3:お星さま現る

 

 

「ラティ殿下。ごきげんはいかがですか」

「は、はい。とても、き……気分が良いです。パイチェ先生」

 

 ウソ。ちっともご機嫌なんてよくありません。気分はとても悪いです。まるで、グチャグチャの泥水に飛び込んだ気分……あれ?それってもしかして、とても楽しそうなのでは?ええ、ええ。それはとても楽しそう!

 

「ふふっ」

「あら、本当にご機嫌がよろしいようですね?ラティ殿下」

「っあ、いや。は、はい!」

 

 いやいや、今はそんな事はどうでも良いのです。僕は泥水でご機嫌になっている場合ではないのですから!

 だって、昨日はお星様を見たお陰で、一日中とっても良い気分だったのに……。

 

「それでは、今日は期待してもよろしいのでしょうね?」

「え?」

 

 このパイチェ先生の厳しい顔を見た途端、全部が夢であったような気がしてきました。

 

「きちんと復習はされておりますか?」

「は、はい!」

「そうですか。では今日の授業が楽しみですね」

 

 あぁ、どうしたら良いのでしょう。パイチェ先生のつり上がった目が怖すぎて、僕はとっさにウソを吐いてしまいました。

 なにせ、昨日は窓の外に居たお星様について考えていたら、一日が終わっていたのです。だから、もちろん復習なんて少しもしていません。

 

「……ん?」

 

 でも、見たところパイチェ先生の手に、ムチは握られていないようです。良かった、と僕がホッとした直後の事でした。

 

「しかし、その前に。本日はラティ殿下に紹介したい方がいらっしゃいます」

「っ!」

 

 紹介したい方。

 そう、パイチェ先生の口から発せられた言葉に、僕は絶対に「ムチ」の事だと思いました。きっとムチを打つ専用の従者を雇ったのかもしれない。まさか、後から出してくるなんて、そんなのってない。

 

「あ、あの。パイチェ先生。昨日、僕……ちょっとだけ、熱っぽくて」

「今朝、食事は全部召し上がったとうかがっていますが?それに、先程までとてもご機嫌なように見受けられましたが」

「あ、あの……えっと」

 

 こんな事なら、朝食を少し残しておくんだった。それにもっと具合が悪そうにしておけば。でも、今さらそんな事を思っても、もう遅いのです。時は来てしまったのですから。

 

「殿下。紹介させて頂いてもよろしいでしょうか」

「ぁう……はい」

 

 パイチェ先生は、僕のウソなんてお見通しですと言わんばかりの顔で僕を見下ろすと、すぐに扉に向かって「入りなさい」と声をかけた。すると、その声に部屋の扉がキィと静かに開きました。

 

「っぅ」

 

 思わず扉から目を逸らします。

 パイチェ先生は手に教本を持っているから、間違った時にムチで僕を叩く専用の使用人が入ってくるに違いありません。きっと、その使用人の手には、太くて硬いムチが握られているのでしょう。あぁ、まだ叩かれていないのに腕がピリピリしてきました。そう僕がフルリと体を震わせた時でした。

 

「これから殿下の友となる者ですよ」

「へ?」

 

 友?パイチェ先生の口から漏れた聞き慣れない単語に、僕はそれまで足元を見ていた視線をパッと上げました。その瞬間、僕は息をするのを忘れてしまいました。そう、僕はこの瞬間、一度死んでしまったのです!そのくらいの衝撃でした。

 

「っぁ、あっ!あっ!!」

 

 なんと、そこには昨日窓から見たお星様がジッと此方を見つめながら立っていました。お星様を見た途端、僕の心臓は生き返りました。そして、早馬の足音のように鳴り響き、体中がジンと熱くなりました。息も上がって苦しいです。

 僕は病気なのでしょうか。

 

「さぁ、殿下にご挨拶を」

「はい、先生」

「っ!」

 

