「え、えぇっ!?ナニコレ、どういう状態!?」
上白垣栞は戸惑っていた。そりゃあもう、心底戸惑っていた。
「なんで、主人公はイーサとじゃなくて、お姫様と……キスを、してるの……?」
そう、その混乱の根源は、栞の視線の先にあるゲーム画面にあった。そこに映し出されていたのは、息を飲む程の美しいキスシーンだった。
「え?セブンスナイトって百合要素もアリだっけ……?」
いや、そんなワケがない。
【セブンスナイトシリーズ】は元来「男性キャラ×女主人公」という、いたって一般的な男女恋愛をテーマとした恋愛シミュレーションゲームである。しかし、多様性を認める時代の変化から、もしかしたらアリになったのでは?なんて考えが栞の頭を過る。
でも、それならそれで前情報で開示されそうなモノである。
「あれ?この子は……攻略対象者、じゃないわよね?」
栞の戸惑いの声が部屋に染み入るように消えていく。
物語がこんな状態になるまでに、なにか壮大なる物語の紆余曲折があったワケではない。つい先程まで、栞は恋愛シミュレーションゲームで歓喜の悲鳴を上げていたのだ。そう、二人の男が主人公を取り合うという、テッパンのイベントにより。
「え、まって。どうしてこんな事になったんだっけ……?」
栞は、この現状に陥るまでの約十分間の出来事を思い出そうと、眉を寄せた。そう、“あの”選択肢から全ては始まったのである。
〇
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【テザー】
おい、シオン。今夜は俺の所に来い。お前とは二人で色々と話したい事があったんだ。いいだろ?
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【イーサ】
貴様、何を言っている?シオリは俺のモノだ。シオリは今夜、俺の寝所に来るんだ。なにせ、シオリは、俺のモノだからな?
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『あぁっ。コレよ、コレ!私の見たかった光景は、まさにコレ!』
やっと恋愛シミュレーションゲームらしい展開になってきたと大興奮した!そう、栞は拳を握りしめると、
そう、そうなのだ!
イーサとテザー。二人の顔の良い男によって、栞の分身たる、“シオリ”が取り合いになったのである。その挙句、「今晩、俺とアイツのどっちと過ごすんだ!?」という嬉し過ぎる二者択一が迫られ、狂喜の悲鳴を上げたのは、そう前の話ではない。
しかし、【セブンスナイト4】の制作スタッフは、そうやすやすとプレイヤーに対し、キュンの安寧を与えはしなかった。
その直後、プレイヤーに提示された選択肢。その中には、完全に第三の道が全力で提示されていた。
どう答える?
【テザー先輩、ごめんなさい。今晩は予定があって……】
【イーサ、ごめんね。今晩は予定があって……】
【ごめんなさい。今晩はマティックに呼ばれてて……】
ハッキリ言って、結論、全部同じじゃないか!というツッコミはもういい。これが初めてではない。栞は悩んだ挙句、コントローラーのボタンを押した。
【イーサ、ごめんね。今晩は予定があって……】
そもそも栞は現在「イーサルート」をプレイ中なのだ。できれば、イーサの反応が良さそうなモノを選びたい。そう思って選んだ選択肢は、どうやら正解だったようで、この答えにイーサは非常に憤慨してみせた。
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【イーサ】
シオリ!お前は俺のモノだ!王の俺よりも、他の男との約束を優先しようとするとは何事だ!
