「……なんだよ、キン」
お前のこんな声、俺は知らない。いつの間にこんな演技出来るようになったんだよ。勝手にどんどん先に行きやがって。
「俺は、キンの事も、イーサの事も……何も分かってなかった。そう、仲本聡志は静かに拳を握りしめた」
淡々と紡がれる為政者達の会話を聞きながら、俺は視線を落とした。そこには、何も出来ない拳が、強く握りしめられている。
「……俺は、どうしたらいい」
この俺がプレイヤーだと分かったからって、だから何だ。こんな立派な王様に対して、俺がしてやれる事なんかあるのか?
イーサにかけてやれる言葉なんか、俺が持っていると思うのか?
王として、一切の自由を諦める事を余儀なく生きてきたイーサに、自分の夢すら一度は投げ捨ててしまった俺に、言える事なんて――。
「ぁ、」
その時、見てしまった。視線を落とし、不甲斐ない自分の拳に目を向ける事で……見えたモノがあった。
(……イーサ、お前。もしかして)
イーサの背中に隠されたもう片方の手が、微かに、しかしハッキリと。
震えていた。
——–ぅ、ぃや。
「……っ!」
その震える手を見た瞬間、俺の耳の奥に、幼い金弥の声が聞こえた気がした。
母親を怖がって、家に帰りたがらなかった金弥。そのストレスのせいで、指の皮と爪を噛んで、いつもボロボロだった金弥の小さな手。
——–金弥!ほら、来なさい!帰るわよ!
そう、母親に無理やり連れて帰られそうになった時、金弥は泣きそうな顔で俺を見たんだ。金弥は何も言わなかった。
でも、何も言えない代わりにその目はハッキリと俺に伝えてくれた。
——–サトシ、たすけて。
「あぁ、助けるよ。当たり前だろ」
その瞬間、俺はイーサの震える手を掴んだ。掴んだ瞬間、それまでソラナ姫と国政について話していたイーサの言葉がピタリと止まった。
「さ、サトシ?」
「イーサ、おちゃらかしようぜ」
「は?おちゃ、らか?何だ、それは?」
首を傾げながら此方を見てくるイーサに、氷のように冷たいイーサの手を更に強く握りしめた。
「ちょっと!人間のオス!今、私とお兄様は大事な話をしてるの!意味の分からない事で、話を中断させないで!」
「あの、ソラナ姫」
俺はイーサの冷たい手を握りしめたまま、眉間に皺を寄せて此方を見てくるソラナ姫に視線をやった。やっぱり良い声だ。可愛い。俺の推し。華沢さんの声。
でも、ここに居るのは華沢さんじゃない。
ソラナ姫だ。
「な、なによ。人間のオスが気安く私に話しかけ、」
「サトシです」
「は?」
「俺、サトシって名前です。人間のオスって名前じゃない」
「っ!はぁ!急に何よ!人間の分際で図々しいわね!」
ハッキリと怒りを露わにしてくるソラナ姫に、俺は息を吸い込んだ。どうせ、俺じゃ似ないのは分かっているけれど、それでもここは“父親”の言葉を借りよう。
「ソラナ姫。よければ、俺の言葉を父親の言葉だと思って聞いてください」
「は?な、なに。急に」
戸惑うソラナに、俺は一呼吸を置いた。イーサの手は掴んだまま。この手は、離さない。少しだけ、その手には温もりが戻っていた。
『ソラナ。他者に対する己の行いは、いついかなる時も自らを映す鏡だ』
「っ」
あぁ、クソ。やっぱり全然似てない。
でも、台詞は完璧だ。【セブンスナイト3】をプレイした時、俺、このヴィタリックの言葉が好きで、何回も真似して口にしてたから。
格好良いんだよなぁ。この台詞。
『覚えておけ。他者に対し、礼をも持って接する。そんな“当たり前”を、するかしないかは、全てお前の品性の問題だ。そして、その品性は、そのままお前に返ってくる』
「……な、なんで。お父様が、」
でも、どうやらソラナ姫には、こんな俺の中途半端な声でもヴィタリックの声に聞こえるらしい。ちょっと、嬉しいかも……なんて。いや、それこそ図々し過ぎる。
きっと、これはソラナ姫の中にある父親の声が、きっと薄れてしまっているからだ。
