170:その誰かは、俺じゃなきゃダメだろ?

 

 

「こわい」

 

 

 イーサの眉が情けなくハの字になる。重なり合った掌は、圧倒的にイーサの方が大きいのに、俺にはまるで小さいボロボロの子供の手に見えて仕方がなかった。

 

「イーサは、戦争なんかしたことがない。分からない事があったら、一体誰に聞けばいい?イーサの判断が間違っていたら、誰が違うと止めてくれる?でも、もしかしたらイーサが合っていて、違うと言った相手が間違いを言っているかもしれない。イーサは何を信じたらいい。イーサはこれから、どうすればいい!?」

「イーサ」

 

 イーサの悲鳴にも似た叫びが、俺に向かって放たれる。イーサは泣いちゃいない。だけど、もう、殆ど泣いているようなモンじゃないか。

 

「イーサが間違えたら、クリプラントは滅びる。たくさんの国民が死ぬだろう。もしかしたら、エルフという種族そのものが歴史から消えるかもしれない」

「……イーサ、おいで」

 

 イーサから手を離し、俺はイーサの顔を自身の胸に押し付けてやった。イーサの腕が、俺の背中に回るのを感じる。

 

「父なんか嫌いだった。いつも皆、父の事ばかり褒めて、イーサの言う事を間違いだとバカにする。でも、でも……」

「うん、うん」

「今は、父に側に居て欲しいっ!なんで、アイツはこんな時に居ない!なんで死んだ!こんな面倒と大変な事を押し付けて、いつもイーサばっかり!」

 

 トントンと、背中を叩いてやる。泣いていても、顔は見えない。

 

 あぁ、良かった。

 イーサがちゃんと“怖い”と感じる事の出来る心が残っていて。ここでも弱音が吐けないようなら、どうしようかと思った。

 まだ、イーサには王様ではない“イーサ”が、こんなにもちゃんと生きている。

 

「父さん、父さん……おとうさん」

「イーサ」

 

 腕の中で「お父さん」と言って肩を振るわせるイーサに、俺まで泣きそうになってしまった。だって、金弥にも“お父さん”が居なかったから。

 殆ど父親の事なんて話さなかった金弥が、一度だけ俺に“お父さん”の事を話してくれた事がある。

 

『サトシね、キン君のお父さんみたいなの』

『え?』

 

 そう言われた時、俺は耳を疑った。だって、その時、まだ俺も五歳かそこらだった筈だ。小学校に入る前だったし、何より金弥が、自分の事を「キン君」と呼んでいたから。

 うん、あれは五歳の頃だ。

 

『キン君、お父さん大好きなの。いつも、キン君のこと守ってくれる。いっぱいほめてくれるし、やさしい。だから、サトシはキン君のお父さん』

『な、なんだよ。ソレ。おれは、キンのお父さんじゃ、』

 

 そこまで言って、金弥があんまり嬉しそうな顔で俺を見るもんだから、俺はなんだか色々な事がどうでもよくなった。

 金弥が俺の事を好きで居てくれるなら、もう俺は“お父さん”でも“サトシ”でもいっかなって。そう、思った。

 

『いーぜ。トクベツだからな?トクベツに、おれがキンの“サトシ”と“お父さん”の両方してやるよ』

『っ!いいの!いいのいいの!?サトシ、キン君のぜんぶ、してくれる!?』

『いいぜ、ぜんぶしてやる』

 

 その時の金弥の嬉しそうな顔といったら。もう二十年も前の話なのに、今でも鮮明に思い出せる。

 あの時の顔が、また、見たい。嬉しそうな顔を、俺に見せてくれよ。

 

 なぁ、イーサ。

 

「イーサ?トクベツに今から俺を“お父さん”だと思ってもいいぞ」

「……は?」

「まぁ、そうだな。サトシでも、お父さんでも、どっちでもいい。どうせ、お前みたいにソックリな声は出せないし。好きな方でいいよ」

「え。サトシ……なにを、え?」

「だから、今から俺はお前のお父さんとサトシ、両方になってやるって言ってんの!」

 

 と、何度繰り返されても意味が分からないのだろう。それまで俺の胸に頭をくっつけていたイーサの頭が離れ、ソロソロと顔を上げた。

 

