10:何もない、でも「血」ならある

 

 

◇◆◇

 

 

親愛なる、ウィップ。

 

悲しいお知らせだよ。

今日も僕はケインと会えなかった。ケインに会えなくなって、これで一カ月近く経つね。

 

どうも最近、隣国バーグとの関係が悪化しているみたいで、議会も軍もピリピリしてる。もう開戦も時間の問題だろうと、陛下は……お父様はおっしゃっていた。

 

でも、もし戦争になったらケインはどうなると思う?

金軍の次期将軍であるケインは、きっと闘いの最前線に立たされる事になると思う。そんな事になったら、僕は毎日恐ろしくて生きた心地がしないだろう。

 

だったら、一緒に戦場に行った方がまだマシだと思うんだ。ケインの傍に居れば、僕は毎日ケインに会えるし。ほら、「治療」だってしてあげられる。

 

キミも、ケインに会えなくて寂しいだろう?分かるよ、僕と同じだ。

でも、本当にどうしよう。このままバーグと戦争になんてなってしまったら、本当にケインと会えなくなってしまう。僕に何か……

 

 

「出来る事はないかな……あれ?」

 

 ウィップに日記の続きを書こうと、インク瓶にペン先をつけた時でした。

 

「……インクが無い」

 

 瓶に付けた羽ペンの先が、瓶の底にカツンと当たりました。これじゃあ、日記の続きが書けません。

 僕は使用人を呼ぶベルを掴もうとして、ハタと、手を止めました。うん、ちょっとだけ歩きたい気分です。インクを貰いに行くついでに、お散歩するのも良いかもしれません。

 

—–ああ、丁度授業が終わった後、中庭を歩いていたらたまたまな。

 

「ケイン……」

 

 もしかしたら、ケインにも“たまたま”会えるかもしれない。僕は微かな期待と共にベルに伸ばしかけた手を引っ込めました。

 

「ウィップ、ちょっとだけ行ってくるね。待ってて」

 

 そう言って、空のインク瓶を持った僕は部屋から飛び出しました。僕のお星様に会える事を、ほんの少しだけ願いながら。

 

 

◇◆◇

 

 

ウィップ、インクを取ってきたよ。

たっぷり入れて貰った。これでしばらくは大丈夫。でも、ちょっと後悔してる。やっぱりメイドに持って来て貰えば良かった。行かなきゃ良かったって。

 

あれ?なんか昔も同じような事を書いた気がする。いつだったかは全然覚えてないけど。まぁ、そんな事はどうでもいっか。

 

え?どうしたのかって?こんな話、聞いてもきっと面白くないよ。

……それでも聞きたい?仕方無いなぁ、君にだけ特別に教えてあげる。

 

廊下を歩いてたら、大臣達が話しているのを聞いちゃったんだ。

 

今のスピルはまだ開戦するための兵を集め切れていない。少なくとも“今”は、まだ開戦してはならないって。それはそう。僕もそう思う。ウィップもそう思うよね?

でもね、話はそれだけじゃ終わらなかったよ。

 

「あの愚かな王太子を貢物にバーグにくれてやればいい」

「そうすればフルスタ様が王位継承権第一位になられる」

 

もうね、笑っちゃうよ。僕が居る可能性の高い王宮内で、大臣の口からそんな言葉が発せられるなんて。

 

あぁ、でもウィップ?怒ってはいけないよ。コレは、王子である僕に“器”が足りていないせいなのだからね。僕が彼らを包み込む器を持っていないのが悪い。それに、彼らの言葉は大いに正しい。

 

誰もが望んでいる。フルスタが次の王になる事を。

でも、それは無理なんだ。なにせ、スピルでは代々長兄が玉座を引き継ぐ「長子相続」が絶対の決まりだからね。それが破られた事は、歴史上一度もない。うん、そうだよ。唯一の例外――。

 

長兄が死なない限り、ね。

 

