110:サトシの決断

 

 

「あの、先輩。一つ良いですか」

「……何でも言え。お前には、聞く権利がある」

 

 未だにションボリした先輩の隣で、俺はシャツのボタンを上から二つだけ外し、服の下に隠れていたイーサのネックレスを先輩へと見せた。

 

「これって、やっぱり何か効果があったりするんですかね?」

「え?」

「だって、さっき先輩が言ったじゃないですか。“さすが、王家のネックレスは凄いな”って」

 

 俺がわざとテザー先輩の声と口調を真似しながら言うと、先輩は虚を突かれたような顔で目を瞬かせた。

さすが美形。どんな顔をしても、好感しか持てない。声もイケメンだし。

 

 それに、何といってもテザー先輩は“良い奴”だ。気付いたら、俺は本当にテザー先輩に懐いてしまっていた。なにせ、エーイチにだけ洗濯を頼むテザー先輩に、ヤキモチを焼いてしまった程だ。

 これはもう、認めない訳にはいくまい。

 

「似てました?」

「……あぁ」

「俺が先輩に懐いてるからですよ」

 

 そう、揶揄うような口調で言ってやると、それまで肩を強張らせていた先輩が、一気にその力を抜いた。そして、おもむろに俺の頭に手を置くと、先輩は笑って言った。

 

「良い傾向じゃん」

「先輩、撫でるの下手ですよね」

「じゃあ、どう撫でたらお前は気持ち良いんだ。言ってみな?お前の良い所を撫でてやろう」

「ちょっ、色気のある声でその台詞はヤバイですって」

 

 まったく、相手が俺なせいで、台詞だけ聞けば完全にBLゲームみたいになってしまった。しかも、無駄に俺がシャツの前をはだけさせているせいで、客観的な絵面がどうなっているかなんて、想像に難くない。

先程から、遠くで此方を見ている皆からの視線が刺すような勢いになったのを、俺は気付かないフリをする事にした。

 

「で?イーサ王子から貰った、そのネックレスがどうしたって?」

「あの。これって、何か特別な力があったりするのかなって」

 

 そう、俺は首にぶら下がったネックレスを掌に置くと、じっとそのひし形のシンプルなモチーフを見つめた。やっぱり、今もほんのりと温かい。まるで誰かに抱きしめられているような温かさだ。

 

「イーサ王子からは何も言われていないのか?」

「何も。絶対に外すなとは言われたけど……あ」

「どうした?」

 

 テザー先輩に尋ねられながら、俺は“あの日”の事を思い出した。そう、イーサはこのネックレスに口付けをしながら言ったのだ。

 

—-マナを込めた。サトシが何モノにも冒されぬようにと。

 

「マナを込めたって、そう、言ってた」

「イーサ王子が、マナを?……少し触らせてもらっていいか」

「はい」

 

 俺の言葉に、テザー先輩は少しだけ息を呑んだように目を見開くと、そっと首元のネックレスに触れた。

 

「……これは」

 

そうやって、ネックレスを覗き込んでくる先輩に、俺は一瞬ドキリとした。なにせ、この体勢は、イーサがネックレスに口付けをした時と、まるで同じ体勢だったからだ。テザー先輩が前のめりになった瞬間、銀色の髪の毛が、サラリと落ちてくる。

俺の腕にスルリと触れる先輩の髪の毛。あぁ、なんか良い匂いがする。

 

「……やはりな」

「な、なんですか」

「このネックレスには、驚くほど過大なマナが凝縮されている。しかも、王族の血の混じった神聖なマナだ。これのお陰で、お前は毒の影響が余り出ていなかったんだろう」

「……やっぱり」

「普通は、マナに耐性のない人間であれば、エーイチのように体内に鉱毒マナが大量に溜まり、どんなに回復しても、しばらくは動けない」

 

 そう言うと、テザー先輩はネックレスから手を離し、眠るエーイチの腹部へと触れた。そして、「まだ、殆ど散っていないな」と苦々し気に呟く。

 

