180:人間とエルフ

 

 

 

「人間の歴史の傍には、いつもエルフ達が居る。人間はいつもエルフに怯えているよな。まるで俺のようだ」

「またそんな卑屈な皮肉ばっかり言って!」

「……卑屈な皮肉」

 

 暗くなるばかりのジェロームの表情に、ハルヒコはパンパンと両手を叩いた。「卑屈は終わり」の合図だ。

 

「その“恐怖”があったからこそ、俺達はここまで高度に技術を進歩させたんだ。恐怖は、決して悪い感情ではないよ。生き物の本能の中で、最も大切なモノさ」

「……そうかもしれないが」

「しれないが、なに?」

 

 まだ、何か言う気か?とハルヒコはジェロームを横目に見やる。すると、そこには少しだけ額の跡の薄くなった彼の姿があった。あんなに濃く付いていた跡が、もう消えかかっている。つまらないものだ。

 

「その進歩が、今の“豊かさ”を作り出し、今の我が国の抱える最大の“問題”を生み出しているんじゃないか」

「そうかもしれないが……」

 

 ジェロームの言葉に、ハルヒコは言葉を詰まらせた。確かにそうだ。

 恐怖が力を求める原動力となり、そして得た力が人々の生活を一気に豊かにした。そして、一度手にした豊かさを、人間は手放す事が出来ない。

 

「人の恐怖に際限はない。もう、今の豊かさを維持する為のエネルギーなんて、殆どこの国には残されていないというのに!次の人々の“恐怖”は、一度得た豊かさを手放さなければならない恐怖だ」

 

 そう、このリーガラントはここ数百年で目まぐるしい発展を遂げてきた。しかし、その発展をささえてきた資源は、常に有限である。

 

 クリプラント同様、リーガラントもまた枯渇する資源を前に、闘う事を与儀なくされているだけなのだ。

 

「結局、今俺達のしようとしている戦争は、単なる異種族への侵略戦争だ。未開の地であるクリプラント領から資源を奪い取る為のな」

「……」

「なぁ、ハルヒコ。エルフを滅ぼし、最終的にその資源すら使い果たしたあとは……人間は、次はどうするんだろうな?」

 

 資源は有限。しかし、人間の欲望や恐怖は無限だ。

 ジェロームの問いかけに、ハルヒコは正しく答えてやる術を持たなかった。きっと、その答えを持つ人間は、この世に一人として存在しないだろう

 

「……いくらキミの幼馴染でも、俺にもその答えは分からないんだ。ごめんな、ジェローム」

「……」

 

 ハルヒコはカッチリと固められたジェロームの髪の毛にそっと触れながら謝った。悩む苦悩は、いつもジェローム一人の肩に乗っている。自分は、支える事しか出来ない。

 

「ジェローム、今はそこまで考えるな。今キミの守るべきモノは、今生きている民の生活だけでいい。……今は、彼らの声を聴き、動き出すしかないんだ」

 

 苦し気な声で口にされるハルヒコの言葉に、ジェロームは自分がいかに詮無い事を言っているのか改めて自覚した。

 友に、こんな顔をさせる甲斐のある話では決してない。

 

「……俺の方こそ悪い。いつも、ウジウジしてばかりで」

「いいよ。悩みながらも、キミは決して立ち止まったりしない。俺は付いて行くから、それだけは安心してくれていい」

「ありがとう。ハルヒコ」

 

 頭に優しく触れられる感覚に、ジェロームは夢の中の父親の言葉を思い出していた。

 

 

——-ジェローム。声を聴き、そして声を届けなさい。それが、私達の役目だ。

 

 

声を届ける。届けようにも、日々こうして悩み続けているせいで、放つ言葉すらままならない。届ける言葉を、今の自分は持たないのだ。

 

「ねぇ、ジェローム」

「なんだ?」

「こんなに思い悩んでいるキミに、こんな事を言うのは忍びないんだけどさ……」

 

 ハルヒコにしては珍しく、言いにくそうな表情を浮かべ、何やらハッキリしない様子で話しかけてきた。

 

「なんだ……?」

 

そういえば、ハルヒコはどうしてこの部屋に来たのだろうか。

軍が拠点に到着した事を伝えに来たのか?いや、そんなモノは放っておいても直接軍から連絡が来る。いや、きっと既に電報が来ている頃だろう。

 

わざわざ、ハルヒコが足を運んで伝えるような内容ではない。

 

「さっき、俺の所に伝書鳩が届いたんだよね。キミ宛ての」

「伝書鳩……まさか」

 

このご時世、伝書鳩なんてモノで連絡を寄越してこようとする相手など、このリーガラントには一人しか居ない。

 