ねぇ、ウィップ。

僕はね、本当は分かっているんだ。皆が僕に対してこの国から居なくなって欲しいって思っている事を。

ずっと、ずっと、ずーーっと昔から分かってた事。僕だってそこまでバカじゃないからね。僕さえ居なければ、優秀で立派な弟のフルスタが王位継承権第一位になれる。

 

だから、僕が人質としてバーグとの交渉材料になればいい。ほら、僕はスピル王家の純粋な血統だし。何なら、長兄で王位継承権も持っている。

 そうだよ。僕は肩書“だけ”はご立派だからね。なんなら、この尊い体もおまけに付けよう。それに、自分から申し出れば、僕は「国の為に身を差し出した立派な王子」として、皆から褒めて貰える。

 

もしかすると、戦争も回避出来るかもしれない。

 

でも、僕は何も言わない。言えない。

だって、怖いよ。敵国に人質として渡るって、どういう事だと思う?何かあったら見せしめに殺されるかもしれないんだよ。鞭が怖くて、ケインにその痛みを任せていた僕に「人質」なんて到底無理だ。

 

それに、人質になんて行ったら……ケインにも会えなくなる。そんなの絶対に嫌だ。でも……。

 

でも、もし戦争が始まったら?僕は結局ケインに会えなくなる。

僕はどうしたらいいのか分からない。ウィップ、僕はどうしたらいいだろう。

あぁ、そろそろページが無くなってきたね。今日はこの辺にしておこうか。

 

じゃあね、ウィップ。

明日はケインに会える事を祈って。

 

ラティより。

 

 

◇◆◇

 

 

「ふぅ」

 

 僕は綺麗に文字で埋まり切ったページを眺めながら羽ペンを置きました。なんだか、とても疲れてしまいました。窓の外を覗いてみれば、優しい月の光が微かに漏れ入ってきます。とても穏やかです。

 戦争が目前に迫っているなんて、誰が思うでしょう。

 

——ラティ殿下、貴方は何者ですか。

 

 頭の中で、パイチェ先生が問うてきます。何度も何度も問われた言葉です。

 

「僕は、大国スピルの第四十七代、王太子です。将来は国王陛下の跡を継ぎ、スピルを治めます」

 

 その問いに、刷り込みのように覚えさせられてきた言葉を口にします。僕は大国スピルの王太子。国を統べ、民を守る者。

 

「でも、僕は……名前も知らない国民の為には、頑張れない」

 

 そう、僕は僕の為にしか頑張れない。落ちこぼれで、愚かな王太子。鞭に打たれるのもイヤ。バーグに行くのもイヤ。殺されるのはもっとイヤ。

 

 バーグに行ったら何をされるだろう?

 きっと「ようこそいらっしゃいました。ラティ様。こちらにどうぞ。温かい食事と、柔らかいベッドを用意しておりますよ」なんて言って貰えるワケありません。敵国の王子である僕を、バーグの者達は皆、憎しみを込めた目で見るでしょう。

 

 だったら、生まれ育ったスピルで疎まれながらも、愚かで何も知らないフリをしながら生きる方がまだ……

 

「マシ……なのかな?」

 

 僕はどうして“此処”に居たいと思っているんだったっけ?

 そうやってしばらくぼんやりしていると、突然、コンコンと部屋の戸が叩かれました。そして、次の瞬間、聞こえてきた声に僕の胸はパッと躍りました。

 

「ラティ殿下、言いつけ通り参りました」

「っケイン?」

「はい、ケインでございます」

「通してください!」

 

 僕は扉に駆け寄ると、そこにはいつもと違い、訓練着の姿のままのケインが立っていました。

 

「このような格好で申し訳ございません。着替える間がなく」

「ゆ、許します!さぁ、中へ!」

 

 僕は見慣れないケインの姿に少しだけドキドキしながら、部屋に招き入れました。バタンと戸が閉まり、部屋の中にはケインと僕の二人きりになります。あぁ、一カ月ぶりのケインです。僕は居ても立ってもいられず、ケインに向かって体を乗り出しました。

 

「ケイン!久しぶりだね、会いたかった!さぁ、座って」

「いや、今日は本当に顔を見に少し寄っただけだ。すぐ戻る」

「そんな……ちょっと、ちょっとだけで良いから座って話せない?」

 