「さとし……?」

 

 へぇ、どうやら泣いてはいなかったらしい。少しだけ目は赤いが、ただそれだけだ。

 そういえば、金弥はあんなに人見知りだった癖に、一度も泣いたところは見た事はなかった。

 

「んん。んー。よしよし、これでいいだろ」

「サトシ、何をするんだ?」

「んー?ヴィタリック王に来て貰うんだよ。イーサを元気付けてもらわないとな」

「!」

 

 戦争が始まるかもしれないこの情勢。

 イーサは王様で、どうしても戦争を回避しなければならない。戦った時点でクリプラントは負けが決まる。

 だとすると、ヴィタリック王の、第一次防衛戦線の時のカナニ様のように、イーサにも誰か信じられる相手が必要だ。心を自由に置く事の出来る誰かが。

 

ーーーーーその“誰か”は、俺でもいいだろ?

 

 いつかの、ビットのセリフが頭を過ぎる。

 

「第十六話。【遠い過去の自分を】か……やっぱビットはスゲェな」

 

 カナニの首には、ネックレスがあった。そして、俺の首にも……同じモノがある。

 俺には、カナニやマティックのような知識も政治力もないけど、それでも俺に出来る事は必ずある筈だ。

 

 その一つが、今ここでイーサを自由にしてやること。

 そう、俺が深く息を吸い込んだ時だ。

 

「サトシ!」

「ん?」

 

 イーサの掌がギュウっと俺の手を掴んだ。驚いた事に、その手は火傷しそうなほど熱かった。

 

「イーサは……“サトシ”がいい。父よりも、ヴィタリックなんかよりも……サトシの方がいい!」

「え、でも。さっき、イーサは」

「サトシがイーサに何か言ってくれるなら、サトシのままがいい。ソラナの時みたいに、アイツの声なんか借りなくていい。イーサは、イーサは絶対に、」

ーーーーーサトシがいいっ!

 

「……そっか」

 

 イーサの言葉に、俺は体の芯から熱くなるのを止められなかった。あんな風に不安から父親に縋っていた癖に、それでも“サトシ”を選んでくれるイーサ。

 

——–その誰かは俺でもいいだろ?

 

 いいや、違う。俺じゃなきゃダメなんだ。

 そんな風に言われて、嬉しくないわけがない。だって、いっつもオーディションじゃ選ばれない“サトシ”を、こうして真正面から選んで貰えたのだから。

 

「うん、わかった」

「サトシも、イーサの前ではサトシで居てくれ。イーサはサトシがいいんだ」

「う、ん」

 

 何だよ、もう。

 嬉しい事ばっか言いやがって。だったら、分かったよ。イーサ。

 

「イーサ、大丈夫だ」

 

 イーサ、お前を不自由の中に一人置いてなんか行かない。俺が一緒に居てやる。

 

「イーサ、お前は絶対に俺が守ってやる。この国ごとだ!信じろ!口から出まかせじゃない!」

 

 そう、そろそろ。その役割が回ってくる筈だ。この世界がゲームの世界であり、俺がプレイヤーであるならば、必ず「役割」が巡ってくる。

 

「だから!安心しろ!戦争は、俺が起こさせない!」

 

ーーーーーキミに、会って来て欲しい人物が居る。ソイツを、城まで連れて来て欲しい。出来るか、サトシ。

 

 カナニ様の言葉が、俺の耳の奥に響く。そう、だから再び俺に“役割”が課せられる筈だ。ナンス鉱山の、“あの時”のように。

 

「さとし……お前は、本当に。本気で、いーさを、自由にしてくれるんだな」

「うん」

 

 イーサの手が熱い。

でも、もしかしたらその熱さは俺のモノかもしれない。もう、どっちがどっちの熱かは分からないくらい、俺達はピッタリだった。

 

「……俺とお前は、ずっと一緒だ」

——-キン、お前もそうだ。

 

 コンコン。

 

「「あ」」

 

 俺の声と同時に、イーサの部屋の戸が叩かれる音がした。

 

「イーサ王子、入りますよ」

 

 さぁ、俺にとっての戦いが始まる。戦争を止める為の。イーサを守るための。

 

 

 俺のこの世界での最後の役割が。