 その、いつものエーイチの円い声を記憶の中で反芻させた瞬間、俺は全てを思い出した。

 そう、エーイチが倒れたのだ。物凄く苦しそうで、物凄く真っ青で、もしかして死ぬんじゃないのかって――!

 

「っ!」

 

 そう、俺が気だるい体を横に向けた時だった。

 

「すぅすぅ」

「えーいち」

 

 俺の隣には、エーイチが規則正しい寝息を立てながら横になっていた。顔色は、やっぱり悪いが、でもあの時よりはマシだ。

 

「エーイチ……生きてた」

 

 自分でも分かる程、震えた声でそう呟くと、いつの間にか、俺の側にはテザー先輩が立っていた。

 

「起きたのか?」

「……てざー先輩」

「さすが、王家のネックレスは凄いな」

「え?」

 

 ひょこりと、寝ている俺の側に腰を下ろしたテザー先輩は、遠くを見て軽く片手を上げた。少しだけ体を起こして、テザー先輩の視線の先を見てみると、そこには、先程まで騒がしくしていたエルフ達が、一斉にこちらへと視線を向けていた。

 

「みんな……」

 

 その目が、どこか心配そうな色を帯びているように感じるのは、俺の希望的観測の招いた都合の良い幻想だろうか。

 

「俺がお前に話したいと、隊長に言った。そうでなければ、皆してここに殺到しただろうからな」

「……はぁ」

「病み上がりに大勢を相手にするのはキツいじゃん?……お前も、色々と聞きたい事があるっしょ?」

 

 そう、どこか気まずそうな様子でチラと此方に目を向けてきたテザー先輩は、昼と夜の混じった、凄く自然な姿をしていた。

ほんと、いつもそうしていればいいのに。

 

「何でも聞けよ。……今なら全部答えてやる」

「なら、そうだな」

 

 先輩の言葉を聞きながら、俺は遠くからチラチラと此方の様子を窺う皆に、思わず吹き出しそうになった。どうやら、えらく心配をかけてしまったらしい。

 

「先輩達は、大丈夫でしたか?」

「……は?」

「俺とエーイチを回復してくれたのは、テザー先輩ですよね。ありがとうございます。運んでくれたのは……誰だろ。皆かな?あとで、お礼を言わないと」

 

 重い体を起こしながら、俺は先輩の隣に腰かける。座っている人の隣で、寝たまま話すなんて、なんだか落ち着かない。そんなのまるで、病人みたいじゃないか。

 

「礼だなんて……そんないらん前置きはやめろよ」

「前置き?いや、別に俺は……」

「サトシ・ナカモト。お前はもっと俺達に言いたい事がある筈だ!礼なんて言いたいわけがない!」

「何でそう思うんですか?」

 

 俺の問いかけに、それまで真っ直ぐと遠くを見ていたテザー先輩が、ガバリと俺の方を見て叫んだ。テザー先輩も、本当に多彩な声を持っている。羨ましい程、良い声だ。

 

「……もう、お前も分かっているんだろう?自分達が何の為に、ここに連れて来られたのか」

「あぁ、それ」

 

 俺は寝ていた筈なのに、いつの間にかスッキリと整理された思考の末に辿り着いた、ある一つの答えを口にした。

 

「俺達人間が、毒を測る為の“道具”として、ここに連れて来られたって事ですか?」

「……あぁ、そうだ」

 

 テザー先輩の表情が歪む。隣からは、エーイチの規則正しい寝息。ホッとする。皆、生きてる。

 

「逃げないように、何も教えず、退路を断ち、挙句の果てには苛立ちの捌け口として使われる。憎いっしょ?こんな扱いを受けて。ムカついてんだろ?別に言っていいし。お前には、文句を言う権利がある」

「……」

「俺がお前ら二人を回復したのだって、死なれたら困るからだし。他の奴らがお前らを交代で運んだのも、お前らに今後も“カナリア”としての役割を果たして貰わなければ、自分達が危ないからだ。全部、コッチの、エルフ側の都合なんだよ!別にお前らの為じゃない!」

「っふふ。なんだ、ツンデレかよ」

「は?」

 

 俺は余りにも辛そうな表情で、必死に言葉を紡ぐ先輩の横顔に、思わず笑ってしまった。

 

 だってそうだろ。

ツンデレキャラってのは、明らかに此方の為に好意でやってくれた事を、照れ隠しの末「あんたの為じゃないんだからね!」なんて言うから、ツンデレと呼ばれるのだ。だとすれば、まさに今のテザー先輩なんて、その王道テンプレートそのものじゃないか。

 

 エーイチのズレデレより大分と分かりやすいツンデレ……いや、シュンデレかもしれない。