 お星様はピンと背筋を伸ばし、僕の前へと一歩踏み出しました。

 僕と同じぐらいの身長で、少し固そうな金色の髪の毛。真っ直ぐこちらを見つめる大きな瞳はエメラルドグリーンの宝石を思わせるほど鮮やかでした。そして、瞬きをする度に長い金色のまつ毛が光をかすめて輝いています。

 そのあまりにも凛とした美しさに、もう僕は一度死んでしまうかと思いました。息が苦しい。

 

「ラティ殿下、この度はお会いできる機会を頂き、心より感謝申し上げます。私の名はケイン。クヌート家の者でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」

 

 天使様が僕の前で、両手を交差させて深く頭を下げます。その声は小鳥のさえずりのように華やかで明るく、耳にするだけで元気が湧いてくるような響きでした。

 

「……はぅっ」

 

 僕は声にこそ出しませんでしたが、この瞬間、もう十回以上は頭の中で「ケイン様」と、彼の名前を呼びました。

 ケイン様。キラキラしてる!お星様みたい!触ってみたい!

 

「クヌート家の者は、代々スピルの国防の要である金軍の軍団長を務められる家柄です。将来ラティ殿下が王位に就かれた際、ケイン様が共にこのスピルを守り治める事となるのですよ」

「そ、そうなんですか?」

「ええ、そうです。政で民を治めるのがラティ殿下。武力で外敵から民を守るのがケイン様。役割は違えど、あなた方の目指される先は同じ“泰平の国家”です」

 

 クヌートの一族。

 確かにその姓は、食事の席で父の口からもよく出てきます。「金軍」という、国の兵を一挙に束ねる「軍団長」となる一族の御方。

 

「ケイン様が?」

 

 まさか、こんな輝くお星様のようなケイン様に「武力」とか「戦争」なんていう乱暴な言葉がくっ付いてくるなんて。そんな事をして、ケイン様が怪我でもされたらどうするのでしょう!

 そう、僕がケイン様をこわごわと見つめていると、その愛らしいお口が再び明るいさえずりを響かせました。

 

「ラティ殿下、私に敬称は必要ありません。どうかケインとお呼びください」

「……でも」

「そうですよ。ラティ殿下。この世界で、貴方よりも尊い身分の者はおりません。貴方様に敬称を使われては、ケイン様もお困りになられます」

 

 そんな、パイチェ先生まで。

 もうずっと心の中で「ケイン様」とお呼びしているせいで、呼び捨てなんてとんでもない気がします。なぜでしょう。僕なんかよりも、彼の方がずっと尊い体のような気がしてしまうのです。

 

「そ、それなら……僕にも敬称は必要ありません。ラティとお呼びください」

「……ラティ殿下。それは」

 

 僕の言葉に、お星様が困ったようなお顔をされました。チラと傍を見れば、小さく首を横に振る先生の姿。あぁ、どうやらこの願いも叶わないようです。

 

「ラティ殿下。先程も申し上げました通り、貴方様より尊い身分の御方はおりません。身分というモノは人々の守るべき最初の秩序です。そして、呼び名はその「秩序」を守る始めの「法」でもあります。我儘を申し上げられませんよう」

「……はい。ごめんなさい」

 

 尊い尊いと言われる僕の身体ですが、不思議な事に、僕の「願い」は一つも叶えられた事がありません。だからでしょうか。僕は、自分を「尊い」と思えた事なんて、本当は一度だってありません。そう、僕の視界が再び足元を映そうとした時でした。

 

「しかし、です」

「へ?」

 

 パイチェ先生が少しだけ優しい声で続けました。

 

「あなた方はこれから長い時間を共に過ごす、主従でもあり、友でもあります。一般的に“友”に身分は存在しないとされています」

「……っ!」

 

 友、そうです!パイチェ先生は最初にケイン様を紹介する時に、僕に言いました。「これから殿下の友となる者ですよ」と。

 

「公の場や、私達の目の届く範囲では弁えて頂く必要があります。しかし、それ以外の場で、お二人でどのような関係を築き、どのようにお互いを呼び合うかまでは、私達は口出し致しません。なにせ、知る由もありませんから」

 

