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『……』
目が覚めた。
見渡すと、そこはいつもの王宮の中庭だった。此処に来るのは久しぶりだ。見上げてみれば、そこにはキラキラと煌めく美しい星空が広がっている。
どうやら今は夜らしい。
『……?』
俺はいつものように、ピョンとその場から立ち上がると、妙な違和感に気付いた。立ち上がった瞬間、俺は確かに『イーサのとこに行こ!』と口にした筈だったのに。
『――』
声が出ない。
おかしいと思い喉に手を触れてみる。別に痛いわけでも、苦しいワケでもない。もう一度声を出してみようと試みたが、俺の口から放たれたのは、音のない呼吸音だけだった。
『―――!』
今度は叫んでみる。
『あーー!』と、意味もなく叫んだつもりだったのに、やっぱり俺は何の音も拾う事はなかった。
ここまで来ると不安になってきた。喉を人差指でトントンと叩いてみる。そんな壊れた機械じゃないんだからと、自分でも思ったが止められなかった。だって、他に何をどうすればいいのか分からなかったのだ。
そんな事をしていると、ふと、俺の手に何かが触れる感覚が走る。
『……!』
それはイーサがくれたネックレスだった。
いつの間に、これが。
そう、俺は自身の首にある筈のないそのネックレスの姿に、目を瞬かせた。これは、俺がエーイチに渡した筈だ。
『……?』
まさか、イーサ?
その瞬間、俺はハタとイーサの存在を思い出すと、ともかくその場から駆け出した。そうだ。きっとイーサなら何か知っているかもしれない。
助けてくれるかもしれない。
タッタッタッタ。
と、俺の足音だけが長い廊下の中を響き渡る。そういえば、以前イーサは部屋に居なかった。今日は居てくれるといいのだが。
『……っっ――っ』
肩で息をしながら顔を上げると、そこには見慣れたイーサの部屋の扉があった。そして、この時になって俺は、どうしたものかと首を傾げた。
いつもであれば、ここで『イーサぁ!開けてー!』と声を掛ければ良かったのだが、今はそれが出来ない。ただ、相手に許可も取らずに急に戸を開けるワケにもいかないので、ひとまず部屋の戸を叩いてみる事にした。
コンコン。
二度のノック。
すると、扉の向こうからいつもとは違う、しかし聞き慣れたイーサの声がした。
『誰だ』
短く問われたその声は、心臓が止まるかと思うほど冷たかった。
いつものイーサだったら『サトシ!よく来たな!』と扉を開けて両手を広げて待ってくれているのに。
『誰だ』という問いかけに、俺はすぐさま『サトシだよ!』と声を上げようとした。
『――!』
しかし、もちろん声は出なかった。此処に来て声が出ないという事実が、絶望的な状況を、更に絶望へと追いやる。
声を出さないと!そうしないとイーサに“サトシ”だって分かって貰えない。
『――――!!』
『名乗りも出来ないヤツは失せろ。ここをどこだと思っている。王の寝所だぞ』
『――!』
イーサの低くて怖い声が、容赦なく俺を拒絶してくる。ゾワリと背筋に冷たい感覚が走った。イーサのこんな声、初めてだ。
ドンドンドンドン!
たまらず、俺は再び扉を叩いた。いや、もう叩くというより、ソレは体当たりをしていると言っても良かった。ついでに、ドアノブに手をかけて、扉を開けようと試みる。
喋れなくても、姿さえ見せれば、俺だと分かって貰える筈だと思ったからだ。
姿を見せれば何の問題もない。そう、思っていたのに。
『っ!!』
いくらドアノブを捻っても、扉は一切開かなかった。
どうやら内側から鍵がかけられているらしく、ノブを動かす度、ガチャガチャと金属の擦れる音が響くだけだ。
『……っ』
扉に鍵が掛かっている。
その事実に、俺は何故だか物凄くショックを受けてしまっていた。
なんで?イーサ。
いつもは鍵なんて掛けてなかったじゃん。イーサが居ない時だってそうだ。この扉は何の苦もなく開いたのに。
どうして?
どうしてイーサは扉を開けてくれない?なんで鍵をかけてる?
ドンドンドンドン!
『うるさい!俺はお前など知らない!』
『――!』
『俺がこの世で一番大嫌いなのは、嘘つきだ!嘘つきとは会いたくない!さっさと俺の前から消えろ!』
その言葉に、俺はハッキリと理解した。
イーサは此処に居るのが“俺”だって分かっているんだ。ここに居るのが“サトシ”だって。
分かっていて尚、扉を開けてくれない。そうか。イーサは怒っているんだ。この俺に。サトシに。
『~~~~っ』
俺は首元に掛かったネックレスを両手で握りしめながら、イーサの扉の前にパタリと座り込んだ。
どこからか入ってきた夜風が、廊下の明かりを揺らす。俺の影も揺れる。俺の視界も揺れる。
全部、揺れる。
『俺はお前なんか知らない。元々知らなかった事にしてやる。最初から出会わなかった。俺は、それでいい』
『……』
それは、なんとも冷たい言葉だった。声もそうだが、一番冷たいのは“言葉”の方だ。もう、イーサの中で“サトシ”は無かった事にされた。
お話会でドア越しに物語を聞かせてやった日々も。ノックだけで、少しずつイーサの気持ちが分かるようになった毎日も。抱き締められて一緒に眠った夜も。
ぜーんぶ、イーサの中では無かった事、だ。
(ごめぇん、いーさぁ)
俺は、扉の前で床に敷かれた絨毯を濡らしながら大いに泣いた。きっと、傍から見たら、それはもう情けない姿だっただろう。普段の俺なら、きっとこんな風には泣かない。いや、泣けない。
でも、此処では“そう”ではなかった。
ここでは、何かにつけてイーサが俺を子供扱いしてくれた。抱きしめて、頬ずりをして、何でも好きなようにさせてくれた。
我儘をきいてくれた。だから、止められない。
『――っ、っ、っ』
ただ、俺の喉が空気を震わせる事はない。詰まったような呼吸音が響くだけ。だから、扉の向こうのイーサには、きっと気付かれていない。
でも、それでいいと思った。
せっかくネックレスをくれたのに、外すなって言っていたのに。死ぬなって言われたのに。その全部を、俺は裏切った。
いくら悲しくとも。悪いのはどこを切り取っても全部俺だ。
泣いたって、それは変わらない。