169:おちゃらか

 

 

 

 いつの頃からか、金弥は自分の指を食べるようになった。

 

 

 食べる、と言うと語弊があるかもしれない。実際には“噛んで”いたのだろうが、幼い俺には、金弥が自分の指を食べているように見えたのである。

 

『ぁぅ、む、んぐ』

『……』

 

 また食べてる。

 そのせいで、金弥の手が、見る度にボロボロになっていった。よく見れば皮がはがれ過ぎて、ジワリと血が滲み始めている。

 

『むぐ、ぁむ』

 

 それでも金弥は、手を食べるのを止めない。

 

『……』

 

 俺は、金弥のボロボロの手を見るのが嫌だった。だって、見てるコッチが痛くなるし。そしてなにより、

 

『ん、ぅ、ぐ』

 

 金弥が辛そうだったから。俺にはそれが一番嫌だった。

 

 本当は『やめろよ!』と言って金弥の手を掴んで止めても良かったんだ。でも、そんな事をしたら金弥が余計に指を噛んでしまう事は、幼い俺でも、何となく分かっていた。

 

『したらダメ!』とか『なんでそんな事するんだ!』って言われたら、焦って余計やってしまう。金弥だって食べたくて自分の指を食べているワケじゃないんだから。

 

ーーーーーー金弥!いい加減にしなさいって言ってるでしょう!なんで、そんなにお母さんの言う事が聞けないの!?

 

 だから、俺は考えた。幼い子供なりに、金弥が自然と指を噛まなくなる方法を。それが――。

 

『キン!おちゃらかしよう!』

『へ?』

『手、貸して!ほら、おちゃらかしよう!』

 

 戸惑う金弥の手を取り、俺は金弥と手を合わせて“おちゃらか”をする。そしたら、金弥は手を口に持っていけなくなるから。

 

『おちゃらか、おちゃらか、おちゃらか、ほい』

 

 直接は言わなかったけど、その時も、俺は思ってたんだ。

『キン、おれがお前を守ってやるよ』って。

 だって、俺は主人公だし。主人公は皆を守ってるし。そうした方が格好良いし。だから、俺は……

 

 なんて、ウソ。

 

『……キン、また明日ー!また明日も一緒に遊ぼうなーー!』

 

 金弥が好きだから。だから、俺は金弥を怖いモノから守ってやるって決めたんだ。

 

 

        〇

 

 

「こう、こうする。ここで手をたたく。ここでじゃんけんをする」

「じゃんけん?」

「あー、この世界ってじゃんけん無いのか。じゃんけんって言うのは、」

 

 俺はイーサに「おちゃらか」のやり方を教えた。まさか、コレを他人に説明する日がこようとは思いもよらなかった。

 まぁ、そんなに難しい手遊びでもないし、イーサ自体モノ覚えもよかったので、すぐに覚えた。

 

「おちゃらか、おちゃらか、おちゃらか、ほい!……はい、これはどっちが勝った?イーサ」

「これは、イーサがグーで、サトシがチョキだからイーサの勝ち」

「そうそう。そしたら、何て言う?」

「おちゃらか、勝ったよ、おちゃらか、ほい」

「そう。完璧に覚えたな。すごいな、イーサ」

「うむ、イーサは物覚えがいいからな!」

 

 そうやって、俺とイーサは何度も何度もか「おちゃらか」を繰り返した。良い大人が二人で何をやってるんだと言いたいが、コレは当事者同士が終わらせない限り永遠に続く遊びだ。

 パンパンと小気味の良い音を響かせ、イーサの綺麗な手が俺の手を叩く。少し強い。それがまさに、加減の出来ない子供のようで、少し面白かった。

 

「おちゃらか、おちゃらか、」

 

 何度目ともつかぬ「おちゃらか」を口づさんだ時、パン!と勢いよく掌を合わせてくるイーサの手を、俺はガシリと捕まえた。

 指を折り、イーサの指と自分の指を絡める。

 

「はい、捕まえた」

「ん?おちゃらかは最後、相手の手を捕まえて終わるのか?」

「まぁ、そんなトコ」

 

 テキトーな事を言う。

 ギュウっとイーサの指の間に自身の指を絡めて捕まえてやれば、イーサの手がホカホカと暖かいのを直に感じる。

 あぁ、良かった。良い感じで緊張が解れたようだ。

 