「エイダか?」

「そう、エイダだ。まだ中身は読んでいないけど……俺は嫌な予感がするんだ」

「……俺もだ」

 

 鳩の足にでも括りつけられていたのだろう。クシャクシャになった紙が、ハルヒコのポケットから取り出された。

 

「……アイツ、絶対に余計な事をしているよな?ハルヒコ」

「……エイダはキミの困った顔が大好きだからね。まぁ、開けてみたら分かるよ」

「開けたくないんだが」

「じゃあ、代わりに開けてあげるよ」

「……いや、俺が開ける」

 

 ジェロームは観念したように受け取った紙をゆっくりと広げた。そこには、非常に雑な文字で、たった今殴り書きしたような文字が躍っていた。

 

 

【クリプラントの新王、イーサの宝石を捕虜にした。好きに使え】

 

 

「は?なんだ、コレ?」

「……なんだろうね?待って、裏も何か書いてあるけど」

「なに?」

 

【嫁も手に入れた。甲斐性を見せたい。祝儀を寄越せ】

 

「……なんだ?」

「……なんだろうね?」

 

 全く意味が分からない。分からないが、全く良い予感がしない事だけは確かだ。しかし、そのハッキリと漂う“イヤな予感”を的中させるように、ジェロームの総帥室に通信機器の電子音が響いた。

 

「軍からだ」

「……軍からだね」

 

 先程から、意味のないやり言葉のキャッチボールを繰り返してしまう。これはハッキリとした現実逃避だ。しかし、逃避ばかりもしていられない。そう、悩みながらも進むしかないのだ。

 

「……通話開始」

 

 ジェロームが声で通話システムを開く。すると、戸惑ったような声が向こうから聞こえた。

 

『ジェローム様。こんな折りにすみません、急ぎ報告がございます』

「なんだ」

『一般兵が、クリプラント国境近くの森で拾いモノをしたようでして……』

 

 一般兵。きっとそれがエイダだろう。また、いつの間に軍の中に潜り込んだのか。

 

「エイダのヤツ。どこにでも紛れ込んで」

「アイツは姿を変えるのが上手いからな……待て、拾いモノ?」

 

 苦々し気な様子のハルヒコに対し、ジェロームは先程の手紙の一文を思い出していた。

 

——–クリプラントの新王、イーサの宝石を捕虜にした。

 

 イーサの宝石。なんだ。それは。何かの比喩だろうか。

宝石。高価で貴重なモノ。美しいモノ。

 

 ジェロームが先程のエイダからの手紙を反芻しながら思考を巡らせていると、ふと、耳の奥でエイダの声が聞こえた気がした。

 

『結婚指輪か。良いねぇ。そういや、似たような風習が、クリプラント王家にもあるぜ?』

 

「っ!」

 

 そう、幼い頃エイダが教えてくれた事があった。

人間が永遠の愛を誓いあう際に互いの指にはめる結婚指輪。エイダがエルフの王家にも似たような風習があると教えてくれたのだ。

 

 

『クリプラント王家では、一人一つ。国章の付いたネックレスを持っていてな?一生に一度、自分の縛りたい相手へと贈るんだ』

『それは、結婚相手ということか?』

『いや?贈る相手は誰でも良い。妻でも友人でも、恋人でも、家臣でも……自分の身の一部として縛りたい相手であれば、誰でも構わない。結婚とはまた違った……王族からの愛の証だ』

『寵愛の証というわけか』

『んー、なんだろうな。ただ、ありゃ、寵愛というより……』

 

——–“執着”に近いかもな?

 

「おいっ、まさかエルフを捕虜にしたのか!?」

 

 しかも、王族の寵愛した相手など捕虜になどしてみろ。

開戦前にそんな事をしたのでは、国民の拉致としてクリプラント側から国際問題として提起されかねない。

 

『違います!相手は人間です!人間の男が二人です!』

 

しかし、相手から報告されたのは予想外の“人間”という言葉。一瞬ホッとしたが、いやしかし、待てよ?

 ジェロームは念の為、尋ねてみた。

 

「その人間、首にクリプラントの国章の付いたネックレスをしていないか?」

 

 出来れば何もしていないでくれ。

 そう、心の底から願った時だった。

 

『しています。片方だけですが。どうやら、この二人、クリプラント王家の直属の兵士のようです』

 

——–どうしますか?

 

 そう、尋ねられた瞬間。ジェロームは頭を抱えた。

 

「エイダのヤツ……!」

 

 今頃、自分の困り果てた姿を想像して笑っているに違いない。ジェロームはそう確信すると、絶対にご祝儀など包んでやるか、と心の底から思ったのであった。