121:王の訪問

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「ほう。ここが、ナンス鉱山か」

 

 

 そう言って鬱蒼と茂る木々の中に現れた坑道の入口に、イーサは眉を顰めた。

 

「確かに、マナの気が濃くなっているな」

「そうですね」

 

 イーサの少し後ろに控え立つのは、もちろんマティックだ。すると、それまでシンとしていた周囲が、突然ザワザワとどよめき始めた。

 

「おい、あの金髪」

「まさか、王族の方か?」

「しかし、髪が短いぞ」

「けれど、あれはただの金髪ではない」

「王族だとして、あの方は一体誰だ?」

 

 突然現れたイーサの存在に、その場に居た兵達は戸惑いを露わにする。

 それもそうだろう。やっとナンス鉱山の外に出て来たと思ったら、そこには一目見て尊い身分だと分かる者が、自分達を待ち構えるように立って居たのだ。

 

「ふむ。それでは公務に入りましょうか。よろしいですか。イーサ王子」

「ああ」

 

 イーサの了承の声を聴き取ったマティックは、ザワつく周囲の者達を一通り見渡すと、とある人物の前で視線を止めた。マティックの目に映るのは、他の一般兵とは異なる隊服に身を包んだ男二人。

 

 あれが、この二部隊を率いる隊長達か。

 

「南部第一番隊、そして北部第一部隊の隊長、ここに来なさい」

 

 マティックの透き通るような声が、兵士達のざわめきを縫ってまっすぐと二人に届く。

 それは明らかに、下の身分の者を呼び出す高位の者の姿だった。

 

「聞こえませんでしたか?そこの隊長二人。来なさい」

 

 騎士と文官。

 そこに明確な階級差はないが、マティックの身に付ける官服の様相から、その地位が圧倒的に高い事を、隊長二人は混乱する頭で、やっと理解した。

 

「「っは!」」

 

寸分の狂いなく重なった返答に、マティックは一歩前へと出た。そこはイーサの半歩後ろ。殆ど隣に近い位置だ。

 

「報告を受けて参りました。私は現在、父の代わりにクリプラント王家。宰相代理を務めておりますマティックと申します。そして、此方が――」

 

 マティックの前に立つ隊長二人。

 そして、その後ろに控える大勢の緊張した面持ちの兵達。中には鉱毒にやられてしまっているのだろう。立ち上がる事の出来ない者も多数居るようだ。

 

「クリプラント王家。第一王位継承権を持つ王子。イーサ王子です」

 

 マティックの言葉に、全員が息を呑む。

 それに対しイーサは一歩、また一歩と兵達の前へ歩み出ると。普段の、あの癇癪を起す時の声と一切異なる声で、低く、そして深く言い放った。

 

「私は、第四十六代国王ヴィタリックの第一子であり、正統後継第一位の、イーサだ」

 

 マティックは思う。

 イーサの真価は、いくつかある。

 それは、変革的に物事を捉える事の出来る柔軟な思考であったり、他者より長けた弁論術、そして自身の譲れぬ部分において、傲慢なまでに意見を変えぬ頑固さ。

 

 などなど。

 マティックは決して口に出して褒める事はしないが、イーサについては買っている部分も多い。そしてその中で、最もマティックが買っている部分。

 

 それは、声だった。

 

「皆、大義であった!これから先、四百年!このクリプラントの安寧の祖となりうるであろう、“大いなるマナの実り”の発見、まことに感謝する!」

 

イーサの真価は、地声よりも低い、けれど、朗々と響く低音にある。

その重厚感のある“声”こそ、イーサが最も色濃く、父であるヴィタリックより受け継いだ最高の宝である。

 

 うおぉぉぉぉぉっ!

