162:顔にかける

 

 

 

『……さとし、さとし。ごめん、ごめんって。ゆるして。きん君、なんでもするから』

『……』

 

 

 一週間、金弥と口を利かなかったあの時。

金弥が余りにも憔悴するもんだから、きっちり一週間目で、俺は金弥を許してやる事にした。いや、まぁ偉そうな事を言っているが、つまり、俺の方も金弥と口を利かない毎日は、正直詰まらなかったのだ。

 

 だから、仲直りしようとした。

 

 一週間、ずっと無視していた相手。そんな相手との仲直りとは一体どうするのか。そんなの簡単だ。

 

『おはよう、キン』

『っあ。さ、サトシ……』

『おはよ』

 

 普通に挨拶をすればいい。

俺達を何年の付き合いだと思ってる。わざわざ『ごめんな、今日からまた普通通りにしよう』なんて言わなくてもいいのだ。

 

『っ!おっ!おはよう!サトシ!』

 

ほらな。

確かに、一週間も口を利かなかったのなんて、この時が初めてだったけど。初めてだろうが何だろうが、分かり切った事だった。

 

『なぁ、キン。昨日発売の声優名鑑見たか?』

『ま、まだ』

『買ったから、今日うちに見に来ない?』

『い、行く行く行く!あの、おれ』

『泊まっていくか?』

『うん!』

 

 金弥の言いたい事なんて、全部顔に書いてある。簡単だ。金弥なんて、顔に“答え”を書いて歩いているようなモンなんだから。俺にとって、金弥の機嫌を直すなんて朝飯前だ。

 簡単、簡単。チョロイチョロイ――

 

筈だったのに。

 

 

 

『っはぁ、サトシぃ』

『……』

 

 待て待て待て!コイツ!金弥!コイツは一体何をやってるんだ!?

 

 いつもみたいに、金弥は俺の家にやってきて、ともかく一日上機嫌だった。金弥は最近ずっと俺と喋れていなかったから、俺と話せて嬉しいのだ。

まぁ、それは俺も同じだったから、俺も金弥と一緒に声優名鑑を見ながら、あーだこーだと夜遅くまで喋っていた。

 

そして、喋り疲れた俺はいつの間にか寝ていた。意識の片隅で、金弥からキスされているのはなんとなく分かっていた。けど、もうそんなのはいつもの事だったし、久々だったせいで「少し長いな」と感じる程度だった。

 

けど、そこからがいつもと違った。

 

『さとし、さとし、さとし、さとし』

『……』

 

 何度も呼ばれる俺の名前。目を瞑っているのだが、なんとなくわかる。だって、俺の顔の目の前になんか、ある――!

 

 そして、

 

『っ!』

 

 自分でも嗅いだ事のある匂いが、俺の顔を汚した。

 

 

        〇

 

 

「サトシ、怒ったのか?」

「……怒ってねーよ」

「怒ってるではないか」

 

 ベッドの上で、イーサが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。怒ってねーよ、とは言ったが、イーサの言う通り、ハッキリ言って俺は怒っていた。

 

「でも、イーサの種は尊いから……」

「だからって、あんなモン顔にぶっかけられても嬉しくねぇよ。むしろイヤだ」

「ほ、他の奴らは、きっと喜ぶ……」

「じゃあ、喜ぶ奴にぶっかけてろよ」

「っ!いやだ!俺はサトシだからかけたいんだ!」

「~~っ!その言い方はやめろ!」

 

 まったくとんでもない事ばっか言いやがって!

 

 マティックが部屋を出ていってすぐ、俺はイーサとキスをした。喋れないと話しにならないから。だから、これはもういい。慣れたもんだ。

 

そして、そこから俺は心を鬼にした。

 

『イーサ、俺も手伝うから今日は一人で処理してみろ』

『え……?』

 

キスを経て、「さぁ、どうぞ」とばかりにくつろぐ我儘王子を前に、俺はイーサの手を掴んで無理やり処理に入った。まぁ、最初はグズグズと文句を言っていたイーサも、俺の意思が固いと分かるとちゃんと自分でやり始めた。

 

要はコッチが途中で甘やかすからダメなんだ。きちんと言えばイーサもちゃんと言う事を聞いてくれる。

 

『よし、そのまま自分で手を動かす』

『まだ、サトシも握ってて』

『……わかった』

 

 正直、国中が悲しみに暮れ喪に服する中、一体俺達は何をしているんだと思ったさ。でも、そんな事を思ったって仕方がない。

 

 次第に慣れてきたイーサの様子に、俺はゆっくりと手を離してやった。すると、どうだ。険しい表情を浮かべるイーサに、見られていてはやりにくかろうと目を逸らした時だった。いつの間にか、俺は押し倒されていた。

 

そして、気付けば――

 

「サトシっ」

『サトシっ』

 

 あの時の金弥同様、俺の顔には非常に生暖かいモノがぶっかけられていたワケである。

 

 

「……なんで、あんな事したんだよ」

「わからない。本能に従ったら……あぁなった」

「本能って」

 

 イーサが俺の機嫌の悪さにシュンとしながら此方を見てくる。そんな、イーサの腕にはあもがぎゅうと握り締められていた。

 イーサと言い、金弥といい。一体俺をどうしたいんだろう。俺の意思など関係なしに。俺と、どうなりたいんだ。

 

「なぁ、イーサ」

「なんだ?」

「あのさ。イーサは俺の事が、その、好きなんだろ?」

「好きだ」

「それは、その“あも”と同じ好きなんだよな?」

 

 俺がイーサの抱えるあもを指さしながら言うと、イーサはしばらく腕の中のぬいぐるみをじっと見つめていた。

 

「あもと、サトシが……同じ?」

「あぁ。イーサは俺の事を、何でも自由に出来る所有物だと思ってるんじゃないのか?」

「……」

 

 再び問いかけると、イーサはそれまでの幼さを残した目の一切を消して俺の方を見た。そして、断言する。

 

「この世に、王の自由にならないモノなどない」

 

 明朗とした低く鋭い声だ。そして、この声の時。金弥が最も飯塚さんの声に近づく。

 イーサの答えに、俺は「ほらな」と心の中で溜息を洩らした。やはり、イーサの中で、俺は“あも”と同じなのだ。

 

「そう、か」

 

 イーサは王族なのだから、仕方がない。分かっていた筈なのに、やっぱりショックだった。

 酒場でのやりとりの時にも思ったが、イーサに対等に接して貰えずに腹を立てたところで、どうなる事でもないのだ。

 

 だから、俺の意見なんて聞かずに“あんな事”をする。

そう、俺が未だに鼻孔をくすぐる、あの特有の匂いに眉を顰めた時だった。