その日は、午後から予報通りの雨だった。
俺は傘を持っていない。忘れたのではなく、長年父ちゃんと二人で使っていた傘がぶっ壊れたので、我が家にはもう傘は無いのだ。
十二月の雨に体温を奪われながら、俺は濡れる事なんて気にせず学校を飛び出した。だって、俺にはゴウキとの約束がある。
遅れる訳にはいかない。俺にとって、ゴウキとの約束は絶対の絶対だ。
「うわ、ヒドくなってきたなぁ」
少し強くなった雨の中。俺はいつもの公園でゴウキを待った。
ベンチの背もたれに体を預けながら、ボタボタと容赦なく降り注ぐ雨に目を閉じる。かなり、寒い。
「ゴウキ、ちょっと遅いなぁ。もしかして、ゴウキも傘持ってないのかな」
俺がスマホを持っていたら、きっと今頃『大丈夫?傘忘れたの?迎えに行こうか?』ってラインってヤツが出来るのだ。けど、持ってないから、聞けない。だから、ここでゴウキを待つしかない。
「まぁ、迎えに行こうにも、俺も傘は持ってないんだけどさ」
それでも、少しでも早くゴウキに会えるんだったら、俺は傘があろうが無かろうが、ゴウキの所まで走って行きたい。
「ゴウキ、早く来ないかなぁ」
公園の時計はもうすぐ六時を指そうとしている。
最近、動画を見るよりも、ゴウキと喋ってる時間の方が長くなってきた。ゴウキと喋るのは楽しい。すごく、楽しい。
「スマホ、欲しいなぁ」
最近、改めて思う。
でも、それはエッチな動画が見たいからではない。ゴウキといつでも連絡を取れるようになりたいからだ。
最近、家に帰って何かしていると、ゴウキに伝えたい事がたくさん出てくる。スマホさえあればすぐに伝えられるのに、それが出来ないのは物凄く悔しい。
「お金、欲しいなぁ」
そう、俺がぼんやりと雨に濡れた地面を眺めていた時だ。
「あられ!?」
「ん?」
ゴウキが此方へと走って来ているのが見えた。良かった。ちゃんと傘を持ってる。
「ゴウキ!良かったぁ!傘持ってたんだ!」
会えた事が嬉しくて、俺もゴウキの居る方へと一目散に走る。水たまりと泥で靴が汚れるのが分かった。でも、俺はそんなの気にしない。俺は、早くゴウキと喋りたかった。
「おいっ!それはコッチのセリフだ!何でお前は、傘ねぇんだよ!」
「傘壊れて無い!」
「なら帰れよ!こんなに寒いのに馬鹿か!?」
いつの間にか、俺の頭の上にはゴウキの傘があった。
そのせいで、ゴウキの肩と鞄が濡れている。俺はゴウキの方へ傘を押しやろうとしたが、それはビクともしなかった。
「……そんなに動画が見たいかよ」
ゴウキが苦しそうだ。
最近、ゴウキは時々こんな顔をしてくる。その顔を見ていると、俺は不安になるのだ。俺と居ても楽しくないのかも、と。
「動画も見たいけど、俺、ゴウキと喋りたくて……」
「俺と?」
「うん。ゴウキはさ、格好良いし、良い奴だから学校に友達いっぱい居るかもだけど、俺は友達とか居なくて」
「あられに友達が居ないなんて嘘だ」
ゴウキが俺の話に割って入ってくる。その顔は、完全に信じていない。
「嘘じゃない。入学式の時、皆お互いに連絡先とか交換すんだけどさ。で、俺も交換しようって言われたんだけど……でも、スマホ持ってないって言ったら、その……えっと」
「……うん」
「その後から、もうあんまり話しかけて貰えなくなった」
「……そっか」
俺が入学式の時の事を思い出しながら話していると、ゴウキは少しだけ悲しそうな顔で此方を見ていた。
きっと、友達の居ない俺に同情してくれいるのだ。
ゴウキは優しい。でも、それは今に始まった事じゃない。最初からそうだった。
だって、ゴウキは俺がスマホを持ってないって言っても“約束”してくれた。
「あっ!でもコレは別に高校だけの話じゃなくてな!中学の時からそうなんだ!だいたいさ、皆、スマホで連絡し合うから、俺だけ色々情報とか回ってこないし。ウチってネットもテレビもないから、全然皆と話も合わなくって。だから、学校じゃあんま喋る人いなくて、」
「……」
「だから、ゴウキと喋るのは凄く楽しいんだ!」
俺が笑って言うと、ゴウキは今まで見た事ないような目で、静かに俺の事を見ていた。
「なぁ、あられ」
「ん?」
いつの間にか、俺の手に温かいモノが触れていた。見てみると、俺よりもずっと大きな手が、俺の手を包むように握りしめていた。
「今日、うち来いよ」
「でも、ゴウキ。塾の時間じゃないの?」
「サボる」
「そんな事していいの?」
「別に好きで行ってたワケじゃねぇし。親帰り遅いし。お前ん家、風呂無さそうだし」
「風呂くらいあるし!」
「お湯出なさそうだし」
「まぁ、出ない時もあるけど」
「……あり得ねぇ」
「でも、今はちゃんとお金払ってるからお湯も出ると思う」
「あー、いや。俺ん家で……風呂入ってけよ。動画も死ぬ程見せてやる」
「いいの?」
「いいよ」
俺を掴むゴウキの手が、どんどん強くなる。絶対に逃がさないって言ってるみたいで、その力強さが、俺には少し嬉しかった。
「でも、今日は動画はいいや!」
「なんで」
「今日はゴウキとたくさん喋りたいから!」
「っ!」
その日、俺達はずーっとお互いの色んな話をして過ごした。
どうやらゴウキも、学校にはあんまり友達が居ないらしい。それを聞いた俺が「ウソだぁ」って言うと、ゴウキは「嘘じゃねぇよ」って目を細めて笑った。
格好良かった。そして、ゴウキも友達が居ないって分かって、少し嬉しかった。
あと、これは本当に偶然なのだが、俺の誕生日はハラムさんの誕生日と同じ日だった。
それを知ったゴウキは、何故かスマホのロック画面をしばらく眺めると「へぇ、だからか」と満足そうに笑っていた。
そして、その日の帰り。ここ最近で、一番嬉しい事があった。ゴウキが俺に一枚の紙をくれたのだ。
「それ、俺の携帯番号」
「俺ん家、電話ないよ?」
「別に、かけなくていい。でも、それさえ知ってたら、あられからも連絡が出来るだろ」
「っ!」
ゴウキの言葉に、俺は携帯番号の書かれた紙を何度も見つめた。そうだ。この番号さえあれば、
「いつでもゴウキと繋がれるな!」
「……言い方」
何故か俺の言葉に、ゴウキは目を逸らしながら俯いた。耳もちょっとだけ赤い。そんなゴウキの隣で、俺はその数字を何度も何度も口ずさんだ。
お陰で、俺はゴウキの電話番号だけは完全に暗記した。