ジェロームは久々に夢を見た。父親の夢だった。
『ジェローム。よく覚えておきなさい。戦争とは、常に諸刃の剣だ。振り上げれば、必ず我が身も傷つく』
『はい、お父様』
目の前に父が居る。父はジェロームを見下ろしながら、両手を後ろ手に組んだ姿で立って居る。いつもの姿だ。
余りにも現実と見紛う程の父の出で立ちだったが、だからこそ、ジェロームは自分が夢を見ているとハッキリと理解出来た。なにせ、ジェロームの父は、彼が幼い頃に、病気で亡くなっているのだ。
『そして、もう一つ』
『はい』
そんな彼が父親の夢を見る時というのは、決まってジェロームが何かに迷っている時だった。
『戦争を始めるのは容易だが、正しく終わらせるとなると、それは至難の業だ』
『では、戦争はすべきではないという事でしょうか?』
『こればかりは、一概には言えない。ただ、一つだけ言える事がある』
『なんですか?』
ジェロームは迷っている。その迷いの答えを、ジェロームはいつも記憶の中に居る父に尋ねに行くのだ。
それが、ある意味、自問自答であると彼自身もよく理解している。
『我々一族は、民意により“英雄”と祀り上げられている。いわば“象徴”に過ぎない。それは分かるな?ジェローム』
『はい』
ジェロームは深く頷く。そして、続けざまに尋ねた。
『お父様のおっしゃる政治とは、“民意に従う”という事でしょうか』
『いいや、違う』
ハッキリとした父の返答にジェロームはゴクリと唾を飲み込んだ。夢の中なのに、酷く喉がカラカラとする。その身に走る緊張感は、酷くリアルだ。
『むしろ、民意に“従わされてはいけない”という事だ』
『しかし、私達一族は、民意によって選ばれただけの象徴だと、』
そこまで言いかけて、ジェロームは言葉を止めた。なにせ、それまで頑なに背中に組まれていた父の両手が目の前に差し出されていたのだ。
こんな事、今まで見た夢では一度もなかった。
『民意は必ずしも正解への導とはならない。いいか?ジェローム、民衆の声を聴くのも大事だが、お前の声を民衆に届ける事もまた……同じくらい大切な事なのだ』
『お父様。あの、』
ジェロームは差し出された手に触れようと腕を上げた。しかし、その手が父親に触れる事はないと、既に理解していた。夢の世界は、いつも唐突に終わりを告げる。
世界が少しずつ白み始めていくのを、ジェロームは黙って受け入れるしかなかった。
『ジェローム。声を聴き、そして声を届けなさい。それが、私達の役目だ』
『……は、い。お父様』
本当は、手を取って導いて欲しかった。揺るぎない大きなモノの庇護の下、迷いなく歩く人生を歩みたかった。
けれど、そんなモノは自分の人生では叶わない願いだ。
ジェロームは、触れる事の出来ない、消えかかった父の幻影を前に静かに俯いた。
『……俺の声など、誰がまともに聴くと言うんだ』
世界が暗転した。
〇
「……っ!」
目覚めた瞬間、進軍の命書が腕の下に敷かれていた。どうやら、机の上でうたた寝をしてしまっていたらしい。
寝起きの割に、頭がえらくハッキリしている。
「こんな紙切れ一枚で、何万もの人間が動く。闘う為に。俺の意思ではないのに、まるで俺の意思であるかのように」
呟いた瞬間、ピッと、ジェロームの耳に扉から来訪者を知らせる電子音が響いた。
「ジェローム、俺だ。ちょっといいかい?」
目の前に浮かび上がった液晶に、戸の向こうに立っているハルヒコの姿が映し出される。声帯認証システムも、相手が本当に“ハルヒコ”であると判断し、入室許可の判断を促してくる。
「あぁ。入れ」
ジェロームの放った声と共に、部屋のロックが解除された。
同時に、腕の下にあった進軍の命書を引き出しへと仕舞う。そう、いくら技術が進歩したとしても、総帥トップに求められる決裁だけは、未だに全て紙が用いられる。
形式だけのモノだとしても、ジェロームはその紙にサインを施さねばならないのだ。こんな紙切れ一枚で、敵味方関係なく、多くの人々の生き死にが決まる。
国の為に死んでくれ、という。言わば、そのサインはそういうモノなのだ。
「こわいな」
扉が開く直前、ジェロームは思わず零れた本音を隠すように、手を口元に添えた。
〇
「やぁ。軍が国境沿いの拠点に到着したと連絡が来たね。見たかい?」
「いいや」
「……ジェローム、この期に及んでまだ迷っているのかい?」
ハルヒコの問いかけに、ジェロームは静かに首を横に振った。
「悩んではいる。しかし、迷ってはいない」
「あ」
「なんだ」
まっすぐ此方を見上げてくるジェロームの姿に、ハルヒコは思わず目を瞬かせた。
きっと、先程まで寝ていたのだろう。ジェロームの額には、クッキリと服の縫い目の跡が付いている。
「ふふ」
「……何がおかしい」
「いや、なんでもない」
「言えよ。何で笑ったんだ?」
心底不機嫌そうな表情を浮かべるジェロームと、額に携えた濃い縫い目のアンバランスさに、ハルヒコは再び苦笑するしかなかった。
「悩みはしてる、というのが。まったく君らしい答えだと思ってね。ふふ」
「……また俺がウジウジしていると思っているんだろ?」
とっさにテキトーな内容をでっちあげて口にする。すると、どうやらジェロームは納得した様子で、フイとハルヒコから目を逸らした。どうやら、拗ねてしまったらしい。
「悪かったな。どうせ俺は頭でっかちなデクの坊だ」
「そこまでは言ってないだろう?まったく寝起きで機嫌が悪いからと、俺に当たらないでもらいたいね」
「え?」
「何で分かったんだ?」と不思議そうに眼を瞬かせるジェロームに、ハルヒコは後で蒸しタオルでも持って来てやらねばな、と肩をすくめた。さすがに、総帥がこんな間抜けな跡を付けたまま、皆の前に立つなんて……面白過ぎる。
「きっと、夢の中でも悩んでいたんだろ?俺にはお見通しだよ。幼馴染を舐めて貰っちゃ困る」
「……ハルヒコには、何でもバレてしまうんだな」
まぁ、額にそんな跡を付けていたらな。とは口にはしない。ジェロームなんて、少し感動している様子すらある。面白いので、しばらく勘違いをさせておくのも良いだろう。
「でもさ、ジェローム。悩んではいるけど、もう迷っちゃいないんだろ?」
「あぁ、実際に軍はもう動いてしまっているからな。悩みながら……進むしかないだろう」
「それでこそキミだ」
ハルヒコはニコリと笑ってジェロームの肩を叩いてみせる。
この男に「悩むな」と言ったところで、それは無理な話なのだ。悩みながら進む。それが、ハルヒコが幼い頃から見てきたジェロームという男の生き方だ。
「今、ここでクリプラントを叩いておかねば、数百年後、今度は俺達人間がエルフ達から蹂躙されかねない。……迷ってなどいられないだろ」
「そうだね。俺達人間には、エルフと違って、いつだって時間がない。不公平だよなぁ」
人間とエルフ。
友好な交流を持っていた過去もあるようだが、やはりそれは自身に屈強な“力”があればこそだ。大国同士は、国力の微妙な変化で、その関係性の姿を一気に変化させる。