 これまで、ずーっと出来が悪いと言われ続けた僕ですが、さすがにパイチェ先生が何を言いたいのかは分かりました。二人だけの時は「好きにしなさい」と言っているのです。

 

「さぁ、ラティ殿下。貴方もケイン様に自己紹介をなさってください」

「はい!」

 

 僕はあまりの嬉しさにケイン様……いいえ。ケインに近付くと、その手に触れて、初めての「友」に自己紹介をしました。ケインの手は、思ったよりもゴツゴツしていて傷も目立ちました。

 

「私はこの国の第四十七代目の王太子、ラティでございます。これからも共に我が国を盛り上げて参りましょう」

「はい、ラティ殿下」

 

 ただ、触れた手はほんのりと温かく、明るく落ち着いた声が僕の名前をさえずります。あぁ、ケイン。僕の生まれて初めての「お友達」になってくれる子。

 そう思うとすごく嬉しくて、僕は先生に聞こえないような声で最後に一つだけ付け加えました。

 

「誰も居ない時だけでいいから、僕の事はラティって呼んで」

「っ!」

 

 まるで、日記帳のウィップに話しかけるみたいに語りかけます。

 

 友達って、これでいいのでしょうか?合ってる?間違ってる?

 僕は「友達」と呼べる相手はウィップしか居ません。何でも話せて、隠し事なんて絶対しない。それが、僕にとっての「友達」です。

 

「あ、あの……」

 

 何も返事をしてくれないケインに、僕が再び声をかけようとした時でした。それまでエメラルドグリーンの瞳をシパシパと瞬かせて此方を見ていたケインが、ソッと僕から目を逸らしながら小さな声で言いました。

 

「いいよ、ラティ」

 

 その日、僕に初めての「お友達」が出来ました。

 

 

◇◆◇

 

 

親愛なる、ウィップ。

今日は君にすごい知らせがあるんだよ!聞きたい?聞きたいでしょう!

 

なに?またパイチェ先生に怒られたんだろうって?

違うよ!そんな事じゃ、もうキミはビックリなんてしないでしょう?いつもの事なんだから。あぁぁ、そうじゃなくって!

 

僕に「友達」が出来たんだよ!

ウソじゃない!昨日の最後、キミに報告した事を覚えてる?「きれいなお星様を見つけたよ!」って。その天使様が僕の友達になったんだ!

 

名前はケイン。

金軍の将軍を代々受け継いできた「クヌート」の一族の子なんだって。あんなにキレイなお星様が、将来の「将軍様」なんて、僕はちょっと信じられないよ。戦争なんかに行ったら、きっとあんまり美しいからって他国の兵士から捕まえられてしまうかも。

 

あぁ、こわい!

でも、ケインは僕と同じで六歳だから、まだ戦争なんて行かないよ。良かった。

 

あ、ごめんね。話がそれたね。

そのケインとね、これから毎日一緒に勉強をする事になったよ。ケインが剣術のお稽古をする時以外は一緒に授業を受けるんだって。

 

今日だってね、一緒に授業を受けたんだ!

僕がパイチェ先生の質問に答えられない時も、小さい声で教えてくれたりして。ケインは本当に優しくて素敵な子だよ。

 

授業が終わった後は、色々な事を話したんだ。

もちろん、二人の時はお互いの事を「ケイン」「ラティ」って呼び合うよ。だって「友達」だからね!

 

ケインは将来お父様の跡を継いで、歴代でも一番強い将軍になるのが「お役目」なんですって言ってた。

僕はそれを聞いて、やっぱり心配になったよ。戦争に行ったら、怪我をしたり、死んだりする事もあるから。出来れば危ない所には行って欲しくないなぁって思った。

 

でも、僕がちゃんとした「国王」になれば、戦争せずにすむだろうから、これからは僕も頑張るね!そのうち、君の事もケインに紹介しようと思う。ちょっと恥ずかしいけど、僕がキミに何でも打ち明けられるように、ケインにもそうでありたいと思うから。

 

じゃあ、ウィップ。また明日ね。

ラティより。