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そして、あれよあれよという間に、マティックの所へ行こうとするシオリを無理やり部屋へと連れ込んだ。もちろん、この展開は、栞を白熱の絶頂へとブチ上げた。こんなの、恋愛シミュレーションゲームとして最高に上がる展開ではないか、と。
『きっと、ベッドの上に押し倒されて……きっとここで美麗スチルが出るのよ!スマホの準備!』
栞は高鳴る胸を抑えながら、近くにあったスマホを構えた。片手はコントローラー。準備は万端である。
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【イーサ】
シオリ、お前はどうしたら俺のモノになる?王としての“イーサ”ではなく、俺個人としての“イーサ”のモノに。
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案の定、主人公はベッドに押し倒され、画面には切な気なイーサのスチルが映し出される。そして、その口から語られたのはイーサの王としての苦悩だった。
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【イーサ】
王としての俺の人格に、個人のイーサとしての感情は挟む事は許されない。いや、そもそも“イーサ”という個人など、存在してはいけないのだ。
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その時、栞は美麗なスチルを前に思わず写真を撮る手を止めた。美麗なイラストを前にしておきながら、栞は完全にその耳を奪われていたのだ。
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【イーサ】
シオリ、頼む……。
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苦しげで、何かに手を伸ばすのを必死に耐えるようなその声。ズンと腹の底に迫るような低い声でありながら、その声にはどこか幼さすら感じられた。
『やば……』
声優の演技によって、ここまで感情が揺さ振られるとは。まさか、イーサの王としての苦悩が、これ程までとは。ここに来て、栞は完全に、心の底から落ちた。
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【イーサ】
俺の……イーサの唯一の“自由”になってくれ。
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イーサに。
「ズルいよぉ。普段は強い男の、こんな弱い所なんか見せられたら……完全に落ちちゃうじゃん……もーーー!だいたい、この声!この演技!これがもうっ!ヤバイ!声優さん誰だっけ!?新人さんなんだっけ?ウィキとかもう出来てるかな!?」
そう、今にも栞がスマホでイーサ役の声優を調べようとした時だ。それまで一切聞こえてきていなかった声が、悠然と栞の部屋に響き渡った。
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【???】
お兄様、失礼いたします。
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『へっ!』
この声は、聞き覚えがある。いや、有名過ぎて聞いた瞬間に分かってしまった。
『これ、華沢さんの声?……っていうか!なに、お兄様!?』
画面を見てみれば、そこにはベッドに横たわる男女の営みなどつゆ知らず。そんな様子で現れた……美しい一人のエルフ女性のキャラが映し出された。その後ろには、金髪のメイド服の女性が続く。
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【???】
お兄様、その方をお放しになって。マティックが待ちくたびれていますよ。
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【イーサ】
ソラナ、出て行け。
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短く不機嫌そうに答えるイーサに対し、ソラナはイーサによって押し倒されるシオリへとソッと近寄ってきた。そして、「お兄様、どいて」とイーサを押しのけると、シオリの腕を引っ張る。
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【シオリ】
(きれい……一体誰だろう?)
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なんて、悠長な事を考える画面上のシオリに対し、声優の検索をかけようと手にしていたスマホを、栞はベッドの上へと放り投げた。
「え?え?ナニコレどういう事態?イーサとのキスは?てか、妹?私、ここに来てイビられイベント発生しちゃう?」
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【ソラナ】
貴方ね?イーサお兄様からネックレスを貰ったって言う人間っていうのは。
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そう、どこかツンとした声で言い放たれる言葉に、思わず栞はゴクリと唾を飲み下した。さすが華沢さんだ。その声は、透き通るような美しい声色であるにも関わらず、芯の所に“甘さ”を一切感じさせない。
絶妙な声質だ。
ピリついた空気が、画面の向こうに広がる。静かに頷くシオリに対して、ソラナは突然とんでもない事を言い出した。
———–
【ソラナ】
ふふ。貴方、人間だけど凄く可愛いわ。どう?お兄様は止めて、私の所に来ない?悪いようにはしないから
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ソラナからの誘いがあった!どう答える?
【はい、わかりました】
【いえ、私はイーサの唯一の“自由”になると決めたので】
【マティックの所へ行かないと】
『えーーーっ!?ナニコレナニコレ!ちょっ!興味本位としてなら絶対に一番目だけどっ!でも、そんなネタ選択肢、選んでらんないし!ここは、もちろん』
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【シオリ】
いえ、私はイーサの唯一の“自由”になると決めたので。
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これ一択だ。
ちょうど、つい先程、イーサの王としての悲しい生き方を吐露されたばかりなのだ。ここは、兎にも角にも、イーサの好感度を中心に上げ……いや、イーサの心を癒す為の選択肢を選らばないと。
そう、栞が完全にイーサに心を持っていかれた時だった。
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【ソラナ】
あら、ダメなお口ね。
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栞が聞こえてきた言葉に思わず目を見開くと、テレビ画面には、この世で最も美しいキスシーンのスチルがこれでもかという程広がっていた。
こうして、冒頭の栞の叫び声とも戻るワケだが……
「え、私。選択肢、ミスったワケじゃないわよね?」
そんな栞の弱弱しい問いは、誰に答えを貰えるワケでもなく部屋の中へと消えていったのであった。