テザー先輩にとっての“ベイリー”と同じ。
もしかしたら、ソラナ姫の中のヴィタリックの声を、俺が塗り替えてしまっているのかもしれない。
あぁ。なんて、恐れ多いんだ。でも、少し光栄だ。
『お前が他者から侮られる時、それはお前が他者を侮っているからだ。顧みるべきは、他人ではない。自分だ。いいか、それを絶対に忘れるなよ』
「……ぁ、あ」
自らの口元に手を当て、数歩後ろへと下がるソラナ姫に、そっとその体を支える者が居た。
「ソラナ」
「……ぽ、ぽるか。お父様の、声がするの。お父様は、死んだのに」
「そうなの?」
「そう。お、同じことを、昔お父様に言われたことが、ある……なんで、それを……こんな、にんげ」
人間のオスが。
そう、言いそうになったのだろう。ソラナ姫はヒクと喉を鳴らすと、眉間に小さな皺を作った。
なんと、運が良いのか何なのか。
これと同じ事をヴィタリック王は、娘のソラナにも言っていたらしい。前作でヴィタリックが、態度の悪いスリの子供に言っていた、この台詞を。
まさか、娘にも言っていたなんて。なんか、妙な因果を感じる。
「ソラナ。ごめんね」
「え?」
突然、ポルカがその落ち着いた声でソラナへと謝ると、突然その視線が俺へと向けられた。そして、
「サトシ。私達、またあとで来るわ。ごめんなさい、二人の時間の邪魔をして」
「えっ」
「あと、お帰りなさい。無事で良かった」
耳を疑った。今、俺は何と呼ばれた?何と言われた?
「あ、あの」
俺が余りの予想外の事態に、喉の奥を鳴らしてポルカに向かって声をかける。しかし、ポルカがそれに答えてくれる事はなかった。
「ソラナ。行こう。部屋で私が抱きしめてお話をしてあげるから」
「ポルカ……そんな事で私の機嫌を取ってるつもり?」
「私ね、ソラナも、ずっと働き過ぎていて心配なの。だから、少し休んで」
「……じゃあ、口付けもして」
「ソラナが望むなら何でもする」
「抱きしめて、私の全部に触れて……そうじゃないと」
「十回嫌いになる?」
慈愛を含んだ声が、楽しそうに言う。
なにやら、俺が名前を呼ばれた事など些細な事でしかないような会話の内容が俺の耳を揺さぶってくるのだが、コレは一体何だろう。
え?え?この二人、一体どういう関係なんだ?
「じゃあ、お兄様、また来るから」
「……」
「お兄様!聞いてるの!?」
「……あ、あぁ」
ソラナがポルカの手を握りながらイーサに向かって叫ぶ。よもや、俺など眼中になさそうだ。
イーサはと言えば、どこかぼんやりとしている。
ただ、先程まで俺が握りしめていた筈のイーサの手が、逆に握りしめられていた。なんだ、いつの間に。そして、その手は今や焼けるように熱かった。
「ねぇ、ちょっと」
「え?」
すると、ソラナ姫の視線がいつの間にか俺の方へと向けられていた。その表情は明らかに不機嫌だ。怒っていると言ってもいいかもしれない。
「……私、お前がキライだわ。身の程も弁えないで」
「あ、はい。すみません」
思わず何に対してかも分からないまま謝ってしまう俺に対し、ソラナ姫は頬を膨らませて言い放った。
「サトシの分際で!私に説教なんかしないでよね!」
「っ!」
「行こう、ポルカ!」
「うん」
そう言って此方に背を向ける可愛らしい二人の女性に、俺は不覚にも、ときめいてしまった。
「……あ」
しかし、胸元のネックレスは揺れるのを感じて、急いでその気持ちに蓋をする。あんな激痛、もうごめんだ。
きつく手を握りしめ共に歩む二人のエルフ。その絡み合った手を見つめながら、俺は同じように自らに絡みついてくるイーサの熱い手を感じた。
「サトシ、俺と……おちゃらか、して」
おちゃらかの意味なんて知らない癖に、イーサの縋るような声がまるであの時の金弥そのもので。
俺は改めて決意した。
「あぁ、いいぜ。イーサ」
俺が、イーサを守ってやる。