163:唯一の自由

 

 

「そう、教わってきた」

「え」

 

 イーサの声から、感情が消えた。なんだ、この声は。イーサの、金弥のこんな声は初めて聞く。

 

「王になる者は、そのように思っていなければならない、と。何故なら、実際に王には、全てを動かす力が手に入るからだ。しかし、国家の全てを自由に出来る力と引き換えに、王が差し出さなければならないモノがある」

「……な、に」

 

 なんだよ、イーサ。

どうしてお前急にそんな声を出すんだ。怒ったり泣いたり、癇癪を起したり。何でもいいから感情を込めろよ。

 

「“イーサ”という、個人としての自由だ」

「っ!」

「俺はヴィタリックの第一子として生まれた瞬間から、俺自身の自由など無いと教えられた。千年近い俺個人の生涯は、国と民に捧げるよう。この世で最も不自由である事を自覚して生きるように、と。その代わりに手に入るのが、王の玉座だ」

 

 イーサは膝の上に載せたあもを静かに撫でている。あもを見るイーサの目には、やっぱり何の感情も映らない。

 あぁ、俺はなんて甘いんだろう。何も分かっていない。金弥の事も、イーサの事も。分かったつもりで、得意になって。

 

俺が一番、何も知らないじゃないか。

 

「サトシ……俺に、“イーサ”に自由に出来るモノなんて。ほんとに、このあもくらいなモノなのだ。王としてこのクリプラントのモノ全てを自由に扱える権力と引き換えに、“イーサ”は全部不自由だ。でも、それは生まれた時からそうだったから……別にそういうモノだと思っていた。けど……」

 

 俺はずっとイーサの事を、精神年齢の低い癇癪王子だと思っていた。だからこそ、俺という個人を、まるでぬいぐるみのように好き勝手に扱ってくるのだと、そう思っていた。

でも、違った。

 

「なんでだろうな。サトシ。イーサは、“サトシ”だけは自分の自由にしたいと思ったんだ。こんな事、他のモノには思った事が無いのに」

「イーサ……」

「でも、そうは絶対にならない。イーサは不自由だから、あもだけで我慢しないといけないのに。でも、サトシだけは我慢したくないんだ。だから、腹が立って癇癪を起してしまう」

 

 そう、そうだ。

 イーサは、俺に話しかける時だけは一人称が“イーサ”になる。それは、出会ってしばらくして、自然とそうなっていた。

 

——–あのね、サトシ。きん君ね!

 

 そんな所も金弥ソックリ、なんて俺はずっと内心複雑な気持ちだったのだ。

他のヤツと話す時はちゃんと“俺”って言うのに、俺にだけは“イーサ”って言う。

 

 そこには、不自由な“イーサ”の願いが込められていたのに。

 俺はそれに、今の今まで全く気付いていなかった。

 

「“サトシ”だけでも、“イーサ”の自由にしたい」

 

 イーサはきっとこれからこの国の王様になるのだろう。

 

それは、俺が“イーサ王の”オーディションを受けたからではない。イーサが、諦めきれない目で、“俺”を見るからだ。これから王に就任する事で、完全にイーサという個人の自由を手放す事に対する未練。

 

唯一、俺の腕だけを必死に掴んで、コレだけは自由にさせてくれと叫ぶイーサが、俺の目の前に居た。

 

「わかったよ」

「ん?」

「イーサ、お前。これから王様になるんだな?」

「……うん」

 

 イーサが真っ黒な喪服に身を包みながら、腕の中のあもに力を込めた。そんな、ぬいぐるみだけで耐えられるワケがない。あのヴィタリック王にすら、カナニという、唯一自由に出来る存在を傍に置いていたのだから。

 

「イーサ。お前に……“サトシ”をやる」

「え?」

「いいか?この“サトシ”はイーサ王にあげたワケじゃない。この俺は、イーサ、お前個人にやった」

「っ!」

 

 その瞬間、イーサの金色の目が零れそうな程大きく見開かれた。

 

「ホント?」

「あぁ、やる。だから、お前も一つだけ俺に寄越せ」

「一つ?なにを?」

 

 イーサが金色の目を瞬かせながら、俺へと近寄ってくる。近い。もう鼻先がくっつきそうな程、イーサの顔が目の前にある。

 

「サトシはイーサの自由の中に入れていいから、イーサを俺の自由の中に寄越せ。それで、俺達はお互いだけは自由だ」

「……あ、あ、ぅ」

 

 イーサの口から、意味のない言葉が漏れる。その声と、吐き出す息が俺の口へと触れる。顔はどこか興奮したように真っ赤だ。でも、それが性的な欲求で染まった色ではない事は、ハッキリと分かった。

 

「ほんとうに、いいのか?」

「……いいよ。お前だけをそんな不自由な中に置いとけるかよ」

 

 口にしながら、自分がとんでもない事を言っているという自覚はあった。でも、仕方ないだろう。この気持ちは、確かに俺の“本当”なのだから。

 

「はぁっ。さとし」

「なんだよ」

「くちを、くちを」

「……口付けか?」

 

 イーサの顔には答えが書いてある。こんなの簡単だ。顔を近づけた時から……いや。それよりもずっと前から、

 

「いいよ」

 

 イーサの顔には、俺とキスがしたいと、ハッキリ書いてある。

 

「っふ」

「ん」

 

 俺が頷いた瞬間、イーサの口が俺の口を塞いだ。どうやら、俺と口付けを交わすうちに、少しはやり方を覚えたらしい。

 歯もぶつからないし、口の中も痛くない。

 

 俺が言えたタマじゃないが、上手になったじゃないか。そう、俺が思わずイーサの背中に手を回した時だ。

 

 

「イーサお兄様っ!少しお話がございます!」

「……姫、ノックを」

 

 

 イーサの部屋の戸が勢いよく開いた。

視線を向ける事は出来ないが、分かる。俺は今、二つの視線に無防備に晒されている。しかも、この声。この声は――!

 

 

「お兄様!イーサお兄様!何をそんな人間と口付けなんか交わしているのです!ちょっといいからお話を聞いて!」

——–に、人間の雄が、私に気安く話しかけないで。ぶ、無礼よ!

 

「あ、あ。ソ、ソラナ姫。今は……!」

——–おはようございます。部屋守の仕事は、どうされたんですか。

 

(ま、まさか……!)

 

 俺の推しの、華沢さんと速水さんの可愛い可愛い声が、部屋中に響き渡る。そして、その部屋に居る俺はと言えば、イーサと深いキスの最中だ。しかも、背中に腕なんか回しちゃって。

 

「んんんんんんんーーーー!」

 

 口を塞がれたまま放たれる俺の絶叫。しかし、一向に離れていこうとしないイーサに、俺は頭がクラリとした。

 

 え、ナニコレ。どんな地獄だよ、ここは。