 そろそろ、いいだろうか。

 

「なぁ、イーサ?」

「ん、どうした?サトシ?」

「戦争が、怖いか?」

「……」

 

 そう、俺が何の脈絡もなく尋ねてみれば、その瞬間イーサの表情から、感情の色が極端に薄くなった。

 そして、その表情に続くのは、同じく感情の抑えられた淡々とした声だった。

 

「安心しろ、サトシ。戦争などというモノは、やるべき事の決まった、一種の外交と同じだ。情報を正しく精査し、次の一手さえ間違わなければ、何の問題もない」

「そうか」

 

 つらつらとイーサが言葉を紡ぐ。俺の捕まえた掌から、少しだけ温もりが無くなった気がした。

 

「まぁ、こちらにも不利な所が多いのは確かだが、しかし確実に戦争となれば、リーガラントの方が不利だぞ?」

「ふーん」

「なにせ、あそこは民主国家だ。なにをするにも国民や議会の顔色を窺う必要があるからな。その分、判断が遅くなるだろう。それに引き換え、うちは王権制だ。王である俺が一声上げれば、民も兵も一発で動くんだ。だからーー」

「だから、お前一人の決断が、国の命運を左右する事になる」

 

 イーサの言葉に被せるように、俺が圧倒的な事実を口にしてやる。

 

「……あぁ、その通りだな」

 

 すると、それまで温かかった筈のイーサの手から、一気にそのぬくもりが消えた。今やその手は、まるで氷のように冷たい。

 それなのに、その表情は妙な落ち着きで溢れていた。変だ。このイーサは変。

 

「俺の決定がこの国の命運を分ける。俺は王だからな」

 

 やっぱりそうだ。このイーサは、イーサじゃない。今、俺の目の前に居るのは、

 

「イーサ、俺の前で“王様“になるな」

「……なん、だと?」

「だって、イーサ。俺と話す時は、いつも自分の事を”イーサ“って言うのに、さっきからずっと”俺“って言ってる」

「っ!」

 

 イーサの口から、驚きの声が漏れる。やっぱり、無意識だったか。

 

「それに、まだまだあるぞ」

「……」

「”イーサ“なら、一人であんな風にベラベラ喋らない」

「それは、」

「なぁ、イーサ?さっきのお前は、俺を“サトシ”だって思ってなかったな?」

 

 俺が悪戯っぽく言ってやれば、イーサはどこか気まずそうに目を逸らす。

 そうだ。さっきのイーサは俺に向かって話しながら、それでいて、一切俺のことなど見てはいなかったのだ。

 

「さっきのイーサは俺を“国民の一人”だって思ってた。俺の事なんて、ちっとも見てねーの」

「……う」

「あとは、」

「ま、まだあるのか?」

「あぁ、まだまだあるぞ。イーサ?お前は自分が思っているより、物凄く分かりやすいヤツなんだぜ?」

「……他のヤツらに、そんな事を言われた事など一度もない」

「っは、他の奴と俺を一緒にすんな。”サトシ“には、バレバレなんだよ。ほら、こんなに手も冷たくなって」

 

 指を絡めたイーサの手に、俺が再び力を込めてやれば、逸らされていたイーサの視線がチラと窺うように此方へ向けられた。

 

「サトシには、イーサはバレバレ……」

「あぁ、そうだよ。だから無駄な事はすんな」

「そっか、そうなのか」

 

 そう、どこか噛み締めるように口にされた言葉に、俺はやっとホッとする事が出来た。

 あぁ、良かった。やっといつものイーサの目に戻った。

 

「イーサ。頼むから、俺の前では”イーサ“で居ろよ。俺はイーサの唯一の自由なんだろ?寂しい事すんなよ」

「……あ、う」

「なぁ、イーサ。もう一度聞くぞ」

 

 俺は、少しだけ温もりの戻ったイーサの手から絡めていた指を離すと、開いた掌同士を重ね合わせた。

 グーからパーに。さぁ、力を抜けイーサ。

 

 

「戦争が怖いか?イーサ」

 

 

 俺のハッキリとした問いに、イーサは震える声で答えた。

 

 

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