 

 イーサの真に込められた労いの言葉に、それまで緊張した面持ちで此方を見ていた兵達の中に、一気に歓喜の悲鳴が沸いた。

 その反応に、マティックは「これでいい」と小さく呟く。

 

 

「貴公らのお陰で、民と国家がこれからも繁栄する事が出来る!さぁ、国に帰ろう。皆に良い酒を用意してある!宴を開こうではないか!」

 

 

 王にとって、最も重要な使命。

 それは民に語りかける事だ。その声は、いついかなる時も国家を、そして、民を導く“道しるべ”となる。

 

 イーサは嫌がるかもしれないが、これは前王が偉大であればこそ生かされる強みだ。その偉大であった王と“声”が似ているというのは、幸運以外の何物でもない。

 

「皆、気を楽にしていい。少し傍に寄らせてもらう」

 

 きっとここに居る皆は、今はイーサを通してヴィタリックを見ていることだろう。

ただ、今はそれでいい。イーサの言葉により、兵の心に安心と、国と王に尽くす矜持が芽生えれば。

 

この度の、ナンス鉱山への訪問は、それだけで価値がある。

 上々だ。

 

「……功績を上げた者には、すべからく報酬を。それは、人心掌握の基本ですからね」

 

 マティックの呟きと共に、イーサは倒れる兵の一人一人に近寄り、その肌へと触れていく。その瞬間、立つ事すらままならなかった兵達の様子が一変する。イーサが触れる度、毒に冒され苦しみの中に居た兵達が、皆その表情を明るくしていく。

 

「……これで、そのうち勝手に噂は広まる。イーサ王子が立派な王子であるという、尾ひれ背びれのついた噂が。さて戴冠式までに、どこまで広がってくれるか」

 

 マティックの笑みは深く深くその顔に刻まれた。

 

 大いなるマナの実りが発見された。

 兵達が潜って三十日。これは過去の歴史を見ても、短くて済んだ方だ。

 

「ヴィタリック様……ありがとうございます」

 

 

 イーサの声を聞いていたせいか、マティックは胸に手を当て、もうこの世には居ない筈の王へと感謝を述べた。

 そして、その視線をスルリと新しい王へと向けた。

 

「――さて、そろそろ限界かもしれませんね。あの方も」

 

 マティックは兵達の中で慰問を続けるイーサの表情に、小さく苦笑を漏らした。

 

 それは、執務室で“大いなるマナの実り”発見の報告を受けた直後の事だ。

 

 

『サトシの所へ行く前に、貴方には一仕事して頂きますよ。イーサ王。そうでなければ、この度のナンス鉱山への出立。許可をする事は出来かねます』

『……わかった。わかったとも。だから、もう何度も聞かせるな』

『逃げないでくださいね』

『……あぁ、わかった』

 

 マティックの言葉に渋々と言った様子で頷いたイーサ。

 そう、イーサの本当の目的は、大いなる実りを発見した兵達に対し、謝辞と労いを述べる事ではない。あの、薄く笑みを浮かべる表情の下には、きっと今にも弾け飛ばんとする癇癪玉が眠っているに違いない

 

 さて、もうこれ以上は限界だろう。

 

「イーサ王子!お時間ですよ!」

「っ!おぉ!そうか!時間ならば仕方がないな!俺はもう少し兵達と言葉をかわしていたかったが……時間ならば、仕方がない!」

 

マティックの言葉に対し、喜びを一切隠そうともせず返事をしてくるその姿は、先程までの王の威厳など、欠片もなかった。

 

「それでは、転移の門が開き次第、皆は国に戻るように。ここに居る全員がクリプラントの英雄です。今日はしっかりとお休みなさい」

 

 これは、本来ならばイーサの台詞の筈だった。

 しかし、もうあの弛み切った顔で、当初のヴィタリック王を背負った発言は無理だ。サマにならない。

 

「それでは、皆の者!また会おう!」

「……」

 

 しかし結局、サマにならないイーサの声と笑顔が、兵達へと向けられてしまった。もう、完全に緩んだニッコニコの表情で、兵達に手を振っている。

 そんなイーサに、兵達は虚を突かれたかのように目を丸くしていた。

 

「まったく。貴方と言う人は」

「なんだ、文句か?しかし、俺は約束は守ったからな」

「分かっておりますよ」

「イーサはもう頑張りに頑張ったので、サトシに会うぞ!ご褒美、ではなく“仕置き”してやらねばならないからな!」

 

 陣の上で短い髪の毛をひょこひょこ揺らす上機嫌のイーサに、マティックは黙ってイーサの後に続いた。

 しかし、さすがのマティックも、この時は予想すらしていなかった。

 

 

 まさか、イーサがあんな暴挙に出ようとは。