 諦めきれずに僕がケインの手に触れようとすると、スッとその手は引っ込められてしまいました。

 

「部屋が汚れる……それに、汗をかいているから、あまり近寄るなよ」

「そ、そんな事言わないで!僕、ずっとケインに会いたくて堪らなかったんだよ」

 

 やんわりと僕から距離を取ろうとするケインに、僕は必死で周囲をウロウロしながらケインに触れる機会を伺いました。本当に訓練の直後に来てくれた事が、フワリと香ってくる汗の匂いで分かります。素敵な匂いだと、僕は思います。

 

 すると、そんな僕にケインはフッと吹き出しました。

 

「……っくく、ラティ。まるでお前、犬みたいだ」

「そ、そう?」

 

 クツクツと肩を揺らして笑うケインに、嬉しさのあまりもっとケインの周りをウロウロしました。出来る事ならケインに触りたい。あぁ、犬ならきっとケインが飼い主だったら喜んでペロペロと舐めに行く事でしょう!あっ、そうです!

 

「ケイン!どこか怪我しているところは無い?」

「は?」

「あ、ここ!ここに切り傷があるね!みせて!」

 

 嬉しくて嬉しくて、僕がケインの腕に見つけた傷にいつものように「治療」をしようとした時でした。

 

「ちょっ、は!?何やってんだよ!今の俺が見えてないのか?」

「え、見えてるよ?」

「俺は訓練の後だ!もちろんシャワーも浴びてない!」

「うん?」

 

 それは見れば分かります。僕はケインが何をそんなに慌てているのか、ちっとも分かりません。いつもならケインから「舐めろ」と言ってくれるのに。どうして今日はダメなのか。一カ月ぶりで、ケインの体に僕の知らない傷があるかもしれない。痛いかもしれない。

 

 そう!僕はケインの体に触れたくてたまらないのです。

 

「ケイン、僕はキミが一体何を気にしているのか分からない。僕は君にとても触れたくて仕方ないのに」

「……っこれだ」

 

 僕の言葉にケインは疲れたように頭を抱えました。チラリと覗くケインの耳は朱色に色付いていました。もしかして、耳も怪我をしているのではないでしょうか。

 

「ラティ。ともかく、今は治療は良い。さっきも言ったように、俺は少し顔を見に来ただけだ。明日も早いからすぐに戻る」

「そんな……」

 

 来たばかりなのに。せっかく一カ月ぶりに会えたのに。

 僕はケインともう少しだけ一緒に居たくて、賢くない頭で必死に考えました。どうすればケインは此処に居てくれる?あと少しでいい。僕はもう少しだけケインと一緒に居たかったのです。

 

「あっ、あ!ケイン、あの!ウィップがキミに会いたがっているよ!」

「ウィップ?」

「そう、キミに会えなくて……その、寂しがってるから!」

 

 僕は、ともかくケインと共に居たいが為に、ウィップをダシに使う事にしました。お喋りできなくても、ケインがこの部屋に少しでも長く居て欲しい。だって、次はいつケインがここに来てくれるか分からないのですから。

 

「っふ。じゃあ、少しだけウィップに会っていくとするか」

「うんっ!そうして!」

 

 苦笑しながら頷くケインに、僕は急いで机の上からケインを取って来ました。ケインは「汚れるから」といつものようにソファに座ってくれなかったので、入口で立ったままのケインにウィップを連れて行きます。

 汚れるのなんて、僕はちっとも気にしないのに。

 

「ウィップに会うのも久々だな」

「一カ月ぶりだもんね。ほら、このページからだよ!ゆっくり読んで!」

 

 少しでも長く一緒に居られるように。ウィップを嬉しそうに目を細めて読み進めるケインの隣に立って、ただただケインの傍に居られる喜びをかみしめたのでした。

 

 

◇◆◇

 

パラリ、パラリ。

 

 ケインがウィップを捲る音を聞きながら、僕は隣に立つ随分と立派に成長した大切な友達を見上げます。もっとゆっくり読めばいいのに。そうやって、僕がジッとケインの顔を見つめている時でした。

