141:お前と俺は、

 

 

「ぜ、ゼッコウは嫌だ!」

「なら、俺とだけじゃなくて、皆と仲良くしろ!そして、自分で食べろ!」

「イヤだ!」

 

 イーサも大分と頑なだ。

 これは余り厳しく言い過ぎるのも、イーサをより意固地にさせるだけかもしれない。俺は、一呼吸置くと、体を捻って顔だけイーサへと向けた。

 

「ほら?せっかく来たんだ。紹介するから、お前も皆と友達になってみろよ。楽しいぞ」

「楽しくない!サトシ以外のヤツと喋るなんてイヤだ!」

「そう言うなよ。お前も俺とだけじゃなくて、他の人とも仲良くなればさ。今回のナンス鉱山の時みたいに、俺が居なくても寂しくないだろ?」

「キンは……俺は、サトシだけ居ればいい!」

「っ!」

 

 あぁ、まったく。

 キンの顔で何て事を言いやがる。

 その余りにも真っ直ぐ過ぎる好意に、俺は思わずイーサから目を逸らした。徐々に顔に熱が集中していく。

 

「そうは言ってもさ。俺は人間だ。イーサよりも先に寿命で死ぬ。だから、お前はもっとエルフの友達を……」

 

 そう、俺が顔の熱を誤魔化すように口にした時だ。

 

「イヤだっ!」

 

 突然、イーサが今までにない程の大声を上げた。

 

「絶対に友達なんか作らない!そんなのいらない!サトシだけでいい!さっきからそう言ってるのに!どうしてサトシは分からない!?どうしてそんな事を言う!?」

「だからそれだと、俺にもしもの事があったら、」

「うるさい!うるさい!聞きたくない!もう黙れ!」

「ちょっ、おい。少し落ち着け。皆が見てるぞ」

 

 少し外で落ち着かせなければ、と俺がイーサの拘束から抜け出そうと立ち上がった時だ。イーサが勢いよく俺の手を掴んできた。

 

 その力強い手の熱さに、俺はハッとする。

 

「サトシ!どこにも行くな!」

——–サトシ!どこにも行かないで!

「キン……」

 

 だって、七歳の金弥も同じように俺を引き留めてきた。

 昼休み。俺が他の友達とも遊ぼうと言って、金弥に背を向けた時。その時の金弥も、今のイーサと同じような強さと熱を込めて、俺の手を握ったんだ。

 

 そんな風に、俺が再び過去の懐かしい記憶に囚われていると、それまでのイーサの幼い口調が一変した。

 

「サトシ、これは命令だ」

「え?」

 

 それまでの愛嬌を帯びた明るい声は一瞬で消え失せ、今や、その声はゾッとする程低く、押し籠った声になった。そんな感情の籠らない声で放たれる“命令”という言葉に、俺は先程まで感じていた体の熱さが一気に冷めていくのを感じた。

 

「俺の言う事を聞け。でなければ、もうお前に俺の唾液はやらん」

「は?」

「そうなれば、お前は二度と喋れなくなるんだ。それでいいのか?」

「お前、何を」

「それが嫌なら俺の言う通りにしろ。勝手は許さん」

「……」

「サトシ、此処に居ろ」

 

 イーサの目が、刺すように俺の事を見つめてくる。何者をも従えさせる、それはまさに“王様”の目だった。しかし、どうだ。今俺の目の前に居るのは、王様か。いや、違う。今、俺の目の前に居るのは、

 

 金弥だ。

 

「キン……お前」

 

 その、イーサの最もかつ、的確に急所を突いた反撃に、俺は頭の中にある一つの糸をプチンと切った。

 

「……俺に、そんな事を言うのか」

「え?」

 

 切れたのではない。切ったのだ。俺が、意図的に。

 

「お前は、俺を脅すのか?」

「っ」

 

 静かにイーサに問いかける俺に対し、イーサは怯えたように俺から目を逸らした。先程までの“王様”が一気にいつもの姿に戻った瞬間だった。

 

「なぁ、どうなんだよ?」

「ぁ、いや。ちが……ちがうんだ。そうじゃ、ない」

「違う?俺には今のが“脅し”に聞こえたけどな」

 

 確かに、イーサが俺の声の為に唾液を与えてくれるのは、当たり前の事ではない。言ってしまえば、イーサからの“温情”のお陰だ。するもしないも、選択権はイーサにある。

 

 けれど、それを他でもないイーサから言われたら、俺はどうすればいい?

 

「いいよ」

「え?」

「なら、もう俺は喋れなくていい。それを言うって事は、キンは、俺とはもう喋らなくていいって事だもんな?」

「ぁ、あ」

 

 子供は、後先考えないで言葉を吐く。よくある事だ。それが相手との関係に、どんな影響を及ぼすかなんて、もちろん考えもしない。

 

「……どうせ声優は諦めたんだ。こんな声なんてモンがあるから、未だに苦しまなきゃらならない。ならいっその事、出せなくなった方が楽だ」

「っ!」

 

 イーサは、まだまだ子供だ。しかし、ただの子供ではない。いずれ王様になる男だ。この国で最も尊い血を持つ者だ。

 

 だからこそ、そんなイーサがこんな事を続けるようなら、イーサはまた必ず一人になる。しかも、今度は部屋に引きこもっているから、ではない。

部屋から出ても、誰と共に居ても“一人ぼっち”になるって事だ。

 

「さ、さとし。ちがう、ちがうんだ」

「違わない。お前は俺を、脅して従わせようとした。でも、俺はそれには従えない。だって、」

 

 そして、それは俺だって例外じゃない。

 

「あんな事を言われて、お前に従ったら……もう俺はお前を今までみたいに見れなくなる。一緒に居ても、きっと楽しくなくなるだろうな」

「……」

 

 腹が立ったというより、悲しかった。お前なんか俺より下なんだ、と。お前の価値なんて、自分が居てこそなんだ、と。

そう、金弥に言われた気がしたからだ。

 

「だから、俺はお前と“対等”で居る為だったら、声なんかいらねぇよ」

「サトシ……、おれ、おれは」

 

 もう、殆ど泣きそうな顔で此方を見上げてくるイーサの……いや、金弥の顔に、深く溜息を吐いた。イーサの両手で握りしめられた俺の右手は、今にもうっ血してしまいそうだ。

 

「ホントにズルいな、その顔」

「さ、さとし?」

「なぁ。キ……いや。イーサ?」

 

 俺は、本当にこの顔に弱い。こんな、俺以上に悲しそうな顔をされたら、もう怒れないじゃないか。

 あんな事言った癖に。頼むから、俺が居なきゃ駄目みたいな顔で……俺を喜ばせないで欲しい。