「あの、鉱毒マナって何なんですか?」

「長い歳月、度重なる採掘作業によって、ナンス鉱山が蓄積した有毒なマナの事だ。これが、この任務において多大なる犠牲者を余儀なくされる、一番の理由でもある。アレばかりは、どこに発生するか分からんからな」

「鉱毒マナは、先輩達エルフにも毒って事ですか?」

「そうだ。これは蓄積型の毒だからな。俺達の中にも少なからず、鉱毒は溜まっているんだ。閾値が人間よりは多い。ただそれだけなんだよ」

 

 だから、皆、遺書を書いて国を発つ。

 テザー先輩の言葉に、俺は思わず背筋が冷えた。人間は、この毒の許容が少ないからこそ“カナリア”と呼ばれ、毒を測る道具として連れて来られる。しかし、結局それはエルフ達の安全を完全に守り得るモノではない。

 

 体内の毒が、閾値を超えたら皆平等に死の淵に立たされる。

 倒れるカナリアは、エルフにとっての“明日の我が身”なのだ。

 

 “大いなるマナの実り”という、いつ発見されるとも知れぬモノを見つけ出すまで、その恐怖とずっと戦い続ける事になる。

 

「だから、カナリアが倒れた場合、その道は鉱毒マナのスポットだという事で、採掘を放棄し、また別の道を探すんだ。そして、また新たな道を採掘していく。“大いなるマナの実り”が発見されるまで、永遠にこれの繰り返しだ」

「……じゃあ、今回は」

「そう、今回の場合は、数日前に現れた分かれ道で、俺達がハズレを引いてしまったって事だな」

 

 テザー先輩の言葉に、俺はふと思い出した。周囲を見渡せば、確かに見覚えがある所だ。そう、此処はちょうど数日前に「新しい道を見つけた」と言って、どちらへ行くべきかと議論していた、あの場所である。

 

あぁ、そうだ。よく覚えている。

 なにせ、この岩場で、俺はエーイチから「ここに一緒に居るのが、サトシで良かったよ」と、笑って言って貰えたから。嬉しくて、忘れられない場所だ。

 

「まぁ、少しでも、事前に鉱毒マナを察知できれば、大分と危険も減るんだがな。奥まで進み切ってしまうと。どう急いで安全な場所まで戻ろうとしても、引き返す為の時間も含め、毒に触れる時間が増えてしまう。そうやって、鉱毒マナは俺達の中で次第に蓄積されていくんだ」

「事前に、毒の道かどうか分かれば……?」

「まぁ、それはさすがに無理な話だ。鉱毒マナは無色無臭。大気と同じで、ある事が当たり前で、誰も気付けないからな」

 

 カナリアが倒れるまでな。

 そう言って、疲れ切ったように口にするテザー先輩に、俺はなんとなく頭の中でずっと考えていた一つの“仮定”が、事実に近づくのを感じた。

 あぁ、俺は、いつの間にこんな事を考えていたのだろう。分からない。分からないが、俺には長い時間、誰かと一生懸命話し合って辿り着いたような“答え”を持っている。

 

「あの、先輩」

 

俺はその事実に最も近いであろう“仮定”を、ポロリと口にした。

 

「俺、もしかしたら事前に分かるかもしれません」

「は?何だって?」

 

 テザー先輩の驚きに満ちた声が響く。

 それに対し、俺はもう一度ハッキリと言った。もう、ここまで来たら後には引けない。ハッキリと言おう。自信を持て。そうでなければ、エーイチも皆も、ずっと死の危険に晒される事になる。

 

「テザー先輩。隊長に伝えてください。今後、道の選択は全部俺にさせるようにって」

 

 そう真っ直ぐに先輩を見ながら、俺をずっと守ってくれていた温かいネックレスを静かに外した。

 

 約束、守れなくてごめんな。イーサ。

 

そう、心の中で強くイーサに謝りながら。