 

「ん?」

 

 それまで柔らかい表情をしていたケインの眉間に深い皺が寄りました。

 どうしたのだろうと、僕がウィップに目をやると、そこには、つい先程書き終えたばかりのページが見えます。どうやら、ケインはもう一カ月分のウィップを読み終えてしまったようです。

 

「おい、ラティ。コレ……」

「え?」

 

 ケインの呟きに、僕は「あれ?一体何を書いたっけ」と首を傾げました。ケインが来てくれた嬉しさですっかり記憶が飛んでいます。すると、ケインがチラリと此方へと目を向けました。その目は、まるで今までのケインとは違っていました。

 

「ラティ、お前……変な事を考えているんじゃないだろうな」

「変?な、何の……こと?」

 

 ケインの声が地を這うような低さで、お腹の底に響いてきます。あれ?さっきまでケインは笑っていたのに。どうしたのでしょう。明らかにケインは“怒って”いました。

 

「ラティ、思い上がるなよ。お前なんかが人質を申し出た所で、戦争が止められると思うな」

「……け、ケイン、どうしたの?何を怒ってる?」

「もう何がどうあっても、バーグとの戦争は避けられない。ラティ、お前はフルスタ様とはまるで違う。どうせ何も出来やしないんだから、戦争が終わるまでこの城の中でぬくぬく暮らしてろよ」

「……ぁ」

 

 ケインの容赦ない言葉に、僕はやっと自分の書いた日記の中身に思い至りました。

 

——

もしかすると戦争を回避させられるかもしれない。

でも、僕は何も言わない。言えない。

——

 

「バカな事書きやがって!いい加減にしろよ!」

「っ!」

 

 ケインに怒鳴られた瞬間、僕は背筋に冷たいものを感じました。あぁ、僕は一体何て愚かな事を書いてしまったのでしょう。しかも、命を懸けて戦争の前線で戦わなければならない相手に見せるなんて。不謹慎にも程があります。

 

「っ!あ、違う……違うよ!ケイン!あの、僕そういうつもりじゃ……!」

「おい、だから触るなって!」

 

 とっさに体に触れようとする僕に、ケインは身をよじって僕から体を避けました。

 

「ぁ……ケイン?」

 

 ケインに拒絶された。その瞬間、目の前がクラリと揺れた気がしました。そんな僕に、ケインの冷たい言葉が更に追い打ちをかけます。

 

「ラティ。お前はもう余計な事を考えるな。ウィップに書いている通り、お前は鞭の痛みだって自分で請け負えないような“弱い”ヤツなんだ」

 

 ケインの声がとても厳しく、鋭く、僕の心に突き刺さります。でも、これは仕方のない痛みです。だって、実際にそうなのですから。

 

「ラティ。お前の痛みは、全部俺が請け負ってきた……そして、それはこれからもそうだ。開戦はほぼ決定している。全軍が動き始めてる。俺は前線に立つ」

「っあ、あ……。お、お願いだから……そんな事、言わないで。ケイン」

「お前は此処でジッとしてろ。なんなら、フルスタ様に王位継承権を譲ればいい。古い慣例や慣習なんて変えちまえよ」

「っ!」

 

 ケインの言葉に、僕はゴクリと唾液を飲み下しました。まさか、慣例を無視してまで、フルスタに王位継承権を譲れなんて言われるとは思ってもみませんでした。

 

——俺もあぁ言う人にお仕えしたかった。

 

 いつかのケインの言葉が頭を過ります。ケインは、俺ではなくフルスタに仕えたいと思っている。そう、ハッキリと言われた気がしました。

 

「ラティ、お前に王は無理だ」

 

 そう言って僕にウィップを突き返してくるケインに、僕は震える手でケインへと手を伸ばしました。

 

「あ、あのね……け、ケイン?」

「何だよ」

 

 ウィップを受け取るフリをして、僕はソッとケインの手に触れようとしました。しかし、僕の手が触れる前に、ケインの手はパッと離れて行きます。あぁ、息がとても苦しい。

 

「僕……な、なんでもするから……」

「は?何だよ、急に」

「なんでも、するから……だから、嫌いにならないで!」

 

 僕はケインを前に悲鳴を上げるように叫びました。すると、次の瞬間ケインの静かな声が僕の耳に響きました。僕には怖い事がたくさんあります。ムチに打たれる事。人質になる事。そして、死ぬこと。

 でも、一番怖いのは――!

 

「分かった」

「っじゃ、じゃあ……僕、何をっ」

 

 ケインに、見捨てられる事。それなのに。

 

「お前はもう、何もするな」

「っ!」

 

 ケインの美しいエメラルドグリーンの瞳が、鋭く僕の全てを貫きます。

 あぁ、終わった。そう思いました。僕は、ケインに諦められたんです。今までは「治療」と「ウィップ」でケインから許されていた僕達の関係だったのに。

 

 もう、ケインは僕に何も求めてくれません。

 

 僕の名前は、ラティ。

 大国スピルの第四十七代目の王太子です。なので、僕はとても「尊い」人間です。

 尊い?どこが?誰一人、僕を必要としていないのに?

 

 

 

 ケインは、僕ではなく弟のフルスタを選びました。

 

 

◇◆◇

 

 

「……ウィップ」

 

 ケインの居なくなった一人の部屋で、僕はぼんやりとウィップを捲ります。帰り際にケインに言われました。

 

 もう、しばらくは来れなくなる、と。

 そして、最後の最後までケインは僕に言っていました。「お前には何も出来ない」「余計な事は考えるな」「何もするな」と。

 

 あぁ、やはり僕は完全にケインに見捨てられたようです。

 

 パラリ、パラリ。一頁、また一頁。そこにはまだ友達でいられたケインとの記録がたくさん、たくさん書いてあります。あぁ、とても楽しかった。ケインと出会ってから、辛い時も悲しい時も……楽しい時も。僕にはケインだけだった。

 

 ケインだけ居てくれれば、それで良かったのに。

 

「ケインと喋りたい」

「ケインに触りたい」

「ケインに笑って欲しい」

「ケインと一緒に居たい」

 

 一枚、また一枚とページを捲りながら、僕は自分の望みを口にしていきます。でも、どれも、もう僕には叶えられそうにありません。パラリ、パラリと捲り続けられる。すると、最後のページに辿り着きました。そこには、僕の字でこう書いてあります。

 

——–

でも、もし戦争になったらケインはどうなると思う?

——-

 

 その文字に、僕は釘付けになります。

 

—–俺は戦争に行く。

 

 ケインは僕ではなくフルスタを選んだ。でも、僕が地位にしがみ付けば、ケインはずっと僕の元に居てくれる。それがケインの望みを阻害する事になったとしても。ケインが僕を見捨てても、地位を捨てなければケインは僕の元に居るしかない。

 

 だって、ケインは国王に仕える金軍の軍団長なのですから。

 

 でも、本当にそれが僕の望みなのでしょうか。あぁ、僕にとって一番恐ろしい事はなに?

 

 ムチに打たれること?人質になること?死ぬこと?ケインに嫌われること?いいえ、どれも違いました。

 ケインに見捨てられるよりもっと怖い事が、この世にはあります。僕はウィップの最後のページに一言だけ言葉を書き記しました。

 

「ケイン、どうか死なないで」

 

 そう、ケインが死んでしまう事が、僕にとっては一番恐ろしい。ケインが生きている事こそが、僕にとって大切なこと。

 僕はウィップをパタンと閉じると、しっかりと顔を上げました。

 

 ウィップ。僕の大切な友達。

 そして、王太子という孤独で不自由な世界しか持たない僕にとっての、唯一自由でいられる無限の思考の世界。でも、自問自答はもう終わり。

 

 ウィップ、君は大切な“僕自身”だった。

 

 

 

「陛下、お話があってやって参りました。どうぞお目通しを願います」

 

 この日、僕は母が死んで以来、初めて自ら父の元を尋ねた。